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ラボ@ゆっくりのんびり
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【イナイレ】花を売る人【R-15】

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 食え、とすでに殻のむかれた玉子が口元に寄せられる。柔らかな表面を歯でかじり取ると素朴だが懐かしい味がした。水もまともに飲めない佐久間を慮ったのか、あるいは単に時間がなかったのかわからないが、柔らかい白身に包まれた黄身はとろとろとして、受け止めきれなかった黄身が唇の端からたらりとこぼれた。源田の指がそれを掬い、佐久間の唇に寄せる。躊躇うことなく佐久間はその指を咥え、ほとんど習慣のように艶っぽく舌を這わせた。
「…………っ」
 源田が息を呑む。そっと見上げると源田の眉間に縦皺が深く刻まれているのが視界に入った。それを認めた佐久間はゆっくりと指を離し、ちいさく「ごめん」と言った。


 佐久間と源田の付き合いは長い。佐久間がこの見世で働き始め、それなりに人気が出たころ、源田は女衒に連れられて見世にやってきた。その時すでに身体の大きかった源田は「陰間として見世に置くことは出来ないが、ちょうど足りてなかった二階回しとしてなら」と店主に買い叩かれ元の半分以下の値で見世に置かれることを許された。人でなしの店主にしては慈悲深い待遇だと佐久間は部屋の中で思った。だが、源田が買われた本当の理由は人手不足というだけではなかった。
 当時、この見世の店主は、陰間茶屋には珍しい女店主だった。女将は元々どこかの大見世の花魁だったらしいが、年季を終えたあととある金持ちの好色爺に愛人として身請けされた。だが爺は身請けした数ヶ月後にぽっくりと逝き、女将に遺されたものは何一つないどころか、正妻や家族の者に邪険にされ屋敷を追い出された。もとより遊女の出である女将に頼れるところなど一つしかなく、二度とくぐるものかと決めていた大門に再度足を踏み入れた。
 女将には金があった。妓楼でなく陰間茶屋を造った背景には、自分より若く美しい女を手元に置きたくなかった思いがあったのだろうと思う。女将は自分の美しさを失うことを恐れた。指の隙間からこぼれ落ちる前に適当な男と家庭を作りながら茶屋を経営しよう──と思っていたのだろう。
 女将の誤算は数ヶ月後に発覚した。好色爺の子を孕んでいたのだ。腹の中に子がいる状態で、他の男のところに嫁ぐことなどほとんど無理に近い。結局、女将はひとりで子を産んだ。産まれた男の子は皮肉にも好色爺には全く似ず、女将と瓜二つの顔を持ってこの世に生を受けた。明王と名づけられた子どもに、女将は同じ名を模した仏像のよう強く在ってほしいと願った。
 女将は独り身のまま茶屋を経営していた。元々人気の花魁ということもあり、見世に訪れる客は他の茶屋より多い上に佐久間の評判が思ったり良かったおかげで売り上げは悪くなかった。一人息子が仕事を覚えはじめ、見世は明王に任せて悠々自適の老後を送ろうか本気で考えはじめたころ、源田が見世に現れた。
 結論から言えば、源田は女将の好みにぴったりだった。長年ひとりで苦労をしてきた女将は女の幸せを得ることのないまま死にゆくと思っていたのだろうが、唐突に現れた源田に、生娘じみた言葉で言えば「一目惚れ」した。安価で買われた源田は、二階回しとしてもだが、何より女将の慰みものとしてこの見世に迎えられたのだ。
 見世の終わったあと、陰間茶屋らしからぬ嬌声が響き続けたのを知らない者は、いない。


 その事実が源田の中でどういうように決着付けられているのかはわからない。はやり病で女将が逝ったあと、源田は性的なものに対する嫌悪感を強めた。そんな男が茶屋で働いているのだから笑いものだ、と佐久間は既に何度か源田に向かって言い放っていたが、その都度源田は眉尻を下げて笑うだけだった。その笑顔があまりに痛々しく、やがて佐久間は源田をからかうことをやめた。
 それを知っていたはずなのに──と、佐久間は小さく舌を鳴らす。
「……助かったぜ、源田。元気出てきた」
 玉子を咀嚼し終えて礼を言ったとき、源田の眉間の皺は既に消えていた。普段通りの、お節介で優しい表情のなかに心配の色を濃く滲ませながら佐久間を見下ろしていた。どうにも気恥ずかしくてそっと視線をそらす。
「そろそろ、不動も出してくれると思うから」
 源田の手が佐久間の髪の毛を撫でる。記憶にも残っていないほどの遠い昔、こうして誰かに撫でられたことがあったような気がした。その手の持ち主は顔も覚えていないし、生きているのかさえ分からない両親だろうか。
 何日も湯屋に行っていないから汚いはずなのに源田は仔猫を慈しむような動きで佐久間の頭を撫で続けた。汚いからやめろと制するつもりで開いた唇が紡いだのは「俺がここに入れられてどれくらい経った?」という、全く見当違いのものだった。
「十日。二週間目に出すって言ってたから、もう出れると思うぞ」
「……今回は長かったな」
「まあ、あの客が怒鳴り込んできたからな。お前の指が折られたってこと差し引いても、佐久間はちょっとやりすぎた」
「仕方ねえだろ。突っ込まれるならまだしも、指折られるなんて思ってもなかった」
 ため息をついたのと同じ瞬間に源田の手のひらの動きが止んだ。そろそろ仕事に戻るのだろうかとそらした視線をもう一度源田に向けると、源田は何かを深く考え込むような表情を浮かべていた。感情をすべて消し、目の前の数字の羅列をただ無機質に眺めているような、冷たく重たいものだ。
 長い時間を同じ見世の中で過ごしてきたけれどこんな表情は知らなかった。そんな表情が出来ることさえ、知らなかった。
「源田……?」
 僅かな不安感を覚えて唇を動かす。名を呼べば源田は現実に引き戻されるだろうという一縷の望みがあったが、源田はその重苦しい表情のまま、視線だけを佐久間に向けた。
 手のひらは相変わらず動かない。不釣合いなほどのあたたかいぬくもりを、佐久間は喜ぶべきなのか慄くべきなのか分からない。
「……佐久間は、いつまでこの仕事を続けるつもりなんだ」
「え?」
 突拍子もない言葉に素っ頓狂な声をあげてしまう。だが源田はそんなことを気にも留めず、同じ言葉を繰り返した。
「いつまでって……年季明けまでは続けなきゃならねえだろ」
「お前はそれで良いのか」
 源田の真意がつかめない。栄養の足らない身体は少し動かすだけでも相当の体力を必要としたが、佐久間は重たい首を動かし、顔と顔を突き合わせて源田を正面から見つめた。

「佐久間。ここから出て行きたいとは、思わないか」