青き炎に想う
獅郎の息子として
サタンに対抗しうる武器として
小さき末の弟として
あの仔を庇護する理由はいくつでも挙げられる。
だがいくらもっともらしい言葉を並べ立てたところで、その全てが詭弁だと気付いてしまった。
気付かされて、しまった。
「……困りましたね」
上層階にある自室の窓から外を眺め、男は独りごちた。だがその口元には笑みが浮かんでいる。
目を閉じれば脳裏に浮かぶ青き炎。それはあの男の魂そのものだ。自分にとって、良い感情を呼び起こすものではない。
あの炎を消し去るために、自分は虚無界を捨て、ここにいる。
それなのに――
あの仔から放たれる炎を……美しいと思う。
自分を呼ぶ声も
零れ落ちる笑みも
溢れる涙でさえも……愛おしいと思えてしまう。
そう気付いてしまった今、自分は本当に当初の計画通りあの仔を利用できるのだろうか。
あの仔を、あの男に向ける武器として使えるだろうか。
あの仔が、あの男に傷つけられる姿を正視できるだろうか。
あの仔が、あの男に蹂躙される未来に耐えられるだろうか。
あの仔が……
あの仔が……
あの子が……
「……愚問、か」
浮かんでは消えるいくつもの声に答え、男は口端を上げた。
「我はメフィスト・フェレス。言を弄し策を巡らせ、人が持つ如何なる望みをも叶えてみせる誘惑の使者。……己の望みを満たせぬなど、この名が泣くというもの」
そうであろう?
自身に問いかければ、それに応えるように心臓がみしりと軋んだ。その痛みが、今は自分のものとなったこの身体と名前の本来の持ち主を思い出させる。
若く美しい女を愛し、罪に手を染め、そしてその女をも死に追いやった男。当時は、自ら望み、もたらされた享楽に翻弄されるその男を嗤ったものだったが、今ならば――
ふいに、びりりとガラスが鳴り、男は思考を止めた。障壁に守られた建物を震わすほど大きな魔力のぶつかり合いに目を瞬かせ、息を吐く。
「やりすぎるなと、あれほど言ったのですがねぇ」
両手を軽く上げ、誰もいない部屋でやれやれとポーズを取ってからバルコニーへと出る。ふわりと手すりの上に立つと、眼下で立ち上る青い炎と土埃を見据えた。
「喧嘩するほど仲がいいとは言いますが……」
私より仲良くするのは許しませんよ
後半は心中でだけ呟き、そのまま宙に踏み出した。身体は重力に反してふわりと浮き上がり、いつもの呼び声に応えて現れた椅子に腰を下ろす。クルクルと手の中でパラソルを回し、眼下で明滅する光に目を細めて。
そうして男は、ニヤリと口元を歪めた。
暗闇に輝く青は一際美しく、見る者の目を、心を、捕えて離さない。
自由になったはずの悪魔が、契約以外のものに捕らわれるとは滑稽だ。
それが自らの心から湧き出でる感情ならばなおのこと。
だから手に入れる。
「では、そろそろ捕まえに行くとしましょうか」
獅郎の息子としてでなく
あの男に対抗しうる武器としてでもなく
無論、末の弟としてなどでもない
唯一人の、愛しき存在として――