英国紳士のジレンマ
「なんだって……!」
定時報告にやってきたフェアリーの言葉に、手に持っていたカップが震え、琥珀色の液体がゆれた。
アメリカが、風邪を引いて寝込んでいると言うのだ。ここ数日体調を崩していたが、無理をしてとうとうぶっ倒れたらしい。ちくしょう! こんな事態になる前に、手をうっておきたかった。半月前、最後に会ったときの、無邪気な笑顔が思い出される。
そのアメリカが、今、苦しんでるのかと思うと、ざくりと胸が苦しい。
こうしちゃいられない。優雅にアーリーモーニングティなんてしてる場合じゃねえぞ。アメリカのところに行かなくては!
俺んちの魔術の秘伝の常備薬『風邪薬』を持ってな!
緊急事態なので、フェアリーたちの抜け穴を使わせてもらって、アメリカに元に急ぐ。これなら、ロンドンからニューヨークまで、瞬きをするより早く着く。見舞いに……と、作ってきたオートミールの粥も、まだ湯気を立てていた。
ニューヨークの空は、もう白み始めていた。……風邪薬の調合に手間取っちまったからなあ。まさか、あそこで爆発するなんて思わなかったぜ。やり直したせいで、マンドラゴラのストックはなくなっちまったし。またあとで抜きにいかねえと。
ブザーを押してしばらく待ったが、反応は無かった。いつもなら、居留守かと疑うところなんだが、今日は違うだろう。もしかして、起き上がれないほど風邪が酷いんじゃねえのか!?
ベッドの中でアメリカが、(熱に浮かされて)浅く荒い呼吸を繰り返し、(熱のせいで)潤んだスカイブルーから涙をにじませて、『イギリス……』(咳をしすぎた為)かすれた声を絞り出すように、俺の名前を呼んで、『イギリス……(頭と喉とお腹が)痛いんだぞ……』って……!
いろんな意味で大変じゃねえか! そんなアメリカの姿はマジ見てえ……じゃなくて、早く看病してやらねえと!
玄関のドアノブを回すが、案の定、鍵がかけられていた。ちっ……。
「なあ、お前、ちょっと中に入って、開けて来てくれねえか?」
俺について来て、辺りを飛び回っていたフェアリーに頼み、施錠とセキュリティーを解除してもらう。
「ありがとうな」
礼を言うと、俺の肩にとまった小さな友人は、これくらいお安い御用だと言わんばかりに、羽根を震わせた。
よし! これで入れるぜ。
「じゃまするぞ」
しん……と静まり返った廊下を、真っ直ぐにアメリカの寝室に向かう。ドアの前で立ち止まり、軽くノックをすると、返事の代わりに苦しげな咳が聞こえてきた。やっぱり、相当具合が悪いらしい。なんてこった……!
「アメリカ! 大丈夫か!?」
ばん!
いてもたってもいられず、俺は、アメリカの寝室に転がり込んだ。
「ごほ……う? へ? イギリス?」
シーツの中で丸まっていたアメリカが、ぐずりと鼻を鳴らして顔を上げた。とろん……と、とろけた瞳が不思議そうに俺のことを見ている。
「なんで……君が、いるんだい?」
「お前が風邪で寝込んでるって聞いてな……べ、別に心配で様子見に来たわけじゃねえし、もちろん、看病してやろうだなんて、これっぽちも思ってないんだからな! ただ、たまたま、うちによく効く風邪薬があったし、ニューヨークに用事が出来たからな。ついでだ、ついで!」
「……じゃなくて、俺、玄関の鍵かけたはずだぞ……?」
「いや、開いてたぜ。俺が閉めといてやった。きっと熱でぼうっとしてたんだろ、お前。無用心だな、気をつけねえと」
「……そうかい? 悪かったね……ごほ、げほ、げほっ!」
「ああ……! もう無理してしゃべんな」
ベッドのそばまで近づいて、サイドテーブルに粥の入った鍋を置く。
「食欲はあるか?」
そうたずねると、アメリカは小さく首を横に振った。困ったな……。
「薬を飲む前に、少しでも腹に入れておいたほうがいいぞ。ほら、粥作ってきてやったし」
「……君が言ってる、粥ってヤツが、そこで、紫色の煙を出している鍋のことなら、絶対、ノーサンキュー、だぞ……」
「てめえ……!」
苦しそうに喘鳴音を吐き出しながら、アメリカが顔をしかめる。そんなにいやなのかよ、俺の料理! か、悲しくなんかないんだからな、ばかあ!
「……ったく、ちょっとキッチン借りるぞ。スープの缶詰ぐらいあんだろ?」
ぐい。
「あ?」
きびすを返してパントリーをあさりにいこうとしたら、後ろから引っ張られた。見ると、アメリカが、俺のジャケットの裾をぎゅっとつかんでいる。
「あ、アメリカ?」
「どこ、いくんだい……?」
「だから、スープを温めに――」
「……ここに、いてくれよ」
と、力なく小さく呟く。
やっ……え? なに……うそ、あれ……? いや、まてまてまて。少し冷静になろう。はい、深呼吸。すーはー、すーはー。ん、落ち着いた。それで、なんだっけ? ええと、そうそう、アメリカが俺にこう言ったんだ。「イギリス……いっちゃあやだよ、寂しいよ。お願い、一人にしないで」って……! ああ、青い鳥はここにいたんだな……!
