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茜空とほうき星

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 夕焼け空というものは、子供の頃のグラハムにとって、あまり好いものではなかった。
 後に続く夜の始まりを嫌でも認識させるため、橙色と群青色のツートンカラーが天空を支配し始めると、幼いグラハムの心は、憂鬱なものへと変わっていくのだ。
 闇はあらゆるものを変貌させる。
 それまで隠されていたものが表に出てくるというか、彼らにはこんな一面もあったのかと、驚きに目を見開いた瞬間は一度や二度では済まなかった。夜の闇はそれくらい、グラハムに恐怖を与えるものだった。
 けれどそれも、軍隊に入るまでのこと。
 初めて夕焼け空の中をフライトしたときの、あの美しさといったら、言葉にならないくらいたとえようがなかった。モニター越しではなく、本物の空に直接触れたいと思ったほど、あのオレンジとインディゴブルーの中に混ざりたくなったのだ。
 でもそれは不可能であることも知っていた。
 グラハムは空が好きだけど、空はグラハムの手の届かないところにある。
 天空とは、ただそこにあって、人々の心を様々に移ろわせるものなのだ。まるで、快晴や大嵐といった天候そのもののように。
 グラハムにとっての空は、どうしようもなく憧れてそばに近づきたいと恋い慕う、女神のような存在であった。


「ふぅん、そうなんだ」
 ソファに座ってグラスを傾けながら、ビリーがゆっくりと呟いた。
 時刻はもう、夜更けに近い。
 ここは彼の家で、グラハムは帰宅途中にふらりと立ち寄ったまま、ずっと長居しているのである。ビリーが断らないこともあり、彼が暇なときは、必ずといってもいいくらいそうしていた。
 どうして彼の家を訪れるのか、この感情がなんなのか、グラハムは自分でもよくわかっていなかった。まるで磁石に吸い寄せられる蹉跌のように、ここにきてしまうのだ。
「君が空を好きなのは知っていたけど、混ざりたいほど好きだとまで思っていたとは、僕の認識不足だったよ」
「いつもそんなことを考えているわけではないさ。ただあのときは初めてのフライトで、本当に目に映るものすべてが神々しくてな」
 だから感動のあまり、そんなことを考えてしまったのかもしれない。
 空を手に入れることは子供の頃からの夢だった。夢というよりは、たぶん、すべてだった。自分の胸のうちに抱きしめることができたなら、絶対にそうしていたはずだった。
「カタギリ。私は空がほしいのだ」
「無茶なこと言わないでくれるかな。いくら僕でも、できることとできないことがあるんだからね」
 本当におかしくてたまらないという仕草で笑い、ビリーは身体を揺らしている。
もちろんグラハムだって、物理的に空がほしいだなんて思ってはいなかった。けれど空に憧れて、それを手に入れたいという気持ちは、どうしたってなくならないのだろう。
 ではどうしたら、追い求めてやまない心を静めることができるのだろうか。代替品となれるものが、いつかは現れるのだろうか。そんなもので自分は満足するのだろうか。
 カランと、氷が踊る音が聞こえて、グラハムが視線をやると、ビリーの手がちょうどテーブルの上にグラスを置くところだった。
「君、少し酔っているだろ? そろそろ寝たらどうだい、明日も早いんだろ?」
「別に、酔ってないし、眠くもない」
 子供の駄々みたいなことを言っていると、自分でも思った。けれど眠たくないことは本当だった。まだしばらくはこのままビリーと、なんでもいいから会話を交わしていたかった。
 暗い夜に一人でいるのが苦手なのだ。こればかりはトラウマが払拭しきれないらしくて、今もグラハムを悩ませる。誰かに相談できればいいのだろうけど、夜が怖いだなんて、口が裂けても言いたくはなかった。
 茜色の空はやっと好きになれたのに、闇色の空はあいもかわらず不安を煽ってくる。
 ぐっすりと眠ってしまったら、明日の朝日も青空も見ることなく終わってしまうのではないか。そんな不安が、夜のたびに訪れるのだ。
 グラハムは物心ついてから、恐らく一度も熟睡をしたことがなかった。夜中に何があってもすぐに起きられるよう、眠りはいつも浅くしてあったのだ。その習慣が、こうして確かな生活を営めるようになった今でも、まだ治らないでいた。
 ふぅっと、ビリーの溜息が聞こえてくる。
「じゃあ、もう一杯だけ付き合うよ。それ以上は駄目だよ。僕は眠るからね」
「わかった」
 グラハムは悪いとわかっていながらも、そう言ってくれるビリーの優しさが好きだった。だからここに、来てしまうのだろうか。暗闇の不安から逃れるために、夜を少しでも短くするために。

作品名:茜空とほうき星 作家名:ハルコ