Private
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真っ白い光が差し込む部屋は、すっかり朝の様相を映し出していた。今日は仕事だというグラハムは、裸の身体にバスローブを羽織りなおして、シャワールームへと消えている。
刹那はベッドの上に寝そべったまま、昨晩の出来事が本当に現実だったのかを考えていた。身体に聞けば本当だと分かるのだが、脳のほうがまだ様々な事後処理に追われている感じなのだ。
夢のような幸福感のあとに待っているものは、それらをあっさりと打ち崩す容赦のない現実。今日から握り合うのは掌ではなく冷たい兵器だ。
ふと、自分の掌を眺めてみる。昨日はずっと暖かいものに触れていた。熱を帯びる肌、汗を浮かべる額、重なった部分はとても熱くてのぼせそうだった。思い出したらまた身体が疼きそうになったので、刹那は慌てて頭を振って記憶を追い出した。
「どうかしたのか?」
声に驚いて後ろを振り返れば、いつの間にか戻っていたグラハムが、部屋のドアのところで刹那を面白そうに見ている。
「……別に」
「フフッ。君も浴びるか? 左の扉がそうだ」
グラハムの勧めに頷き、刹那も衣服を手にとってバスルームを借りることにした。
「終わったら朝食にしよう。用意をしておくから、こっちの部屋に来てくれ」
今度は向かい側のドアを指差して、自らもその中へと入っていく。普段のグラハムなど知らないけれど、彼はいつもどおりの朝の過ごし方をしているように思えた。
食卓の上には典型的なブレイクファーストが並んでいる。食事といえばファーストフード系の刹那は、久しぶりに誰かの手作りを食べることになる。
スクランブルエッグにソーセージ。青野菜が少々とマッシュポテトがけっこうたくさん。なんでこれだけ山盛りなんだと疑問に思うが黙っていた。飲み物はホットのカフェオレである。
「口に合うかな?」
「大丈夫だ。普通にうまい」
「そうか。それはよかった」
シャツとスラックスという通勤スタイルに着替えていたグラハムの姿は、軍服を身にまとっているときとは印象が違って見える。官公庁に勤めるエリート高官のようだった。
どうして軍人なんだろうと、今更そんなことを思う。モビルスーツ乗りでなかったら、ガンダムと戦うこともなかっただろうに。
「刹那、君をどこまで送ればいいかな? 空港までは遠いから無理なんだが」
「いや、ここを出たところで構わない。勝手に帰る」
パンを片手に持ったまま、きょとんとした瞳が見つめてくる。
「勝手にって……。何もないぞ? ここは。基地に行くバスが出ているくらいで」
刹那は答えようがなくて困った。このあたりの地形や地名もよく分からないのだ。かといって、あまり離れすぎると、今度はガンダムを隠してある場所が遠くなってしまう。
「そうだな、じゃあ、バスターミナルまで送ろうか。そこからなら空港行きのバスも出ているぞ」
「それでいい。ありがとう」
刹那はアザディスタンへ帰るものと思い込んでいるグラハムに疑われないよう、頷いておいた。そのグラハムは少し不思議そうに首をかしげている。
「君は何故アメリカへきたんだ? 仕事か?」
これもまた答えにくい質問だった。ソレスタルビーイングのエージェントが請け負う仕事などを思い出してみたが、深く突っ込まれても困る。仕方なく、
「アンタに会いにきただけだ」
そう答えたら、グラハムの動きが再び止まっていた。今度はマッシュポテトを口へと運ぶ途中だった。
「……そ、そうか」
その後はグラハムが黙ってしまったので、食事はとても静かなものになったが、語れないことだらけの刹那にはむしろホッとする時間だった。
「刹那、林檎を食べないか?」
食事を終えた食卓の上を片付けたあとで、グラハムがそう声をかけてきた。
「林檎?」
「昨日の帰り、歯磨き粉が切れてマーケットへ立ち寄ったんだが、たまたまこれが安売りをしていてな」
紙袋をガサガサいわせながら中から取り出してみせたのは、真っ赤に色づいた林檎である。
「冷やすのを忘れたな。君が来るとは思わなかったから」
グラハムは一人でどんどん話し、キッチンへ林檎を持っていく。軽く水洗いをしてから、小さなまな板とナイフを一緒に持って戻ってきた。
「いつもだったら、いくら安売りしてても買わないんだよ。一人で食べきれる量じゃないから」
ナイフの刃が林檎を真っ二つに割る。綺麗な断面に刹那の目が思わず注目する。
「でも昨日は、なんだか食べたくなって、歯磨き粉と一緒に買ってきたわけさ」
「……ふぅん」
グラハムの手がさらに動き、林檎はくし型に切られた。赤い皮をスルスルとむいて、むき終わった黄色い果実を、刹那に差し出してくる。
「君は運がいい。偶然が重なったんだ」
差し出された林檎を受け取って口に入れる。皮の色から予想されるとおりの甘さだった。
「味はどうだ?」
「美味しい。甘い」
「それはよかった」
二つ目の林檎の皮をむき、グラハムはまた刹那に手渡してくる。戸惑いつつも断る理由もないので、ありがたくもらっておく。そうやって三つ、四つと増えていき、林檎の三分の二が消費されたところで、刹那は止めた。
「待て。これじゃ俺だけが食べることになる」
左手が持つ果物ナイフを寄こせと手を伸ばしたが、グラハムは取り合わなかった。
「言っただろう。たくさんあるのだよ。君のノルマで一個、食べてくれたまえ」
残りの林檎を半分に割ってサクサクと皮をむき、笑顔でそれを差し出してくるグラハムを、刹那は軽くねめつけた。
「アンタ、あんまり人の話を聞かないな」
「失敬な。聞くだけは聞いている」
それを聞き入れるかどうかは、また別の問題だとグラハムは笑っている。どうあっても意見を変える気はないようだ。
埒が明かないと思い、今回は刹那が渋々と折れてみたら、グラハムが嬉しそうに微笑んでいた。その笑顔を見たら、もうどうでもいいような気分になった。
林檎の皮をむいてもらい、手渡しで受け取る。それはとても懐かしい空間だった。
「家族みたいだな……」
「……っ」
ビックリしたように目を開くグラハムの動きが、三度止まっている。今度は林檎にナイフを突き刺す前だった。
「危ない」
刃物を置くなり、進めるなり、どっちかをしろと促せば、ぎこちない感じに手が動き出す。
「君は……、いや、家族とは……飛躍しすぎじゃないか?」
「何が、だ?」
刹那にしてみたら、言葉どおりの意味しかなかった。飛躍の意味を図りかねて首を捻る。
「……ああ、なるほど。そういうことか。君はやっぱりかわいら……っ、イタッ、スネを蹴るな!」
ムカつく言葉を放たれる前に、刹那は軽くグラハムの脛を蹴りつけた。君は乱暴だと不平を唱えながらも、彼は林檎の皮をむく手を止めないでいる。最初から感じていたけれど、その様子がとても楽しそうだったから、けっきょく最後まで見守り続けてしまった。
「これでノルマ完了だぞ」
さぁ、と差し出してくるひとかけらをいただいて、刹那のミッションはコンプリートを果たした。