Private
仕度があるからと部屋を出て行ったグラハムを待つ間に、先ほど飛躍のしすぎだと言われたことを、刹那は考えていた。
飛躍ということは文字通り飛ばしすぎているのだから、一つ一つのセッションごとに区切っていく。家族とは親がいて子供がいて、だから、まず子供を削ってみた。するとそこには夫婦が残った。さらに夫婦となる前は……。
「……ああ」
ここでようやく、グラハムの言いたかったことを理解した。子供扱いされても仕方がないかもしれない。けれど刹那は、今やっと気づいたばかりなのだ。会いたい気持ちの正体とやらに──。
「待たせたな、刹那。さぁ、行こうか」
ネクタイをしっかり締め、右手にジャケットを抱えた姿のグラハムが、部屋のドアを開けて声をかけてきた。いよいよ現実に引き戻される時間の到来に、刹那はほんのわずかだけ躊躇った。
プライベートの終わり。そしてパブリックの始まり。後ろ髪を引く甘い空間への未練を断ち切って、刹那は彼のあとをついて部屋をでる。ここから先は敵同士だ。
グラハムは、キッチンから大量の林檎を抱えて出てきた。
「持っていくのか?」
「ああ、部署のみんなで食べれば、あっという間に無くなるからな」
「ふぅん……」
どことなく面白くないような気分を感じて、刹那は適当な相槌を打った。
駐車場に止めてあるグラハムの車に乗り込み、ゲートをなんなくパスして、宿舎のある居住区を離れていく。幸福があまりにも大きすぎたせいか、いっそ何もかもが夢のように思えてくる。隣にグラハムがいるからかろうじて「夢じゃない」と分かるけれど、それも流れていく日々の中で薄れていくのだろうか。
でも、強烈な思い出は強く残るものだから、刹那が忘れることはきっと一生ないと思った。
「アンタは、ガンダムと戦うのか?」
「ああ。それが私の仕事だからな」
「そうか」
現実がどれだけ無常であったり、非情であったりするのかを、刹那は十年も前から知っている。これ以上何を言っても覆ることはない。そう割り切ってみせたところで、グラハムが口を開いた。
「なぁ、刹那」
「……なんだ?」
「また君と出会うことを望むのは、非現実的だと思うかね?」
ハッとしたように顔を上げ、刹那はグラハムの横顔を凝視した。せっかくの決意を揺らがせないでほしいと、思わず視線で彼をなじってしまう。
「なんだかまだ夢を見ているような気分でな。だからもう一度君に会えたら、ちゃんと現実だったんだと思えるような気がしてな」
続けざまにそう言ったグラハムを、刹那はさらに穴が開くほど見つめていた。夢かもしれないと感じていたのは刹那だけではなかったのだ。いてもたってもいられずに、言葉が口をついてでた。
「会いに行く」
「えっ?」
「必ずまた会いに行く。約束する」
「……刹那」
スピードが緩められ、車道の脇に車を寄せて停止する。ここが目的地というわけではないらしい。周囲には何もなかった。
グラハムはハンドルに手をおいて、何かを考え込むようにじっと前を見据えている。その身体が少し揺れた。
「フフッ……、君は本当に若いんだな」
「不服か?」
「まさか。眩しすぎるという話さ」
こちらを振り向いてきたグラハムと視線がかち合い、どちらともなく顔が近付いていく。軽く触れ合っただけで唇はすぐに離れていった。
「じゃあ、君との約束を果たすために、私も頑張ってみるかな」
刹那には、もちろん何も言えなかった。代わりに、ハンドルを握るその手の上に、自分の掌を重ね合わせておいた。せめて気持ちだけでも伝わるように、と。
刹那の目にも前方にあるバスターミナルが見えてきた。近くにあるのは駅だろうか。多くの人が行き交う様子に、中東とは違う文明圏らしい光景だ、と思う。
「あそこのどれかが乗り場だと思うんだが」
「分かっている。自分で探す」
信号待ちで止まる車内は、もうじき別れが訪れる前の慌しさに揺れている。
「忘れ物などしないように」
「荷物なんてほとんどない。……ああ、そうだ。一つもらっていく」
「ん?」
ちょうど走り出した前の車に続いて、グラハムもアクセルを踏み込んだ。運転に集中しているから、続きは降りるときにしよう。
「車はここまでだな」
「ありがとう、グラハム」
ドアを開けて車外へ降りてから礼を言い、初めて彼の名前を呼んだあとで片手をあげて、そこにあったものを掲げてみせた。
「あっ、いつの間に……!」
グラハムの瞳が驚きで丸くなり、それから後部座席を確認するように振り返っていた。
「アンタが検問の係員と話しているときに、な」
一つだけ拝借しておいたのだ。紙袋の中に詰まった、真っ赤に色づく林檎を。
「呆れた。君は手癖も足癖も悪いぞ」
「中東の子供は、したたかにできているんだ」
いつまでも発車しないグラハムの車に向けて、後方からクラクションが鳴らされる。チッと、軽く舌打ちする声が聞こえてきて、刹那は笑った。
「また会いにくる」
それだけ言うと、あとはもう振り返ることなく、人ごみの中を歩いていった。お互いにかけられる言葉なんて本当は何もないのだ。
ただ、夢じゃないための証に、刹那は一つの林檎を所望して、グラハムには約束を渡した。
これが最後と決まったわけじゃない。最後にしないための方法だって、考えれば見つかるかもしれない。
諦めないこと、希望を持ち続けること。そうすれば夢は夢でなくなるのだと、刹那は信じているのだ。
終