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こごえた爪先は きみのせい

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  あのなあ・・・。
       と、くちをでかけた言葉は、白く空へと消えた。









「―― 冬の海って、やっぱ寒いね」
「・・・熱いと思ったか?」
 言外に、さすがにそこまでバカじゃないだろうと含ませれば、振り返った顔が不機嫌になる。
「さすがにここまで寒いと思ってなかったってことだよ」
 尖った声に、なるほど、と感心した言葉を返すが、心のこもらないそれに、さらに相手の機嫌が下がったようだ。恐くもないが、こちらをひとにらみすると、波打ち際に寄りながら、先を歩き出す。
 この寒さに合わない軽装。
 パーカーの上にPコートで、裾を折り返したチノパン、素足にスニーカーって、いったいどこの学生だ、と落ち合ったときにため息とともに突っ込み、希望の行く先を聞いてさらに突っ込もうとしてやめたのだ。

 寒いなんて、いまさらだ。

「―― 油断すると、波にあらわれるぞ」
 狭く砂も粗い海岸。そろそろ潮も、あがってくる。
 スニーカーをはく、いい年の男が、べつにいいよ、と重い色の海をみる。強い風が、伸びた髪をなぶり、白い額がさらされた。
 あいにくと天気はよくない。
 空の雲は、海と同じ色で、『寒い』を表したような景色だった。
「―― 靴なんて濡れたって・・・。せっかくだから、水温もついでに確かめていってもいいし・・・」
「・・・めんどうな奴だな・・・」
 思わずこぼした言葉に、白い息が重なる。
「なんか言ったか?」
 こういうことは聞き逃さない相手が、いくぶん顎をあげぎみな姿勢で聞いてくる。
  ――― なに、えらそうにしてんだ。
「『海に行きたい』っていうのをかなえてやったのに、その態度はなんだ、って言ったんだ」
「ぅ・・・まあ・・・確かに言ったのはおれだけど・・・」
「おれは先に教えてやったぞ。『今は冬だ』って」
「・・確かに、そういわれたけど・・・」
「誰かさんは、『そんなことわかってる』って怒鳴り返したよなあ?」
「うん・・・まあ・・」
 段々とうつむいて口ごもってゆく相手と間合いを詰める。
 ざり、と足元の砂が鳴った。
「―― 言っておくが、おれはタクシーじゃねえんだ。帰りのアシは、自分でさがすんだな」
「・・・・・・・・」
 完全にうつむいた相手は何の反応もみせない。
 強い風に、見下ろした茶色い髪があそばれるのを目にしていると、どうにも我慢の限界だった。
「わ!っちょ、スカル、なに、」
 かがみこんで、相手の細い足首を片方つかみ、スニーカーをとりあげる。続けてまた片方も。
 バランスを崩す男が、こちらを制止しながらも、肩につかまってくる。
 脱がし取った靴を、そろえて持ち、
       思い切りよく、
             ――― 海のかなたへむかって投げた。
「な、なにすんだよ!!」
「水温が確認しやすいようにしてやったんだ」
 向かい合った童顔が、怒りで染まる。
「ばっ!ばっかじゃねえの!?海に投げてどうすんだよ!!」
「水温を確かめに、とってくればいいだろ?―― そうすれば、少しは冬の海がどんなもんか、身体で覚えるだろうし」
「死ぬよ!!覚えるまえに、あの世いきだよ!!」
「死なせるか、バカ。ダメになる前に、おれがひきあげてやる」
「・・・おまえも、・・いっしょに入るつもり?」
「そのつもりで、おれに、海に行きたいって言ったんじゃないのか?」
「・・・・・・・・」
 向かい合った童顔が、驚いた顔を慌てて隠し、取り繕ったように、怒った顔をしてみせる。
 本当にいろいろと、『いまさら』な男だ。
「―― あのなあ、冬の海に一緒に飛び込んでやってもいいが、おれはおまえの国のオペラみたいに、身体を紐でつないで『シンジュウ』なんてのは、ごめんだ」
「・・・さすが、変な知識満載の頭だな」
「だまれ。―― もう一度言わせてもらうぞ。海に行きたいっていうのをかなえてやったんだ。おれに何か、言うことは?」
 みおろした顔が、くやしげに眉をよせ、口をとがらせる。
 この、ゴウジョウが。
「わ!!今度はなんだ!?って、わあ!!はやまるな!!」
 騒ぎ出す軽い身体をかかえあげたまま、とっとと波うちぎわへむかう。
「一緒に、靴をさがしてやる」
「・・・・・・」
 ブーツに、波があたる感触。
「ぎりぎりのところでおれを試したいのか、はたまた、何かの不安要素でおまえがひどく不安定になってるのかは知らないが、ようは、こういうことだろ?」
「ち、ちがう!ちがうんだって!!」
 かかえた男がこちらの肩をつかみ、暴れだす。砂がついた素足をばたつかせ、その砂が顔にあたる。
 ブーツのくるぶしまで塩水につかり、あまりのあばれように、そこに立ち尽くす。
 革の縫い目からは、じわじわと確実に水が浸食している。
 抱えた男がこちらのジャケットの首元をつかみ、すぐそこでわめいた。
「ただ!ふつうに、海に来たかっただけだよ!おまえのバイクで二ケツして!ふ、二人で、ふつうに海とか眺めたら、どんなかなって、思って・・・・そういうの・・・いまさら、恥ずかしくて、誘えなくて・・・夏に、できなかったから・・・その・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 見合った顔は、うつむかなかった。
 いつもと変わらないきれいな目は、ちょっと潤んできていたけれど。
 顔だって、ひどく赤くて。
 髪はずっと、海風にながされて、額もでたままで。
 
  ――― ようは、そういうことだ。

「・・スカル、海についてから、ひとこともしゃべんないし、おれのあと仕方無さそうについてくるだけだし。・・・・そりゃ、こんな寒いとこに誘って、悪かったけどさ・・・。寒いねっていえば、あんなふうに、返すし・・・・。よけい、素直に言えなくなっちゃって、そのうえ、くつ、」
 既に、海には背をむけていた。
 ブーツの中が気持ち悪いし冷たいが、そんなことは、どうでもいい。
「―― ひとつ、教えておいてやる。冬の海を楽しむなら、飛び込むよりも、窓から眺めるほうがずっといい」
 かかえる男が、ふきだすように笑いをもらした。
「それ、おれも、知ってるよ」
「どうだか」
 短く返す自分の鼓動が落ち着きないのを感じる。
 抱えた相手に、この動揺が伝わらないよう、ただ祈る。
「なんだよ。おれだってこんな寒いの、好きじゃないんだぞ」
「知ってる」
 声が震えそうで、短く答える。
「お前も足、冷たいだろ?」
「誰かさんのせいでな」
 あまり、焦らせないでくれ。
「おれのせい?・・・・・・なんだよ・・」
 また、拗ねてしまったような声をだした顔が、ふいに勢いをつけ、肩におしつけられた。
「・・・じゃあ、責任持って、あっためるよ」
 ふみだした足が、ひどく砂にめりこむ音をたてたが、どうにか体勢は保つ。
 あのなあ、と出かけた言葉を飲みこみ、はにかむような表情をうかべる顔をみてしまう。
 焦りなど通り越し、見合った眼に吸い寄せられて、色の薄い冷えた唇を、舐めた。
 少しだけ、相手の舌先がこちらの唇をなめ返し、冷たいな、と笑った。
「責任持って、あっためてもらうから安心しろ。―― 海でも、ながめながら、な、」