ゆめゆめ
カチ、カチ、カチ、
フリントを親指の腹で擦る。その度に小さな火花が散るも、咥えた煙草の先にその炎が移ることは無かった。
最早、飽きさえくるだろうその動作も、伝う水の雫も、男にはどこか間接的に伝わってくる。
ただ、静かだった。
夜も更けた港は、昼間のそれとはあまりに対照的であるからか、その静けさが恐ろしく不気味で、土方十四郎がジッポライターの火をつけようと足掻く音と降り始めの緩慢とした間隔の雨音とが、余計に響く。余計に響くからこそ、場の静けさを誇張していた。
シュボっと乾いた音を立てて、火柱が上がり、紫煙が湿った空気に混ざり込む。
ようやく肺の中に流れこんだその味を噛み締めては唇から離して、吐き出した。
――これ以上、姉上の幸せブチ壊しにするのは止めて貰いてーんですが
なァ、総悟。
俺にゃそんな大層な真似なんざできねーよ。
出来る筈もねーんだ。
ゆめゆめ
「おい山崎、煙草買って来い」
「え、もう切れたんですか?副長、吸いすぎですよいくらなんでも」
「うるせぇよ、いいから行って来い。大体何でお前アフロなんだよ腹立つな」
ブロッコリーのように膨れ上がった山崎の頭を一度思いっきり殴る。
恨みがましく此方を睨みつける目など気にも留めずに、土方は最後の一本に火を点けた。
「あれ、副長ライター変えました?何時ものあのふざけたマヨネーズの・・・」
「ふざけてんのはてめぇの頭だろうが」
もう一度、今度は拳を握り締めて頭頂部に振り下ろす。
山崎の苦痛の叫び声が屯所に響き渡った。
「さっさと行けって言ってんだろうが。それとも何か、そのふざけた頭ぁ首ごと跳ね飛ばされてーか」
抜刀してその先を山崎の首元に当てれば、血の気を消してひぃと上ずった声を出しては後退する。
「い、行かせていただきます!」と無理矢理に笑顔を搾り出せば、即座に走り出した山崎の後姿が見えなくなれば、刀を納めて紫煙を吐き出した。
傾きかけた太陽が、分厚い雲に遮られながらもゆっくりとその姿を沈めていく。
ちりちり、と音を立てながら最後の煙草を侵食していく炎を指先に感じた。
::::::
初夏の太陽は夏本番のそれとは劣るものの、つい先日までの柔らかな陽気に慣れた体には聊か厳しく、土方は大きく息を吐いて首元のスカーフを緩めた。久方ぶりに踏んだ故郷の土の感覚、予想以上に落ち着いていた、気味が悪いくらいだった。
結局、そういう人間なのだ、自分は。
懐から煙草を取り出す、口に咥えようとして、丁度『構内禁煙』の張り紙が目に飛び込んで舌を打つ。
携帯電話のディスプレイを見てから、時刻表を見直す為にベンチから腰を上げた。
そんなことをしても早く電車が来る訳でも無いのは百も承知で、だが余りに手持ち無沙汰で到着時刻などもうとうに覚えてしまったというのにその行為を続けた。
14時台を指で横になぞる、45分に一本。その次は15時50分。昔は大体にして電車など乗る機会も然程無かったし、大して気にも留めなかったが、気ぜわしい毎日にどっぷりと浸かってしまった今となっては辟易もしたくなる。
( ったく、山崎の野郎覚えてやがれ )
先に帰ってていい、自分は一人で帰るから、と部下に言ったのは間違いなく土方本人であり山崎に怒りの矛先が向くのはとんだお門違いなのだが。
溜まった苛々をぶつける場所が、他に見当たらなかった、だけのこと。
もう一度どっかりとベンチに座り直してから、目に入った時計が電車が到着するまでの時刻まで30分を示している。
30分待つか、それとも今すぐ迎えを呼ぶか。
この時間まで待ったのだから、此処で諦めるのは何処と無く口惜しい気もする。別に、誰と勝負している訳でも無いのだけれど。
考えあぐねて、視線を上げれば燕が滑走して空へと吸い込まれていくのが見えた。
影になっているところに見える巣から、チュンチュン、泣き声か鳴き声か。
「――・・・十四郎さん?」
耳障りの良い声が、閑散としたプラットホームに柔らかく響く。
大声でも無かったのに、まるで鐘でも叩かれたかのように土方の頭の中に反芻した。
「あ・・・・・」
「――・・・・お久しぶり、です」
此方が口を開くより前に、柘榴の眸が細められた。土方は「ああ」と端的に返して、「久しぶりだな」とオウム返しに続ける。
彼女は差していた日傘を、丁寧に閉じた。白いそれと、同等なんじゃないかと思ってしまう肌が太陽に晒されて、余計に。
「今日はお仕事ですか?」
「ああ、まあな」
「こんな田舎まで、副長さんって大変なのね」
此方に向かない視線、土方もまた、彼女を視界に入れずにただただ向かい側のホームを見ていた。
「そーちゃんは、ちゃんと元気でやってるかしら」
「――・・・相変わらず、だな」
「そう」
相変わらず、か。
小さく笑った声が、子燕の鳴き声と重なる。
「毎日、忙しい?」
「――・・・まあ、仕事してるわけだしな。此処に居た時みてぇに遊んでるわけにゃいかねーよ」
そうね、そうよね。
嗚呼、
胸中に蠢く無気味さの正体を、土方は唐突に理解した。
狡猾な思索と、
漠然の情動の不和故に。
「――・・・じゃあ、私はそろそろ」
「ああ」
会釈を返してミツバは向かい側のプラットホームへ続く階段を登る。
一段、二段。
ぱたりと、止まった。
「――あ、ひとつだけ」
お願いがあるんですけれど、
再度土方の姿を映し出す眼に、目が眩みそうになるのは日差しの所為か。
肩からだらりとぶらさがっただけの、土方の腕、その先の手のひら。
細い指が触れて、香った菖蒲。
「落し物、拾ったんです。届けてくださいね」
煙草は身体に悪いのに、
するりと離れた。
親燕が、また空へ吸い込まれるようにと飛んでゆく。
階段を登るにつれて、視界から少しずつ消えてゆく彼女を、ただ黙って見つめた。
右手を握り締める、金属の感覚、親指でなぞるフリント。
カタカタと線路が揺れる音、プアアンと響く鼻の抜けるような高音に顔を上げた。
「 」
微笑んだ彼女が、手を振る、すぐにそれは遮られ、奪ってゆく。
もう一度音が響き、動き出した後に残ったのは、さっきと変わらない空虚なプラットホーム。
15時6分。
あと、14分。
「遺失物は俺らの管轄じゃねェってんだよ」
カチ、
親指でフリントを擦れば、刹那に火花が散り、消えてゆく。
「んっとに、」
馬鹿な女
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「全部知ってたんじゃないですかね」
あくまで推測なんですけど、
消毒液を染み込ませたガーゼを、傷口に押し付けながら山崎が口を開いた。
「自分が利用されてるってことも、」
自分がもうすぐ死ぬってことも。
「だったら、何だ」
「さすが沖田さんの姉上さまですよね」
知りながらも、恨み言のひとつも言わずに笑って、最期に「幸せ」だった、なんて。
「気丈なお人ですよね、俺には到底真似出来ませんよ」