Ecarlate
「だが誰よりも軍をよく理解していたのもまた彼女だ。だから、大人に訴えても誰もなんともしてくれないことをわかっていた。…そんなプリンセスが目を付けたのが、我々だったんだよ」
「…我々って、あんたと、中佐?」
「そうだ。…私は当時から錬金術自体は学んでいたからな…その実験過程を見られたのが運の尽きさ。それで彼女を救い出すのだと…言ったわけだな。プリンセスは。…また悪いことにヒューズというのは昔からそういう話に弱くてな…」
「……。それはなんとなくわかる」
だろう、とロイは頷き、また金髪をそっと撫でた。さっきからこうして幾度も撫でているのに、彼は飽きるということを知らないようだ。
「…実際の武器は司令部から失敬した。プリンセスは流石に、伊達に幼少のみぎりから司令部で育っていない。弾薬の数も場所も、誰よりもよく把握していたのさ。それにヒューズも、その頃から情報を集めるのがうまくてな…私などは本当に巻き込まれたといってもいいくらいだ」
「……。でも、見捨てなかったんだろ」
エドワードは拗ねたようにぽつりと言った。…そうだ。どんなに口悪く言っても、ロイは、一度懐に入れた相手を見捨てたりはしない。それはたぶん、エドワードのことも。そんなことは本当は知っていたのだ。ロイが、エドワードのことをどうでもいいと思ってなどいないことくらい。普段そんなことを言うロイでもないし、目に見えて甘やかされているわけでもない、顔を合わせれば憎まれ口ばかり叩き合っているけれど、それでも。そんなことは、誰に言われなくても知っていた。
「…そんなこと、出来るものかね。末代まで祟られそうだ」
ぼやくように言ってはいるが、ロイなりのポーズだとわからぬエドワードでもない。
「…。じゃあ、その後何回かエカルラートが事件起こしたのは、なんでなんだよ。最初のが終わったら、それで目的は果たせたんじゃなかったのか?」
「…。プリンセスも、そうは見えなくても子供だったし、…我々もまた、…そうだな。少年だったというのだろうな。…正義の味方ごっこをして、…楽しんでいたんだよ」
困ったようにロイはいい、小さく笑った。
「エカルラートが起こした事件のことは、すぐに噂になった。…それからはちょっとした騒ぎだったさ。…自分も助けてほしいという投書が数多く新聞に掲載されてな。…いい気になって居たんだ、私達は」
「…でも、…ほんとにそれで助かった人だって、いたんだろ?」
「…さぁ…。どうだろうか。…長い目で見たら、どうなのか…」
エドワードはもぞりと頭を動かす。顔を上げたいという意思を、今度はロイも汲んでくれた。ゆっくりと顔を上げた少年の視線から、ロイは逃げはしなかった。
そこにいたのは確かにエドワードも良く知るロイ・マスタング大佐であったが、どこか雰囲気が違うようにも思えた。ロイが、何か懐かしいものを見るような、穏やかな顔をしていたせいだ。
あとは、服装のせいもあったかもしれない。今のロイは、軍服を着ていなかった。上も下も黒い服を着ているのだ。ちょうど、語られるエカルラートの服装とそれは似ている。今のところのロイの話から考えるのなら、もしかしたらヒューズも同じような服装をしてどこかに潜んでいるのかもしれない。
「…まだ生まれて一年も経たない頃の、君に会った事がある」
ロイの静かな告白に、エドワードは目を見開いた。
「…母親に抱かれて笑っていた。壊れてしまうんじゃないかと思った、抱いてみてと言われた時、あまりに小さくてやわらかかったから」
小さい、という禁句にも反応できないくらい、エドワードは呆然としていた。
「…トリシャ・エルリックを誘拐してほしいという手紙は、新聞社に宛てて送られたものだった。彼女は年上のやくざな男に騙されて田舎に行ってしまった、騙されて苦労しているに違いない、と書かれていた」
エドワードは自身の父親のことを思い浮かべてみた。…自分から見ても、弁護できる気がしない。
「ヒューズが調べたところ、確かに彼女は随分年の離れた男と結婚して暮らしているということだった。その上、身重の彼女を置いて、夫はふらふらと何日も帰らないことがあるのだと」
これもまた、エドワードもよく聞き及んでいたことだったから、弁護のべの字もない。むしろその通りだとばかり頷いてしまった。
「…。母は偉大、とはよく言ったものだと思ったよ」
「……?」
「私達は、彼女がすこし大きな町の病院へやってくる時に合わせて、誘拐を実行に移した。…だが、…エドワード」
「…!」
名前で呼ばれ、髪をやさしくかきあげられ、エドワードは息を飲む。
「…おまえが急に泣き出して、通りすがりを装うつもりだった私は、…なぜか、大丈夫ですかと手を差し出してしまったんだ」
「……え……」
「お母さんは、すこしも動じたところがなかったな。だが、…私を見て、何を思ったんだろうか。抱いてみて、と赤ん坊を差し出して」
気がついたら受け取っていた。おっかなびっくり抱きしめれば、エドワードはぎゅうっとロイにしがみつきながら、さらにわんわんと大きな声で泣いたのだ。
それらすべてが、ロイにとっては衝撃的な出来事だった。
「…困っただろ」
「大いに。…だがな、…とても、…なにかとても大事なことを、教えられた気がしたよ」
まったくの新生児ではないにしても、充分に赤ん坊という年齢だっただろうエドワードを抱えて途方に暮れる、少年のロイを思い浮かべ、エドワードは笑った。それにロイは肩をすくめたが、目を細めるとそんな風に言う。
「…守ってやらなければと自然と思ったよ。ほんとうに小さな…そうだな…紅葉の葉みたいな、小さなやわらかい手で、よく物もつかめないだろうに私の服をぎゅっと掴んで、しがみついて、私の耳の傍で遠慮会釈なしにわんわんと大泣きをしたんだ。おまえは」
「……ツクリじゃねえのか…」
「真実だ。…もっとも、秘密ではあったけどな」
ロイはもう一度エドワードの髪をかきあげ、頬を撫でた。
「…最後の誘拐が失敗してエカルラートは姿を消した、ということになっているが、実際のところは…それで気が抜けてしまった私達は正直にトリシャさんに謝って…鋼ののお母さんは実際偉大な人だった。素敵な勉強をしたわね、と笑って、…反省の印にリゼンブールまで送ってくれたら許してあげるわ、と言ってくれたよ。…ただ、まるでその頃のおまえと同じ扱いでな、私達の頭を撫でながらだったのが少々気になったが…」
最後の部分で不機嫌そうになったロイに、エドワードはつい噴出してしまった。なんだかロイが子供っぽい顔をして拗ねていたせいだ。
「…まさかもう一度おまえに会うとは思わなかった」
しかし、一度は子供っぽくなったロイの顔が、その台詞を口にすることで、痛ましげな表情に取って代わる。
「…。トリシャさんは、…残念だった。…私が、」
「……」
何と口にしたものか困ってしまって黙り込むエドワードの頭を、再びロイが抱き寄せた。そしてかたく抱きしめる。
「…私が傍にいられたら、と。…本当は何度も思ったんだぞ」