「わわわ、わかった! ちゃんとここにいてやる。だから安心して、少し寝ろ。風邪には寝るのが一番だ」
「うん、ありがとう……なんだぞ、イギリス」
そう言って、静かに目を閉じた。程なくして、苦しげながらも規則正しい寝息が聞こえてくる。それを確認してから、俺はいそいそと部屋の隅にあったライティングデスクの椅子を、アメリカのそばまで持ってきて腰をおろす。気を利かせてくれたのか、フェアリーの姿はいつの間にか消えてしまっていた。
「う……んん……」
アメリカが、小さく喘ぐように息を吐く。白い肌は熱で上気して紅く染まり、うっすらと汗が浮かんでいた。湿気を含んだブロンドが、額に数本張り付いている。悩ましげにひそめれた細い眉。薄く開けられた口からは、熱い吐息が漏れ出ていた。
ごくりと喉がなる。はっきり言って、目の毒だ。そわそわして落ち着かない。
「そ、そうだ! 汗、汗を拭こう!」
脳内で繰り広げられ始めた妄想を振り払うように、勢いよく立ち上がる。どすどすと大股でローチェストまで歩き、一番上の引き出しからタオルを取り出す。濡らしたほうがいいんじゃないかと思ったが、アメリカのそばを離れねえ約束をしたからな。あきらめよう。
乾いたままのタオルを小さくたたんで、アメリカの肌をそっとぬぐう。
「や……」
かすれた声がこぼれて、起こしてしまったのかと顔を覗き込めば、その瞳は閉じられたままだった。
「……」
アメリカの顔をこんなに近くでじっくり見るのは、すごく久しぶりだ。それに、今日は風邪を引いてるせいで異様に艶めかしい。ぎゅううううっと、脳髄が締め付けられるような気がした。
あああ、色っぽい……つやっぽい……それにいい匂い……その柔らかそうな、形の良い唇に噛み付きたい……。
「イギリ、ス……」
「うへっ!?」
名前を呼ばれて我に返った。あと数インチのところに、アメリカの顔があった。
「うわああああっ!?」
あわてて飛びのく。幸いなことに、アメリカは俺の叫び声で起きることなく、依然眠り続けている。
定時報告にやってきたフェアリーの言葉に、手に持っていたカップが震え、琥珀色の液体がゆれた。
アメリカが、風邪を引いて寝込んでいると言うのだ。ここ数日体調を崩していたが、無理をしてとうとうぶっ倒れたらしい。ちくしょう! こんな事態になる前に、手をうっておきたかった。半月前、最後に会ったときの、無邪気な笑顔が思い出される。
そのアメリカが、今、苦しんでるのかと思うと、ざくりと胸が苦しい。
こうしちゃいられない。優雅にアーリーモーニングティなんてしてる場合じゃねえぞ。アメリカのところに行かなくては!
俺んちの魔術の秘伝の常備薬『風邪薬』を持ってな!
緊急事態なので、フェアリーたちの抜け穴を使わせてもらって、アメリカに元に急ぐ。これなら、ロンドンからニューヨークまで、瞬きをするより早く着く。見舞いに……と、作ってきたオートミールの粥も、まだ湯気を立てていた。
ニューヨークの空は、もう白み始めていた。……風邪薬の調合に手間取っちまったからなあ。まさか、あそこで爆発するなんて思わなかったぜ。やり直したせいで、マンドラゴラのストックはなくなっちまったし。またあとで抜きにいかねえと。
ブザーを押してしばらく待ったが、反応は無かった。いつもなら、居留守かと疑うところなんだが、今日は違うだろう。もしかして、起き上がれないほど風邪が酷いんじゃねえのか!?
ベッドの中でアメリカが、(熱に浮かされて)浅く荒い呼吸を繰り返し、(熱のせいで)潤んだスカイブルーから涙をにじませて、『イギリス……』(咳をしすぎた為)かすれた声を絞り出すように、俺の名前を呼んで、『イギリス……(頭と喉とお腹が)痛いんだぞ……』って……!
いろんな意味で大変じゃねえか! そんなアメリカの姿はマジ見てえ……じゃなくて、早く看病してやらねえと!
玄関のドアノブを回すが、案の定、鍵がかけられていた。ちっ……。
「なあ、お前、ちょっと中に入って、開けて来てくれねえか?」
俺について来て、辺りを飛び回っていたフェアリーに頼み、施錠とセキュリティーを解除してもらう。
「ありがとうな」
礼を言うと、俺の肩にとまった小さな友人は、これくらいお安い御用だと言わんばかりに、羽根を震わせた。
よし! これで入れるぜ。
「じゃまするぞ」
しん……と静まり返った廊下を、真っ直ぐにアメリカの寝室に向かう。ドアの前で立ち止まり、軽くノックをすると、返事の代わりに苦しげな咳が聞こえてきた。やっぱり、相当具合が悪いらしい。なんてこった……!
