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春よ、恋

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よく手に神経を集中させてみれば,黄瀬の手がかすかに震えているのが分かった。
「いっしょにバスケやってたときは,ずっと,ずっと我慢してたんス」
心なしか,声も震えている。
黄瀬が言おうとしていることを黒子は先読みする。
嬉しいことかもしれない。ショックを受けるかもしれない。聞かなければよかったと思うかもしれない。たぶんその全部だ。
聞きたくない。聞きたくはないけど黄瀬くんの口から聞きたい。
たまたま久しぶりに顔をあわせただけなのに,何でこんなに,突然何かの箍が外れたように。

自分の気持ちを突然制御出来なくなる。

「久しぶりに会った気がしないです」
そう黒子は呟いた。呟いたけれど,頭の中の自分はその言葉をすぐに否定している。
「うそっスよそんなの」
黄瀬もその言葉を否定した。
「おれ今久しぶり過ぎて何かもう頭の中がぐちゃぐちゃしてるのに」
自分の知っている彼と比べて口数が少ないのは,今の黄瀬も混乱しているからなのか。
「…ぼくもぐちゃぐちゃしてます。何でだろう」
「何でだろうって,そりゃ黒子っちの考えてることはおれには分かんないっスけど」
分からないんだ。
何でそこでがっかりするんだ?
黄瀬の声が耳に響いてくる。前から。後ろから。
来る。
何かが。
そんな予感がして,思わず黒子は耳を塞ぎたくなったけれど,塞ぐための掌の片方は黄瀬と繋いだままだった。
防げない。何を?
溢れ出すのを。流れ込んでくるのを。
「おれは」
黄瀬はずっとこちらを見ている。逸らせない。逸らしてはいけない。
「ずっと怖くて言えなかったんスよ」
黄瀬がその一言を搾り出す。
「怖くて? 黄瀬くんらしくないですよ」
のどが乾く。
「おれらしい? そんなの別にどうでもいいっス。おれは怖かったんだ」
「誰にだって怖いものはあります」
「どうしよう。ずっと我慢してたし,これからも我慢してるつもりだったのに」
一度喉元を越えて溢れ出た感情は,もう抑え込めることなんて出来なくて。

「…急に黒子っちが現れるから」

そう呟いた黄瀬の声はとてもとても小さくて,震えていて。
「ぼくが?」
「好きだったんス」
「え?」
「ずっと,黒子っちのことが好きだったんスよ」
「!」
体全体を僕よりもさらに大きな体で包まれる。
温かい。指先だけ冷たい。柔らかい。心地いい。彼の香り。安心。安堵。懐かしい。

つっかえていたものが,外れたとき。

「ぼくも…」
「ぼくも?」
意外な黒子の言葉に,黒子を抱きしめる黄瀬の腕が一瞬ゆるんだ。
「ぼくも」
空いている右腕で黒子は黄瀬の背中を思いきり抱きしめた。
「ぼくもきっと,ずっとずっと黄瀬くんのことが好きでした」
「!」
こわばる体。
まだ再会して何分だ?
抱きしめるだけで,こんなに相手の考えていることが分かるものなのか。
片耳のピアスが頬に当たってひんやりする。
頭の中に,自分を冷静に観察するもう1人の自分がいる。
「ずっとずっと,好きでした」
「なんでっスか…」
かすかに嗚咽が混じる声。泣いているらしい。黒子は右手で,黄瀬の背中を柔らかく撫でて彼をあやす。
「なんで今まで,毎日いっしょにバスケしてきてて言えなくて,なんでこんな,たまたま偶然会った拍子に言えちゃってるんスかおれ」
今までために溜め込んでいたものが,こうも簡単に崩壊するなんて。
「分からないですよそんなこと」
ぼくにだって分からない。
頭の中が真っ白で何も考えられないのは黒子だって同じだ。
「分からないけど」
「分からないけど?」
「今日ここに来て黄瀬くんと会えて,黄瀬くんに好きだって言えたこと,本当によかったです」
「そんなこと言っちゃだめだ黒子っちいいい」
何も考えられない頭。黄瀬くんが本格的に泣き崩れる。
ずるずるとしゃがみこんでしまう2人。
全てが衝動的。
いろんなことが頭の中でスパークして,胸の内からいろんなものがこみ上げてきて,それが今まで溜め込み続けてきたものだったとしたら一体自分はどれだけ耐え続けてきていたのだろう。
自覚がない。
分からない。考えられない。
真っ白な頭。ごくそばにある気持ち。
自然体。脱力。何もかもが。全てのものが意識の下に晒される。
黒子の肩に寄りかかるようにして,黄瀬は呟いた。
「そんな,今までのおれの我慢は何だったんスか…」
苦しかった胸の内が,今太陽の下にさらされて。
「ぼくに聞かないでください。ぼくだって分からない。分からないけど」
目の前の大きな体を黒子は抱きしめる。自分が今抱きしめているのは愛しい女性でも可愛いペットでもなくバスケに全身全霊を捧げる友人のいかつい体だ。だからって,それが何なのだろう?

だってこの気持ちは。この気持ちは間違いなく。

黒子が黙っていると,黄瀬がふいに顔を上げてこちらの顔を覗き込んできた。涙が上着の袖ですれて赤くなろうとしている。
「…分からないけど」
黒子の言葉を継いで黄瀬が言う。
「何も分からないけど,でも,黒子っちのこと」
そこにはやっと,黒子の知っている黄瀬の笑顔が。

黒子っちのこと,やっぱ大好きっス。
黒子っちもだったなんて,今おれマジで幸せだ。

あぁ,ほら。





きっと初めてこの笑顔を見た瞬間,もう恋に落ちていたのだと思いました。







作品名:春よ、恋 作家名:きさいち