英国紳士のジレンマ
お、俺は今、なにをしようとしていた!? 確かに常日頃から、アメリカにキスしてえなあ……と、二十四時間年中無休で考えているけれども。いるけれども! 今はだめだ! アメリカは病気なんだぞ! 病気で寝込んでいる相手を襲うなんて、そんなまねできるか! 俺は紳士だぜ!? ちょっ! 病気で弱ってる今がチャンスだ、なんて思ったヤツはどこのどいつだ!? 俺だ……! うああああああああああああああぁぁああっ!
床に両手をついて、がんがんと頭を打ち付ける。
落ち着け、俺! 鎮まれ、ロンドン塔! 相手は病人なんだぞ!
生ぬるい液体が、眉間の間を流れ落ちていく。
よし! もう大丈夫――
「ん……イギ、リス……欲しい……」
くあっまじでかいいのかいいんだないいんだよなこれはゆめかゆめなのかいいやゆめなんかじゃないさこれはげんじつだげんじつにあめりかがおれのことをほしいだなんてああもうなにがどうでもかまわない――
「アイスが……欲しいんだぞ」
「はっ!?」
な、なんだ寝言か……欲しいのはアイスか、そうか……って、うえええっ!?
俺は、自分が、再びアメリカの上に覆いかぶさっていることに気づく。しかも、片足がベッドの上に乗っていた。
俺は紳士のはずだろう!? 我慢できるよな、な! 床に血だまりが出来るほど頭を叩きつける。しかし、それでも俺の脳みそには、熱で前後不覚な今なら、最後までヤっても、全部夢でしたってことにならねえかなあ……という、このうえなく魅力的な、どうしようもない考えが、浮かんで消えない。
もう、駄目だ……。
磨り減りまくった理性の糸がぷっつりいく前に、俺は紳士として最後の手段をとらざるをえなかった。
携帯電話を取り出し、この事態を打開してくれそうな友人にコールする。
「日本! へるぷみー!」
「いやはや、いきなり電話で『今すぐアメリカのうちに来て、俺のことを縛り上げてくれ!』と懇願されたときは、いったいなんのプレイを強要されてるのかと思いましたよ」
困ったように、日本が苦笑いをする気配がした。
「すまない。あんときは俺も取り乱してたんだ」
あんな訳のわからない電話にもかかわらず、きちんと対応してくれたことは、嬉しい。やっぱ、もつべきものは友達だよな。
「まあ、目病み女に風邪引き男……と言いますし、病床のアメリカさんは、確かに扇情的ではありますね。……しかし、イギリスさんも意外と意気地がないんですね。こんな好機はめったにないでしょうに……いっそ、手篭めにしてしまえば良かったのでは?」
「て、手篭め!?」
「据え膳食わぬはなんとやら……です」
日本がどんな顔をしているのかはわからなかったが、呆れた様なため息を吐かれたのは感じることが出来た。
「病気のやつを無理やり襲うなんて、そんなまね出来ないだろ。それで嫌われたらどうするんだ」
「……薬を盛るのはかまわないんですか?」
「媚薬は文化だ」
俺んちの魔術は世界一なんだぜ! 自信満々で胸をそらせる。
「それに、媚薬に翻弄されたアメリカが、自ら俺にすがり付いて来るように仕向ければ、薬を盛ったことがばれても、あとはどうとでも出来るしな」
「……そうですか、では、お好きなように」
なんだろう、今すごく馬鹿にされている気がする。いや、まあ、それはいい。それよりも――
「ところで、なんで俺は本当に縛られてんだ?」
後ろ手に手錠をはめられたうえで、ロープでぐるぐる巻き。フローリングの上に転がされていて、ほとんど身動きが取れない。ご丁寧に目隠しまでされていた。
「いやですね、イギリスさん。あなたが縛ってくれとおっしゃったんじゃないですか。忘れてしまったのですか?」
からからと笑い声が寝室に響く。
「いや、あれは――」
「私、電話を頂いたとき、完徹五日目の原稿がようやく終わって、寝ようと布団に入ったところだったんですよ」
視力が奪われているせいで日本の表情はうかがえないが、声がものすごく刺々しい。
「……もしかして、怒ってるのか?」
「いいえ、ちっとも」
嘘だ、ぜってー怒ってる! いまさらながら友人が激怒していることに気づいたが、しゃくとり虫の俺にはどうすることも出来ない。
「そうそう、アメリカさんの状態も落ち着いたみたいですので、私は帰らせていただきますね」
「え!?」
俺、この状態で放置かよ!?
「心配はいりません。その格好なら、理性のたがが外れてしまっても、どうすることも出来ないでしょう? ……それでは、お先に失礼します」
「ちょっ! 日本……!」
俺の悲痛な叫びもむなしく、バタンという無常にもドアの閉まる音。日本の気配が部屋から消えてしまった。やばい、こ、このままだと……! いやだあああ! アメリカに、こんなまぬけな姿をさらしたくないいいいいぃぃいいっ! か、かんばああぁぁあああく、にほおおおおん!
――数時間後、目を覚ましたアメリカに「イギリス……君の趣味にあれこれ口だすつもりはないんだけど、おかしなプレイは、自分ちでやってくれないかい」と、突き刺さるほど冷たい声で言われて、すごく、泣きたくなった……。
END