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ローズマリー・デイ

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 それから俺たちは、すぐにお互いを好きになっていった。もう百年ほども前の記憶だ。四カ国条約締結を期に俺たちの同盟は解消してしまったけれど、こうして穏やかな感情は持ち続けている。同盟の失効以降は互いの家に泊まることはなくなったが、ちょこっと遊びに行く程度の交流は続いていて、その度に、いつ会っても日本は俺の気持ちをやわらげてくれる、ある意味で特別な存在だと思うのだった。
「訊いてもいいか」
 そう言うと日本は、やはり来たか、というふうに居住まいを正し「はい、なんでしょう」と応えた。今日この日に、俺が訪ねてきたという時点で何となく察していたに違いない。そう。今日、この日に。俺が弟を手放した日に。
「中国に刃を向けたとき……どんな、気持ちがした」
 ちりん、と風鈴が涼やかな音を立てた。感覚を研ぎ澄ましなさいと命ぜられるような、とくべつな音だと思う。
 日本は小さく息を吸って、「イギリスさんには少し残酷な言葉かもしれませんが、」と言い、記憶の糸を手繰るようにぽつりぽつりと話し始めた。
「――辛さはあまり感じなかった、というのが正直なところですね――あのころは自分が生き残るので精一杯でしたから。列強の波に押し流されないように、無い背を伸ばして伸ばして」
 若いひとたちについていくのは本当に大変だったんですよ、と苦笑するので、俺も曖昧な笑いで頷いた。大変だった、と日本は言うが、実際にやってのけてしまえたのが凄いところで、また、かなしいところだと思う。日本の順応能力には目を見張るが、そのせいで時折さみしさを感じてしまうことがある。俺たちが出逢ったころにはすでに、すっかり似合ってしまっていた、白い洋服のそれ。
「それに、」と日本は手元の茶の水面を眺めながら言って、「いつまでも子供扱いしてくる兄に対して、苛立ちを感じることは何度となくありましたし」と、悪戯っぽく笑ってみせた。
「そいつは耳が痛いな」
 今度は俺が苦笑する番だった。そんな俺をみて、ふふっと笑い、
「でも、今の私があるのは中国さんから色々なことを学んだからですし、彼が私の大切な兄であることに変わりはありません。怨慕や悔恨が無いと言えば嘘にはなるけれど、それでも唯一無二の存在であることには違いない……あのひとにとっての私も、そうであることを願うばかりです」
 と言った。
 俺は、日本の毅然として、それでいて優しく、深い情を内包したその言葉に、いつのまにか心が落ち着かされていることに気付いた。ほっとした。それが、都合の良い錯覚であることはわかっている。アメリカと日本は違う。それでも、少なからず安心したのは事実だった。
「ありがとう、日本。……なんだかお前と一緒にいると、いつもの俺じゃなくなるみたいだ」
 そう言うと、日本は吹きだしてからからと笑った。俺も我ながらに、もっと他に表現はなかったのかと思う。
「それじゃ褒められているのか何なのかわかりませんよ。でも、そうですね。二人っきりのときのイギリスさんは、普段に比べるとずいぶん大人しいです」
 言いながら、押し殺しつつも未だくつくつと笑っていた。憶えている。日本は、一度ツボにはまるとなかなか抜け出せないタイプなのだ。
「そ、そんなに笑うようなことじゃないだろっ」
 流石に恥ずかしくて顔が熱くなる。
「すみません、つい。イギリスさんがあんまり可愛いもんだから」
 ようやく笑いの波が去っていったのか、日本は落ち着きを取り戻した様子で残りの茶を飲み干した。可愛い、は聞き捨てならないな、と思って俺が何か言おうとしたとき、「でもイギリスさん、」と日本が先に口を開いた。
「どうしてそんなこと訊こうと思ったのです? わざわざ私なんかに尋ねなくとも、十分わかっているでしょうに」
「……わかっている、って……?」
 俺は必死で頭の棚を漁り始めた。俺はぜんぶ憶えているから。
「イギリスさんにだって、まだ幼かった時代があったでしょう? そのとき、誰と争って大きくなっていったのか、どうしても越えて行きたかった相手は誰だったか」
「あ……」俺は若干納得がいかないながらも、日本の言わんとすることに思い至った。「そうか、そういうことか」
 ちびで無知だった俺は、生きるためには大陸を追いかけるしかなかった。知識も技術も流行も何もかも。フランスのいる、海の向こう側。目に映るのはいつも、あいつの背中だけだった。お互い睨み合いながら、だが依存していたことも否定できない。百年ものあいだ喧嘩したことだってあるし、勝ったり負けたりした。悔しくて喧嘩ばかりした。いつか這い上がるために、依存しなくてすむように、自分の足で歩けるように。
 そうしているうち、世界の中心だと謳われるほどの大国となり、大陸の奴らを蹴散らしながらフランスの野郎もこてんぱんにして――今度は自分が兄になったのだった。
「……俺も、自分が生き残るので精一杯だったよ、日本」
 広くて狭い世界に対して、自分という存在を示したかった。それに日本も頷く。
「誰もが一度は通らなければならない道です、自分が自分であるためには」
 そう。だから悲しむ必要などないのだ。弟に銃口を向けられた日を。
 だけれどそれとは別に、どうしても淋しくなることがある。今、あいつは俺のことをどう思っているんだろうとか。過去のことをどう思っているのだろうかとか。アメリカだけじゃない、今まで俺と関わってきたすべての者たちが、どう思っているのだろうか、と。俺はこんなにも憶えているのに。ありありと、目に浮かぶのに。感じるのに。
 それともこんなふうに堪らなくなってしまう俺がおかしいのか?
 たとえば日本、日本は、俺のことを憶えてくれているだろうか。ただ単に過去にあった記録として、記号として覚えているのではなく――ちゃんと、憶えていてくれて――……
 俺の心の内をよそに、日本は、
「でも、まあ……すべては過ぎたことですからね」
 と言って微笑んだ。
 俺は胸の苦しさで返す言葉が見つからず、不自然なまま喉が詰まった。
作品名:ローズマリー・デイ 作家名:明治ミルク