ローズマリー・デイ
七月四日。毎年、この日の朝には、必ずアメリカに電話をかける。独立おめでとう、とその一言のためだけに。そしてアメリカの返事は決まってこうだ――「君さあ、毎年毎年そうやって嫌味たらしく電話してくるの、やめてくんない?」
無論そんなつもりでわざわざ電話を掛けているのではない。そりゃあ心の底から祝っているのだと言うと嘘になるけれど、それでもやっぱり、一応は祝う気持ちで言葉を掛けている。
俺は憶えている。アメリカが反旗を翻したときの失望も、独立を宣言したときの虚無感も、なにもかも。あいつが今では自分よりも大きな国になってしまっていることが、こうしてときどき、どうにも信じ難い気持ちになることがある。憶えている、まだ小さかったアメリカも。田舎者だったのがようやく立派な国になって、フランスの野郎を打ち負かして、そうしてやっと手に入れた弟分を可愛がって可愛がって、有頂天になっていた俺のことも。
日本の家は、いつ来ても庭が綺麗だ。つねに何かの花が咲いている。それも、来る度にちがう、季節の花。うすべに色やすみれ色をした朝顔たちが瑞々しく咲いていて、いったいどこに身を隠しているのか、姿の見えない蝉たちもわんわん鳴いていた。まだ夏は始まったばかりだ。
俺が中に上がったとき、ちょうど日本はアメリカと電話をしていた。独立記念日を祝うもので、あとは大した用事はなかったのだろう、俺に気付くと日本は終わりの挨拶もそこそこに電話を切った。
「急にいらっしゃるもんだから、びっくりしてしまいました」
「なんだかお前に会いたくなって、居ても立ってもいられなくなったんだ」
そうして飛び出してきたはいいものの、俺はさっそく後悔していた。
「……でも、やっぱり、いきなりはまずかったか」
「いいえ。とんでもない」
軽く首を横に振り、ふわりと微笑む日本。
「私も会いたかったです、イギリスさん」
どうぞ、と言って通されたいつもの客間で、よく冷えたいつもの麦茶を頂いた。座卓をはさんで向かい合いながら茶を飲み、のんびり庭を眺めるだけで、とんでもなく平和な気分になれるのが不思議だ。最初の頃は床に座るというのが慣れなくて、苦労したけれど。今ではこの畳の、い草の匂いが好ましいとさえ思えるようになった。日本の家は風通しのよい造りになっているらしく、開け放した障子の向こうから、緩やかな風が流れてくるのが心地良い。外の蒸し暑さなど疑いたくなるほどに。
今回出されたお茶請けは水羊羹だった。水分が多くて、やわらかくて、とてもあまい。いきなりの訪問だったのに、ちゃんと和菓子が用意されているあたりは流石だ。隙がない。
隙がない日本は、的確で無駄のない話題を放り投げる。
「アメリカさんったら、またイギリスさんの文句を仰るんです。折角の記念日なのに、あいつのおかげで朝から気分が悪いんだー、って」
日本は愉快そうにくすくす笑って、「お二人は本当に、仲がよろしいようで何よりです」と言ってまた笑った。
「そう思うか?」
「ええ、とても」
ふわりと笑う日本につられて、俺も笑った。日本と二人でいるとき、俺は不思議と素直な気持ちになれる。
そういえば、俺と日本は似たもの同士だと、ときどき言われることがある。まあ確かにそうかもしれない、と思うところはいくつかあるにはある。美しい四季を感じられるし、自然を愛しているし、伝統を重んじている。そして何より、彼は島国だ。大陸から切り離された海原に、ぽつんと浮かぶ島国同士だ。日本がずいぶんと長いあいだ鎖国をしていたように、俺にも孤立を保ち続けていた時期があった。だがその光栄ある孤立も、日本と同盟することで終わってしまったのだった。
日本とはじめて会った日のこと。あれは忘れもしない、とても寒い冬の日のことだった。雪化粧して真っ白になったロンドンの街の、ランズダウン侯爵邸で。同盟調印のためにやってきた日本は、あまりの寒さで頬を林檎みたいに赤くしていた。鼻先もちょっぴり赤らんでいて、それがなんだか可愛らしく思えた。型通りの挨拶を終えたあと、黒目がちの眼をくるくる輝かせるようにして、俺の顔をまじまじと(けれど不快ではなかった)見つめた日本は、小さく感嘆して言ったのだ。
――イギリスさんの眼は緑色なのですね。アメリカさんや、フランスさん、ドイツさんたちの青とは違う、緑色。とても、すてきです。
日本は世辞の上手い国だと聞いていたけれど、それでも面と向かって言われると照れてしまって困った俺は、同じようにして日本の眼の色のことも褒めた。実際、とてもうつくしいと思ったのだった。深く、吸い込まれるような色の濃やかな瞳は、自分の周囲ではなかなか見られない。
――お前のも、すごく、良いと思う。うん。中国と同じ、黒みがかった栗色だな。
そう言うと、日本はすこし複雑な笑みを浮かべながら、ありがとうございます、と頭を下げた。当時、俺たちは植民活動に躍起になっていた。
