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お姫様は夢を見る

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月光に照らされて影が伸びる。
自身の身体を掻き抱くのは、抑え切れない熱が溢れ出しそうだから。
真冬とは思えない程にじんじんと疼き、沸騰しそうなまでに血が騒ぎ立てる。

(駄目だってば、治まれよ)

出来る事なら冠葉に気付かれないままでいたい。
だけど願いは虚しく消え後に僕を蝕むであろう事が、仄かに陰る心の片隅に予感として現れる。

見慣れた我が家を目にして、ふと立ち止まる。
人の気配と、灯りと、それから立ち込める温かい匂い。
嬉しいはずなのに、渦巻くのは靄が掛かった複雑な気持ちで。

言い様のない叫びを呑み込んで、浅い呼吸を繰り返した。

「ただいまぁ…」

恐る恐る扉に手を掛けて潜り抜けるそこに、兄はいた。

「おかえり、遅かったな。何処ほっつき歩いてたんだよ」

おたま片手にエプロンを纏い、あまり見慣れない光景に胸がざわめく。
何突っ立ってんだよ、と言わんばかりの咎める視線に耐え切れず、僕は慌てて扉を締めた。

「兄貴こそ、今日はやけに早いじゃないか」

女の子に振られたの?なんて平静を装って嫌みの一つも飛ばしてみるけれど、拭いきれない不安は確かに隣合わせに在る。
ぎゅっと鞄を握り締める手は、じんわりと湿って生温かい。

「そんなんじゃねぇよ。…まぁたまには、早く帰って来ても罰は当たらねぇだろってな」

「そうだよ。分かってるならこれからも早く帰って来てよね。遅く帰って来られるとご飯も温め直さなきゃだし、お洗濯だって夜のうちにセットしときたいのに出来ないし…」

「あーはいはい、わかったって!せっかく今日は早く帰って来たんだし、小言は無しにしてくれよ」

そう言って無邪気に笑う。
大方陽毬のお見舞いに行って、それで機嫌が良いのだろう。
冠葉は気紛れで、複雑だった。
陽毬を見る度に苦しそうに笑うくせに、会えばそれだけで嬉しいのだとまたわらうのだ。

まだ陽毬が元気だった頃。こんな未来が来るとは予想だにせずに笑い合っていた日々。
それが崩れ堕ちて非日常が日常に変わったのは、陽毬が倒れた事がきっかけに過ぎない。
それは、偶然であって必然。
冠葉が陽毬を愛する故に支えきれなくなった想いも、それが僕に歪んでぶつけられた狂事も、僕の周りから他人が消えていった寂れた現実も、全て。
今となってはどうする事も出来ないけれど、擦り切れた繋がりを維持する為にはその全てが必要だったと言う事だけは分かっていた。

だから、僕は諦めるんだ。やっと掴み掛けた何かを。

作品名:お姫様は夢を見る 作家名:arit