MONSTRE GREEN-REGARDe
■■ 第 零 話 ■■
まだ午後のお茶の時間を少しだけ過ぎたばかりだというのに、アーサーの行く手を塞ぐかのように濃く立ちこめる霧。
いくら勝手知った学園の裏庭とはいえ、極限まで視界を妨げられては動きようがない。ならば余計な体力を使うことなく、オペレーターからの情報を待ってから動いた方が合理的ではないかとアーサーは考えていた。いくら魔道師の装飾を身に着けていても、周囲に漂う濃霧の詳細を知らないまま動けば、顛末がどうなるかくらい想像がつく。
古来から伝わる魔導師としての出で立ち 頭部に青色のシルクハットを載せ、地面をこするほど長い青色の外套を肩から流し、両手には真っ白な手袋をつけていた。
しかし、手袋に覆われた掌を硬くにぎり、靴のつま先で地面を叩くその苛つきようは濃霧の中であっても、モニター前に座るオペレーターにハッキリと伺えた。
『菊ッ! 情報はまだなのかよ!』
苛立つ声が、オペレーターのインカム越しに響く。
「もう少しだけ待ってください。今日は磁場が荒れてて、上手くスキャンが……」
菊と呼ばれたオペレーターは、条件反射的にモニターの中のアーサーに向け頭を下げ、謝罪を口しながらも素早くキーボードを叩けば、それにあわせ端末のディスプレイが目まぐるしくスクロールしていく。
幾つも設置されたモニターには大量の文字情報が溢れ、その中から必要とされる情報だけを選び出しながら、アーサーが対峙する妖魔に関する能力を分析する。それは緊迫した状況の中でもかなり重圧的な作業であるため、菊は懸命に五指を動かし、情報を集約することに集中した。
「でました! 障気レベルAA。今回は護符の効かない妖魔のようです。出現座標確定。属性 傲慢。その名は、スペルビア!」
『了解』
菊からの情報を得ると『……我との盟約に応じよ』とインカムから呪文が流れた直後、派手な爆音と耳をつんざくような妖魔の断末魔が洩れてきた。
今日は簡単に妖魔を掃討できたようだ。しかし、戻ってきたアーサーの頬や首には無数の切り傷が残り、それらは思った以上に苦戦を強いられた事を物語る。
「お疲れさまです、アーサーさん」
戦闘用の外套を脱ぎ、生徒会室へ戻ってきたアーサーを労うように出迎えた菊であったが、アーサーは無言のまま執務机の椅子へと腰掛け深い溜息を零した。そのまま上体を背もたれへ預け、双眸を閉じる。
今日は、疲労の色がいつになく濃い。
「あの…何か飲まれますか?」
「ああ……、温かいのを」
短い言葉を返したアーサーは室内を照らす電灯すら邪魔なのか、細い腕で目元を覆ってしまった。
それを横目に、菊はお茶を用意するため生徒会室奥に設置されたダイニングへと歩き出す。その途端、菊を呼び止める明るい声が室内に響いた。
「菊、心配は要らないよ~」
「フランシスさん!」
アーサーから漂う緊張感のせいか、室内の空気が混沌とする中、その空気を読んでいないのか、それとも読む気など最初から無いのか、陽気な声でフランシスが奥から現れた。手には銀のトレイを持ち、トレイの上に乗るカップからはあたたかな湯気が立ち上り、室内がその香りに包まれる。
「ご主人様 淹れたてのミルクティーでございま~す」
砕けた口調でカップを執務机の上に置く彼に、菊は安堵感を抱いた。
闘いに勝利したとはいえ、その内容に満足していないのか沈痛な面持ちを浮かべるアーサーに対し、賞賛することも、また気持ちを解すだけの話術も、菊は持ち合わせていない。
けれどフランシスは違う。どんなに緊迫した場面になろうとも彼の持ち味を最大に活かし、場を和ませてくれる。
今だってそうだ。
アーサーは紅茶の香りにあからさまな興味を示している。そんな姿を見てしまうと、彼のサポート役として戦いを共にしていても、やはり幼馴染みには、到底、敵わないのだと思い知らされるようで、少しだけ心が痛んだ。
「ホント紅茶だけは美味いよな、お前」
「…だけ、じゃないでしょ! お兄さんは全てが絶品でしょうが!」
紅茶を飲んだことで、アーサーの頬に赤みが戻ってきた。そればかりか、フランシスに対しいつものように棘を交えて話す姿に、ようやく本調子を取り戻したと菊はさらに安堵する。気付けば、いつの間にか沈んだ気持ちになっていた。
仕方がないと分かっていても、いつも彼が絡むと余計な感情が芽生えてしまう。
恋をすると人は盲目になる――。それは真実なのかもしれない。何気ない会話であったり、日常的な行動の一端であっても、好きな相手の事なら全てが気になる。そればかりか余計な感情に心を焦がすようになるから、不思議だ。