俺と日本は確かに似ているところがいくつかある。が、もっと根本的なところで、まったく違っているということ。あの日、ちいさな体をかっちりと包み込んでいた、まっしろな洋服がその証拠だった。
無論そんなつもりでわざわざ電話を掛けているのではない。そりゃあ心の底から祝っているのだと言うと嘘になるけれど、それでもやっぱり、一応は祝う気持ちで言葉を掛けている。
俺は憶えている。アメリカが反旗を翻したときの失望も、独立を宣言したときの虚無感も、なにもかも。あいつが今では自分よりも大きな国になってしまっていることが、こうしてときどき、どうにも信じ難い気持ちになることがある。憶えている、まだ小さかったアメリカも。田舎者だったのがようやく立派な国になって、フランスの野郎を打ち負かして、そうしてやっと手に入れた弟分を可愛がって可愛がって、有頂天になっていた俺のことも。
日本の家は、いつ来ても庭が綺麗だ。つねに何かの花が咲いている。それも、来る度にちがう、季節の花。うすべに色やすみれ色をした朝顔たちが瑞々しく咲いていて、いったいどこに身を隠しているのか、姿の見えない蝉たちもわんわん鳴いていた。まだ夏は始まったばかりだ。
俺が中に上がったとき、ちょうど日本はアメリカと電話をしていた。独立記念日を祝うもので、あとは大した用事はなかったのだろう、俺に気付くと日本は終わりの挨拶もそこそこに電話を切った。
「急にいらっしゃるもんだから、びっくりしてしまいました」
「なんだかお前に会いたくなって、居ても立ってもいられなくなったんだ」
そうして飛び出してきたはいいものの、俺はさっそく後悔していた。
「……でも、やっぱり、いきなりはまずかったか」
「いいえ。とんでもない」
軽く首を横に振り、ふわりと微笑む日本。
「私も会いたかったです、イギリスさん」
どうぞ、と言って通されたいつもの客間で、よく冷えたいつもの麦茶を頂いた。座卓をはさんで向かい合いながら茶を飲み、のんびり庭を眺めるだけで、とんでもなく平和な気分になれるのが不思議だ。最初の頃は床に座るというのが慣れなくて、苦労したけれど。今ではこの畳の、い草の匂いが好ましいとさえ思えるようになった。日本の家は風通しのよい造りになっているらしく、開け放した障子の向こうから、緩やかな風が流れてくるのが心地良い。外の蒸し暑さなど疑いたくなるほどに。
今回出されたお茶請けは水羊羹だった。水分が多くて、やわらかくて、とてもあまい。いきなりの訪問だったのに、ちゃんと和菓子が用意されているあたりは流石だ。隙がない。
隙がない日本は、的確で無駄のない話題を放り投げる。
「アメリカさんったら、またイギリスさんの文句を仰るんです。折角の記念日なのに、あいつのおかげで朝から気分が悪いんだー、って」
日本は愉快そうにくすくす笑って、「お二人は本当に、仲がよろしいようで何よりです」と言ってまた笑った。
「そう思うか?」
「ええ、とても」
ふわりと笑う日本につられて、俺も笑った。日本と二人でいるとき、俺は不思議と素直な気持ちになれる。
そういえば、俺と日本は似たもの同士だと、ときどき言われることがある。まあ確かにそうかもしれない、と思うところはいくつかあるにはある。美しい四季を感じられるし、自然を愛しているし、伝統を重んじている。そして何より、彼は島国だ。大陸から切り離された海原に、ぽつんと浮かぶ島国同士だ。日本がずいぶんと長いあいだ鎖国をしていたように、俺にも孤立を保ち続けていた時期があった。だがその光栄ある孤立も、日本と同盟することで終わってしまったのだった。
日本とはじめて会った日のこと。あれは忘れもしない、とても寒い冬の日のことだった。雪化粧して真っ白になったロンドンの街の、ランズダウン侯爵邸で。同盟調印のためにやってきた日本は、あまりの寒さで頬を林檎みたいに赤くしていた。鼻先もちょっぴり赤らんでいて、それがなんだか可愛らしく思えた。型通りの挨拶を終えたあと、黒目がちの眼をくるくる輝かせるようにして、俺の顔をまじまじと(けれど不快ではなかった)見つめた日本は、小さく感嘆して言ったのだ。
――イギリスさんの眼は緑色なのですね。アメリカさんや、フランスさん、ドイツさんたちの青とは違う、緑色。とても、すてきです。
日本は世辞の上手い国だと聞いていたけれど、それでも面と向かって言われると照れてしまって困った俺は、同じようにして日本の眼の色のことも褒めた。実際、とてもうつくしいと思ったのだった。深く、吸い込まれるような色の濃やかな瞳は、自分の周囲ではなかなか見られない。
――お前のも、すごく、良いと思う。うん。中国と同じ、黒みがかった栗色だな。
そう言うと、日本はすこし複雑な笑みを浮かべながら、ありがとうございます、と頭を下げた。当時、俺たちは植民活動に躍起になっていた。
俺と日本は確かに似ているところがいくつかある。が、もっと根本的なところで、まったく違っているということ。あの日、ちいさな体をかっちりと包み込んでいた、まっしろな洋服がその証拠だった。