「アメリカ! 大丈夫か!?」
ばん!
いてもたってもいられず、俺は、アメリカの寝室に転がり込んだ。
「ごほ……う? へ? イギリス?」
シーツの中で丸まっていたアメリカが、ぐずりと鼻を鳴らして顔を上げた。とろん……と、とろけた瞳が不思議そうに俺のことを見ている。
「なんで……君が、いるんだい?」
「お前が風邪で寝込んでるって聞いてな……べ、別に心配で様子見に来たわけじゃねえし、もちろん、看病してやろうだなんて、これっぽちも思ってないんだからな! ただ、たまたま、うちによく効く風邪薬があったし、ニューヨークに用事が出来たからな。ついでだ、ついで!」
「……じゃなくて、俺、玄関の鍵かけたはずだぞ……?」
「いや、開いてたぜ。俺が閉めといてやった。きっと熱でぼうっとしてたんだろ、お前。無用心だな、気をつけねえと」
「……そうかい? 悪かったね……ごほ、げほ、げほっ!」
「ああ……! もう無理してしゃべんな」
ベッドのそばまで近づいて、サイドテーブルに粥の入った鍋を置く。
「食欲はあるか?」
そうたずねると、アメリカは小さく首を横に振った。困ったな……。
「薬を飲む前に、少しでも腹に入れておいたほうがいいぞ。ほら、粥作ってきてやったし」
「……君が言ってる、粥ってヤツが、そこで、紫色の煙を出している鍋のことなら、絶対、ノーサンキュー、だぞ……」
「てめえ……!」
苦しそうに喘鳴音を吐き出しながら、アメリカが顔をしかめる。そんなにいやなのかよ、俺の料理! か、悲しくなんかないんだからな、ばかあ!
「……ったく、ちょっとキッチン借りるぞ。スープの缶詰ぐらいあんだろ?」
ぐい。
「あ?」
きびすを返してパントリーをあさりにいこうとしたら、後ろから引っ張られた。見ると、アメリカが、俺のジャケットの裾をぎゅっとつかんでいる。
「あ、アメリカ?」
「どこ、いくんだい……?」
「だから、スープを温めに――」
「……ここに、いてくれよ」
と、力なく小さく呟く。
やっ……え? なに……うそ、あれ……? いや、まてまてまて。少し冷静になろう。はい、深呼吸。すーはー、すーはー。ん、落ち着いた。それで、なんだっけ? ええと、そうそう、アメリカが俺にこう言ったんだ。「イギリス……いっちゃあやだよ、寂しいよ。お願い、一人にしないで」って……! ああ、青い鳥はここにいたんだな……!
「わわわ、わかった! ちゃんとここにいてやる。だから安心して、少し寝ろ。風邪には寝るのが一番だ」
「うん、ありがとう……なんだぞ、イギリス」
そう言って、静かに目を閉じた。程なくして、苦しげながらも規則正しい寝息が聞こえてくる。それを確認してから、俺はいそいそと部屋の隅にあったライティングデスクの椅子を、アメリカのそばまで持ってきて腰をおろす。気を利かせてくれたのか、フェアリーの姿はいつの間にか消えてしまっていた。
「う……んん……」
アメリカが、小さく喘ぐように息を吐く。白い肌は熱で上気して紅く染まり、うっすらと汗が浮かんでいた。湿気を含んだブロンドが、額に数本張り付いている。悩ましげにひそめれた細い眉。薄く開けられた口からは、熱い吐息が漏れ出ていた。
ごくりと喉がなる。はっきり言って、目の毒だ。そわそわして落ち着かない。
「そ、そうだ! 汗、汗を拭こう!」
脳内で繰り広げられ始めた妄想を振り払うように、勢いよく立ち上がる。どすどすと大股でローチェストまで歩き、一番上の引き出しからタオルを取り出す。濡らしたほうがいいんじゃないかと思ったが、アメリカのそばを離れねえ約束をしたからな。あきらめよう。
乾いたままのタオルを小さくたたんで、アメリカの肌をそっとぬぐう。
「や……」
かすれた声がこぼれて、起こしてしまったのかと顔を覗き込めば、その瞳は閉じられたままだった。
「……」
アメリカの顔をこんなに近くでじっくり見るのは、すごく久しぶりだ。それに、今日は風邪を引いてるせいで異様に艶めかしい。ぎゅううううっと、脳髄が締め付けられるような気がした。
あああ、色っぽい……つやっぽい……それにいい匂い……その柔らかそうな、形の良い唇に噛み付きたい……。
「イギリ、ス……」
「うへっ!?」
名前を呼ばれて我に返った。あと数インチのところに、アメリカの顔があった。
「うわああああっ!?」
あわてて飛びのく。幸いなことに、アメリカは俺の叫び声で起きることなく、依然眠り続けている。