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愛を騙る

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傷付いた赤い手に清潔感溢れる白い包帯が綺麗に巻かれていく。
俺と晶馬と、陽毬の居ない空虚と。
沈黙が痛く突き刺さり、耐えられなくなった俺は晶馬の乱れた髪をくしゃりと撫でた。

「んな顔すんな。お前が思ってる程痛くねぇから」

笑ってみせても、晶馬は少しもこっちを見ようとしない。
俯く事で主張する長い睫毛が濡れそぼって痛々しい。

「…ごめん」

機械的に動かしていた手をぴたりと止め、また瞳が潤み出す。
先程からこの繰り返しだ。何を話しても只管『ごめん』を反復するだけ。
この言葉に逃げられない現実を思い知らされて、思いがけず苦い表情を作ってしまう。
晶馬が悪いわけじゃない。晶馬も言わば一種の被害者なのだ。
分かってはいても、俺はどうしようもない苛立ちに呑み込まれてしまいそうで、どんよりと黒く蝕む心を振り切る様に声を振り絞った。

「晶馬、手が留守になってるぞ」

「あ、うん。ごめん」

「ごめんはもういいから」

「ごめん…」

「だから、」

「ごめん。本当にごめん、謝るから。土下座でも何でもするから、もう無茶しないで」

冠葉は、冠葉の為に、生きて。

陽毬と同じような台詞を唇に乗せて、晶馬が僅かに瞳を上げた。
堪え切れなかった滴が、晶馬の傷一つない綺麗な頬を滑っていく。
それを目に留めたと同時に身を固くして視線を逸らす。
晶馬の涙は苦手だ。どんなに時を重ねようが克服出来そうにない。

わかった、と一言嘘を吐くだけで、晶馬の心は軽くなるかもしれない。
でも一度言葉にしてしまえば、きっと引き返せないと思った。
だから、ここで頷くわけにはいかない。
晶馬の震える瞳を振り切り、重い口を開く。


「決めたんだ」

陽毬の為に生きるって。

晶馬が少しだけ目を大きく見開いた後、きゅっと耐えるように口を結んだ。
知っていたような、そうでないような、曖昧な表情。
だけど、狼狽の色は窺えない。晶馬は確かに『覚悟』していた。

「陽毬の為に生きて、陽毬の為に死ぬ。俺は陽毬が―――」

晶馬はただ黙って俺の言葉を受けている。
触れられたままの手が熱を持って疼き、責め立てる。

「陽毬が笑っていられる日を、一日でも多く守りたいんだ」

だから、ごめん。
俺は晶馬が呟いた言葉をそのまま返した。
ぽたりと静かに零れた晶馬の滴が包帯に染みて色を変える。


「それじゃあ僕は、冠葉の為に生きるよ」

少しの沈黙の後、晶馬の僅かに低い声が鼓膜を震わせた。
伏せた瞳をそのままに、ぎゅっと包帯の端を力強く握り締めるか細い指。
晶馬の決意が込められている事に気付き、俺は心臓を鷲掴みにされたように苦しくなった。

「…やめろ。んな事簡単に言うな」

「嫌だ、止めない。僕は冠葉の為に生きて、冠葉の為に死ぬ。だから、冠葉が死ぬって言うなら、僕が代わりに死ぬ」

「馬鹿ッ、そんな事…」

「駄目だよね?僕が死ねば陽毬が悲しむから」

何もかもを悟った様な口ぶりに、ぐっと言葉を詰まらせる。
そうだ、陽毬は晶馬が死ねばきっと笑えなくなる。
俺が居なくなっても陽毬はきっと乗り越えていくのに、晶馬が居なくなったらきっと、駄目だ。
それは陽毬だけじゃなくて、俺さえも。
歯痒い現実に、噛み締めた唇から滲み出る赤。

「だから冠葉、陽毬の為に、生きて」

「やめろ…」

「何があっても、自分の為に生きて」

「やめろって、」

「冠葉の為なら、僕は何だって出来るから」

「晶馬、」

「なんなら、陽毬の代わりにしていいよ。似てるでしょ、陽毬と僕」

「しょうま、もう、」

「不思議だよね。本当の兄妹じゃないのに」

「止めろ!!」

大きな怒声は閑散とした空間に反響する。
だけど晶馬は動じる事なく俺を見据えていた。
妖艶に嗤う晶馬を見て、もう何を言っても戻れないのだと気付いて涙が溢れそうになった。

作品名:愛を騙る 作家名:arit