守っていいよ
「どうだ、美味かっただろ?」
冠葉が子供の様に笑う。
「うん。美味しかった。兄貴にしては上出来だね」
僕は意地悪く笑ってやる。
ムッとした表情で兄貴が僕の頬を軽く抓って、そしてまた愉しそうに笑う。
「あ、僕が片付けるから。これくらいはやらせてよ」
小さな我儘には、大抵困った様に笑って、それでも許してくれる。
僕は同じように笑顔を作って、先程まで冠葉が立っていた台所に足を踏み入れる。
そこに在るたった一つの残り香が僕を守るようにふわふわと漂って、じんわりと隙間だらけの心を蝕んでいく。
いつでも、冠葉は僕を守ってくれる。
それが、冠葉の生きる証だから。
冠葉の僕を捉える瞳が狂い始めたのは、陽毬が居なくなってすぐの事だった。
程無くして気付く。それが陽毬に向けていた眼差しと一緒だと言う事に。
愕然とするしかない僕に追い打ちを掛ける様に、日毎にその色は濃くなっていった。
それに畏怖すると同時に、抗う事は出来ないと悟った。
陽毬と言う守るべき存在を失くし、冠葉は自分の存在意義を見失ってしまったのだ。
しかし運命は冠葉に死を与えずに、ただおめおめ生きるがいいと言わんばかりに呪った。
そして当然の様に、苦しみから逃れる為に僕を選んだ。
陽毬の代わりに僕を傍に置く事で、守る事で、愛する事で、冠葉と言う個体はどうにか成り立っている。
だから、僕の為なら手段を選ばない。
僕の悲しみは、冠葉の悲しみ。その元凶は跡形も無く無残に消し去る。
そして僕を奪う存在があれば、容赦なく引き剥がし、地獄に陥れる。
いつしか僕に向けられる他人の視線は全て同じになった。
恐怖。コイツに関わるとロクな事が起きないと。
それでも良かった。
例え間違った方法だとしても、僕は守られるべき存在で在らねばならない。
それが唯一出来る冠葉を守る方法だから。
「晶馬」
ぎゅっと背後から包み込まれて、はっと息を呑む。
その声が、僕を縛り付けて離さない。
「どうしたの?」
濡れた手で回された腕にそっと触れれば、一際強く抱き込まれる。
何もかも奪い取られる様な苦しさに心の中で喘ぐ。
「何でもねぇよ。ただ…」
「?ただ、何」
「ちょっと寒いだけだ」
哀切な吐息が脳を駆け抜けていく。
「…そうだね。ちょっとだけ、寒いね」
二人ぼっちにした世界を、僕は一生恨んで生きていく。
未だ熱を持った身体に縋る冠葉の腕の中、カタンと微々たる音が耳を刺激する。
きっとそれは、乱暴に放り出された写真立てが示した存在の音。
その薄っぺらい紙切れの中で、寂しく笑っているのは戻らない時間。
もう、その写真の様に笑え合えない僕たちは。
二人だけしか存在しない世界で、ひっそりと呼吸を繰り返し、そして二人きりで朽ち果てるのだ。