恋を覚える前はただの友達だった。その頃のままの気持ちで今も付き合えたなら、こんな想いを抱かなくて済んだはず。なのに、それが出来ない。どうやら恋というのは、人を駄目にする作用を秘めているようだ。
それでもこの恋心は、ずっと隠しておくと決めていた。告白するつもりは最初からない。負け戦と分かっている勝負に挑むほど勝気でもないし、出来る事ならこの感情が早く冷めて欲しいとさえ思っていた。しかし、そんな事は当分出来そうに無い。半ば諦めの境地を抱きつつも、それでもここまで頑なになるには訳がある。
アーサーには想い人がいる。
これまで彼をサポートしてきたからこそ、分かる事実。それを承知の上で、恋の勝負に挑むほど愚かではない。それ故、恋に溺れないようきちんと感情を抑制した上で、彼のサポートについていた。
それでも菊には、幼馴染みであることはある種、特権のように映り、何気なく見せつけられるようで居たたまれない。恋というのは、本当に厄介でしかない。
それにアーサーの事になると、つい鬱々とした感情に苛まれてしまう。抑制英できないような感情を抱いたままでは、いつ失態を招いてしまうか分からない。そのような姿を彼らに晒す前に退散してしまおう。もうアーサーの気分も復活したのだから、これ以上ここに止まる必要は無い。
そう気持ちを切り替え、菊は帰宅の準備を始めた。
「テメェの何が絶品か知らねぇけど、俺が作ったスコーンの方が格別に美味いんだからな!」
途端、フランシスの表情が恐ろしい物でも見たかのような恐怖に染まる。昔から料理好きと称しているにも関わらず、アーサーは料理が下手であった。手際はいいのに、何故か出来上がった料理の味は凄まじくおかしい。正直、不味いというのすらおこがましいほどだ。
それなのにスコーンだけは美味いと自信を抱くあたり、料理を侮辱しているとフランシスは常々洩らしていた。けれどアーサーが料理を辞めようとしないので、その件については触れずにおいた。
「それでは、私はそろそろお暇いたします」
「もう…、帰るのか?」
どこか名残惜しい表情を見せるアーサーに後ろ髪は引かれるが、菊にもやる事がある。いくら気ままな寮生活とはいえ、時間は限られていた。
「はい、本日のミッションはもう終わりましたし…」
まだ午後のお茶の時間を少しだけ過ぎたばかりだというのに、アーサーの行く手を塞ぐかのように濃く立ちこめる霧。
いくら勝手知った学園の裏庭とはいえ、極限まで視界を妨げられては動きようがない。ならば余計な体力を使うことなく、オペレーターからの情報を待ってから動いた方が合理的ではないかとアーサーは考えていた。いくら魔道師の装飾を身に着けていても、周囲に漂う濃霧の詳細を知らないまま動けば、顛末がどうなるかくらい想像がつく。
古来から伝わる魔導師としての出で立ち 頭部に青色のシルクハットを載せ、地面をこするほど長い青色の外套を肩から流し、両手には真っ白な手袋をつけていた。
しかし、手袋に覆われた掌を硬くにぎり、靴のつま先で地面を叩くその苛つきようは濃霧の中であっても、モニター前に座るオペレーターにハッキリと伺えた。
『菊ッ! 情報はまだなのかよ!』
苛立つ声が、オペレーターのインカム越しに響く。
「もう少しだけ待ってください。今日は磁場が荒れてて、上手くスキャンが……」
菊と呼ばれたオペレーターは、条件反射的にモニターの中のアーサーに向け頭を下げ、謝罪を口しながらも素早くキーボードを叩けば、それにあわせ端末のディスプレイが目まぐるしくスクロールしていく。
幾つも設置されたモニターには大量の文字情報が溢れ、その中から必要とされる情報だけを選び出しながら、アーサーが対峙する妖魔に関する能力を分析する。それは緊迫した状況の中でもかなり重圧的な作業であるため、菊は懸命に五指を動かし、情報を集約することに集中した。
「でました! 障気レベルAA。今回は護符の効かない妖魔のようです。出現座標確定。属性 傲慢。その名は、スペルビア!」
『了解』
菊からの情報を得ると『……我との盟約に応じよ』とインカムから呪文が流れた直後、派手な爆音と耳をつんざくような妖魔の断末魔が洩れてきた。
今日は簡単に妖魔を掃討できたようだ。しかし、戻ってきたアーサーの頬や首には無数の切り傷が残り、それらは思った以上に苦戦を強いられた事を物語る。
「お疲れさまです、アーサーさん」
戦闘用の外套を脱ぎ、生徒会室へ戻ってきたアーサーを労うように出迎えた菊であったが、アーサーは無言のまま執務机の椅子へと腰掛け深い溜息を零した。そのまま上体を背もたれへ預け、双眸を閉じる。
