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ゆきのクロ
ゆきのクロ
novelistID. 33935
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永遠の…

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人間界での住まいは、魔界でのそれと比べてかなり手狭だった。
夫婦二人で2LDKのマンション暮らし。

――だが、終の住処まで、これとは。
低い石垣に囲まれた、半畳ほどのスペースしかない墓所を前に、青年は呆れたようなため息を吐く。

「さて……。」
借りてきたほうきで、とりあえず周囲を掃き清めた。ここには何度か通っているから、勝手はだいぶ分かっている。

金髪に青い瞳。一見するとモデルのように整った容姿のこの青年は、実は人間ではない。
魔界の名家、ベルゼブブの名を継ぐ、由緒正しき血統の悪魔である。

「こんなものに意味があるのかと、思ったが……。」

「佐隈」と名が刻まれた墓石に柄杓で水をかけてから、花筒に、持ってきた薔薇を差した。――まるっきり和風の墓に、その派手な花はとんでもなくミスマッチだったが、気にしないことにする。
最後に線香に火を点け、備え付けられた皿に置いた。

煙に炙されながら、手を合わせる。
悪魔が祈るというのも変な話だが、一通り故人のことを思い出してから、瞼を開けた。

「確かに、こういった場所があるのは、いいのかもしれないな……。」
この下に大切な人が眠っている。
例え一方通行の面会でも、会いたいときに会える。そういったことは、親しい人を失った悲しみや寂しさを和らげるのに必要かもしれない。

「べーやん!」
「!」
気安く名を呼ばれて、青年は立ち上がった。
見れば、墓地の向こう側から、ふわふわとゆっくり羽を動かし、たるんだ体の生き物が近付いてくるところだった。

「来とったんか。――えーなあ、自分、人型で」
「ええまあ、今日は月命日ですから。アザゼルさんこそ、ありがとうございます」

悪魔アザゼル。淫奔の職能を持つこのベテラン悪魔は、佐隈家の墓の前に辿り着くと、照れたように頭をかいた。

「……さくに会わないと、落ち着かんくてな」

りん子は人間にしては長生きをし、昨年、百四歳でこの世を去った。
アザゼルとの契約が結ばれたのは、彼女が二十歳前後のことだったというから、二人は八十年と少しの付き合いだ。
永きを生きる悪魔にとって、その程度の年月は瞬きをするほどの短さで、とっとと忘却の彼方へ押しやられてもおかしくないはずなのだが、こうやって墓参りに来させるほど、りん子はアザゼルの記憶に強い印象を刻んだらしい。

「なにしろ、強烈な女やったからのう。黙っとれば、可愛いかったのに」
悪魔はそう言うと、握り締めていた一輪のガーベラを、墓石の前に放り投げた。








鍋の中身を小皿に取り、一口含む。
ベルゼブブは納得したように頷いてから、小皿に料理を足し直して、傍らの椅子にちょこんと座っていた女性に手渡した。
彼女は深くシワが刻まれた口元に小皿を運び、にっこりと微笑んだ。

「美味しい。――もうこれで、大丈夫ですね」
白く滑らかだった肌は、すっかりシミとシワに彩られ、だが笑顔だけは、相変わらずチャーミングなままだ。
コンロの火を消すと、ベルゼブブはりん子の前で腰を折り、身を屈めた。

「いえ、あなたのカレーの味には、まだまだ程遠い」

出会った頃から少しも変わらない、凛々しい顔立ちの夫に、りん子は笑ってみせる。

「思い出は美化されるものですよ」
「それはそうかもしれません。初めて出会ったときのあなたは、私の中では絶世の美女と化していますからねえ。
本当は金にがめつくて、酒癖の悪い小娘だったのに」
臆面なく褒め称えたあと、貶める。
夫は、相変わらず素直ではない。りん子は楽しそうにくすくすと笑った。

「…………。」
ベルゼブブは台所の床にしゃがむと、りん子の腕を取り、そっとさすった。
ひんやりと冷たく、枯れ木のようなその感触が、切ない。

二人が結婚して、七十年ほどが経つ。
普通の人間であるりん子は、当然歳を取っていった。

数年前から立つことができなくなった彼女を蝕む病は、もう十を超える。
老齢だから進行がゆっくりなまでも、それらは妻の背を確実に死の世界へ押していくのだ。
どれだけ強大な魔力を持ち、何もかも見透かすような知識を持っていても、時を止めることはできない。

分かってはいた。
りん子と結ばれたときから、別れへのカウントダウンは始まっている、と。
だが、理解できることと、受け入れられることは、別の問題だ。

「……あなたを魔物に変えてしまいたい」

何度目かの懇願に、りん子は首を横に振る。

「私は生き物の理から外れたくありません。人間のまま生きて、死にたいの。お願いよ、分かって……。」

ベルゼブブは堪えきれず、りん子の体を抱き締めた。

「私を置いて逝くのか……!どうしてそんな残酷なことができる!?」
声を震わす夫の大きな背中を、りん子は折れそうに細い腕で優しくぽんぽんと叩いた。

「子供たちがいるじゃない。四人とも健やかに育ったわ。
みんなあなたに似て、優しい子たちばかり……。
孫だって、もう二十人もいるのよ。どうして寂しいことがあるでしょう」

「だが、あなたがいない……!」
ベルゼブブはりん子から体を離し、彼女の両肩に手を置いて、言った。

「子供も孫も、あなたの血を受け継いだ者は、全て愛しい。それは確かです。
だが、あなたに代わる存在など、どこにもいない。――どこにも……!私にはそれが耐えられない!」

言ったって仕方のないことだとは分かっている。
老いて、死を待つだけの無力な女性に、自分の幼い感情をぶつけることの無神経さも。

それでも、叫ばずにはいられなかった。

「私は、あなたがいなければ、生きていけないんだ……!」
「…………。」

りん子は彼の頬に手をやった。青い瞳からこぼれ出した大粒の涙が、指先を濡らしていく。
ベルゼブブは俯き、嗚咽を漏らしながら、椅子に腰かけた妻の膝に崩れ落ちた。

「こうしていると、昔を思い出しますね……。
あなたはぬいぐるみのような可愛らしい姿をしていて、よく膝に乗せて、遊びましたっけ。
懐かしいですねえ……。」
りん子は微笑みながら、彼の頭を撫でた。

彼女が紡ぐ昔話と、ベルゼブブの押し殺した泣き声が溶け合い、狭い台所に響いた。





「――ダメだと言っても、きっとあなたはついて来てしまうんでしょうね」
「ん?」
分けてもらった線香に、不器用な手つきで点火していたアザゼルは、青年のつぶやきを聞き返した。

「母が臨終の際に、父に残した言葉です。母がいよいよ、というときになってから、半狂乱だった父は、母のその一言にぞっとするような笑顔で笑い、何度も何度も頷いていました。あのときの父は……恐ろしかった」

ベルゼブブ932世。青年は、この間家督を継いだばかりのベルゼブブ家現当主である。
彼は改めて、母の意向で作った墓を見下ろした。

――ここには青年の母だけではなく、父も眠っているのだ。

母が鬼籍に入ったとき、父は一度も涙を見せなかった。
粛々と葬儀を執り行ない、そして突如、ベルゼブブ家当主の座を、自分の長男であるこの青年に譲ったのだ。
そして――。

「倒れるようにして、寝付いてしまった。あっという間に、食べ物も飲み物も受け付けないほど、衰弱して……。
花が枯れるように、という表現が一番相応しいでしょう。
作品名:永遠の… 作家名:ゆきのクロ