世界樹の巨乳ハンター
わたしもおぼえようかなー、と。ジュースのグラスを手に、飛び散る破壊の結果を器用に避けながら避難場所を探していたメディックの少女がひとりごちていた。「くっそ、この大鹿……!」
「障害はすべて排除してこそ恋する乙女のカタルシスなのよ」
「カタストロフ引き起こしながら何を言っちょるか。ちゅーか、乙女とか自分でゆーな婚活女!」
「――ヘヴイイイイイィィィィィィストラーイクっ!」
広いとはいえない酒場は、すでに惨澹たるありさまだ。だが、店の主人がいるからか、それとも別の理由か。カウンター付近だけは被害が出ていない。
「……そろそろ諦めてはいかが?」
「そっちこそ肩で息をしてるくせに」
メディックの少女は一つだけあいている椅子をみつけ腰を下した。カウンターの上にはあいていないグラスがあるため、正確には空き椅子というわけではないだろう。だが、彼女は気にする様子もなく、自らのジュースを飲みほすと、ごちそうさまでしたーと女将にグラスを手渡した。「兵士に引き渡すのだけは勘弁してあげようと思っていたんだけど……」
友人のソードマンの少女は、大量の肉まんは帰ってくるのだろうか、と。店の入り口を眺め思案していた少女は、傍らで一人のアルケミストが固唾を飲んで巨乳ハンター対メディックの女性の戦いを見守っていることに気づいた。少女は、ぽんと手を打った。
「ねえねえ、彼女とめなくていーの?」
少女が指さす先には、メディックの女性の一撃でふっとんだ椅子に頭を直撃された間抜けな冒険者がいる。アルケミストの男性は初めて少女に気がついたかのように、そちらを見た。
「あっ……!」
自業自得というべきか、床に転がった酒瓶をふみつけ、メディックの女性がバランスを崩す。期を逃さず、巨乳ハンターが距離を詰めた。襲いきた長剣を、メディックの女性が杖で受け止める。微かに震える腕に、巨乳ハンターは口の端を歪めた。「ああっ、危ない!」
「アルケミストなんでしょ? 氷術の一発もかましたら頭冷えるんじゃない?」
拳を握るアルケミストに対し、他人事そのものといった表情で、少女が物騒な提案を行う。普段であればとんでもないと眉をつり上げるべきところだが、現状においてそれは悪くはない提案だった。いまさら壊れることを気にするべきものはほとんどなく、客はどうせ冒険者ばかり。頭を冷やせといったところで、とても聞くとは思えない。カースメーカーあたりにどうにか()してもらうのがいいのはもちろんだが、店内に独特のローブを身につけた彼らは見当たらない。まあ、彼らとてオフの時間も含めて同じ格好をしているかどうかは不明だが、この状態で手を出してきている誰かがいない以上、進んで力を行使するつもりの人間(カースメーカー)がいないと見ていいだろう。だとすれば、横合いからアルケミストの術でふっとばすのは、次悪程度には悪くない考えだ。「……できない!」
くっ、と、苦しげにアルケミストは言った。メディックの少女は、首を傾げ、一度目を瞬かせた。
「僕にできるはずがないだろう……」
巨乳ハンターは、一度飛びのいた。態勢をたてなおし、肩で息をするメディックの女性に対し、これ見よがしに墨汁のビンを取り出してみせる。メディックの女性は、きっと巨乳ハンターを睨んだ。
「巨乳ちゃんたちを攻撃することなどできるはずがない! 世界の巨乳ちゃんはすべて僕の腕に飛び込んでくるべきなんだ!」
「うわあ最低」
ごつっ、と、冷静なメディックの少女のつっこみが炸裂する。ほんの一瞬目を見開いたかと思うと、どうとアルケミストは崩れ落ちた。え? と、つっこみを入れた方のメディックの少女が、自らの拳を見てぽかんと口を開いた。 あーあーいっけないんだー。アルケミスト紙装甲だからねー。ねー。と。周囲の野次馬の声に、メディックの少女は、うそと小さく呟く。
「――さん!」
小さな騒ぎに、自らの彼氏の様子を知ったメディックの女性が、声をあげカウンターを見る。床に横たわったアルケミストは、ぴくりとも動かない。
その瞬間、彼女の脳裏から、きれいさっぱり巨乳ハンターの姿というものは抜け落ちた。
もちろん、そのすきを逃すような巨乳ハンターではない。彼女の豊かなバストに対し、稲妻のごとき剣がひらめいた。
「――っ!」
ほんの一瞬、店内は水を打ったように静まり返る。そして。
「きゃああああああああ!」
絹を引き裂くような悲鳴がある。すばやく剣を収めた巨乳ハンターは、墨汁を手に座り込んでしまったメディックの女性にかけよる。だが。 服を引き下し、豊かなバストをまろび出させようとしていた巨乳ハンターの手が止まった。メディックの女性は、ぎゅっと胸のあたりを両腕でかばいながら巨乳ハンター(てき)を見上げている。
店内の野次馬、そして彼氏や女将。巨乳ハンター以外の人間は、誰一人として気づいていなかった。胸と腕の間から、レモンのような形をした何かが顔を出している。そして、大きなブラジャーのカップが押し上げるものをなくして、形を崩していた。
「……え?」
涙目の女性メディックが口を開きかける。それを制し、巨乳ハンターは彼女の肩にふわりとさらし布をかけた。
「……すまなかった」
その言葉と思いのほかやさしい手つきに、女性メディックはきゅっと唇を引き結ぶ。巨乳ハンターは、勢いよく半身を起こした。「巨乳ハンターの敵は悪の巨乳のみ。彼氏と仲良くな……」
ぢぇいっ! と、姿勢をただすなり、巨乳ハンターは床を蹴り店の出口へと駆けた。ひゅーほほほほほほほほ! と、独特の笑い声だけが残る。異様なマスクの近辺にきらりと光るものを見たという人間もいたが、おそらく何かの見間違いだろう。
「巨乳ハンター……すごい乳だ」
「アンタほんっと最低だな」
カウンターのアルケミストは、いつのまにかすっくと立ち上がり、巨乳ハンターが去ったあとを遠い目で見つめていた。その後頭部に対し、復活すんなの一言とともに、メディックの少女の一撃が入る。
それに気づき、胸の詰め物を整え、さらしを巻き終えた女性メディックが彼の名を呼びながらカウンターに駆けよってくる。「……かえろっと」
ひざまずき、彼の頭を抱えて、大丈夫? 今、治しますと献身的な白衣の天使を見下ろし、少女は肩をすくめた。ありがとうまた来てねの女将の声に手をふり、彼女は店を出ていく。それを見送った後、にこやかな女将は、先ほどから書きつけていた被害額の紙を、恋人たちに差し出した。
*
数日後、ソードマンの少女とメディックの少女が、すっかりきれいになった酒場のすみでテーブルについていた。大騒ぎだったんだよー、と。そう言ってきゃはきゃは笑うメディックの少女に頷きながら、ソードマンの少女はジュースのグラスを両手で抱え込んでいた。
一渡り、巨乳ハンター騒ぎについて語り終えたメディックの少女は、そういえばと言って、ぽんとてのひらを打ち合わせた。「そういえば、あの例のアルケミスト、結局メディックのおねーさんとうまく行かなかったらしくってさー」
軽い調子の言葉に、ソードマンの少女は少し目を見開いた。そう、と、小さく呟くと複雑な表情でジュースに口をつける。
作品名:世界樹の巨乳ハンター 作家名:東明