今日は、疲労の色がいつになく濃い。
「あの…何か飲まれますか?」
「ああ……、温かいのを」
短い言葉を返したアーサーは室内を照らす電灯すら邪魔なのか、細い腕で目元を覆ってしまった。
それを横目に、菊はお茶を用意するため生徒会室奥に設置されたダイニングへと歩き出す。その途端、菊を呼び止める明るい声が室内に響いた。
「菊、心配は要らないよ~」
「フランシスさん!」
アーサーから漂う緊張感のせいか、室内の空気が混沌とする中、その空気を読んでいないのか、それとも読む気など最初から無いのか、陽気な声でフランシスが奥から現れた。手には銀のトレイを持ち、トレイの上に乗るカップからはあたたかな湯気が立ち上り、室内がその香りに包まれる。
「ご主人様 淹れたてのミルクティーでございま~す」
砕けた口調でカップを執務机の上に置く彼に、菊は安堵感を抱いた。
闘いに勝利したとはいえ、その内容に満足していないのか沈痛な面持ちを浮かべるアーサーに対し、賞賛することも、また気持ちを解すだけの話術も、菊は持ち合わせていない。
けれどフランシスは違う。どんなに緊迫した場面になろうとも彼の持ち味を最大に活かし、場を和ませてくれる。
今だってそうだ。
アーサーは紅茶の香りにあからさまな興味を示している。そんな姿を見てしまうと、彼のサポート役として戦いを共にしていても、やはり幼馴染みには、到底、敵わないのだと思い知らされるようで、少しだけ心が痛んだ。
「ホント紅茶だけは美味いよな、お前」
「…だけ、じゃないでしょ! お兄さんは全てが絶品でしょうが!」
紅茶を飲んだことで、アーサーの頬に赤みが戻ってきた。そればかりか、フランシスに対しいつものように棘を交えて話す姿に、ようやく本調子を取り戻したと菊はさらに安堵する。気付けば、いつの間にか沈んだ気持ちになっていた。
仕方がないと分かっていても、いつも彼が絡むと余計な感情が芽生えてしまう。
恋をすると人は盲目になる――。それは真実なのかもしれない。何気ない会話であったり、日常的な行動の一端であっても、好きな相手の事なら全てが気になる。そればかりか余計な感情に心を焦がすようになるから、不思議だ。
恋を覚える前はただの友達だった。その頃のままの気持ちで今も付き合えたなら、こんな想いを抱かなくて済んだはず。なのに、それが出来ない。どうやら恋というのは、人を駄目にする作用を秘めているようだ。
それでもこの恋心は、ずっと隠しておくと決めていた。告白するつもりは最初からない。負け戦と分かっている勝負に挑むほど勝気でもないし、出来る事ならこの感情が早く冷めて欲しいとさえ思っていた。しかし、そんな事は当分出来そうに無い。半ば諦めの境地を抱きつつも、それでもここまで頑なになるには訳がある。
アーサーには想い人がいる。
これまで彼をサポートしてきたからこそ、分かる事実。それを承知の上で、恋の勝負に挑むほど愚かではない。それ故、恋に溺れないようきちんと感情を抑制した上で、彼のサポートについていた。
それでも菊には、幼馴染みであることはある種、特権のように映り、何気なく見せつけられるようで居たたまれない。恋というのは、本当に厄介でしかない。
それにアーサーの事になると、つい鬱々とした感情に苛まれてしまう。抑制英できないような感情を抱いたままでは、いつ失態を招いてしまうか分からない。そのような姿を彼らに晒す前に退散してしまおう。もうアーサーの気分も復活したのだから、これ以上ここに止まる必要は無い。
そう気持ちを切り替え、菊は帰宅の準備を始めた。
「テメェの何が絶品か知らねぇけど、俺が作ったスコーンの方が格別に美味いんだからな!」
途端、フランシスの表情が恐ろしい物でも見たかのような恐怖に染まる。昔から料理好きと称しているにも関わらず、アーサーは料理が下手であった。手際はいいのに、何故か出来上がった料理の味は凄まじくおかしい。正直、不味いというのすらおこがましいほどだ。
それなのにスコーンだけは美味いと自信を抱くあたり、料理を侮辱しているとフランシスは常々洩らしていた。けれどアーサーが料理を辞めようとしないので、その件については触れずにおいた。
「それでは、私はそろそろお暇いたします」
「もう…、帰るのか?」
どこか名残惜しい表情を見せるアーサーに後ろ髪は引かれるが、菊にもやる事がある。いくら気ままな寮生活とはいえ、時間は限られていた。
「はい、本日のミッションはもう終わりましたし…」
作品名:MONSTRE GREEN-REGARDe 作家名:ふうりっち