恋愛戦略
「眞悧先生……! どういうことですか」
冠葉を膝枕している関係であまり大きく体制を動かせない晶馬は、それでも肩越しに背後を振り返った。
「どうもこうも……聞いた通りさ。理解できなかったかい?」
眞悧は軽く肩をすくめて笑顔を見せる。
「まさか、陽毬にも……」
「彼女には手を出していないよ。もともと僕が狙っていたのはあの双子だけだったからね」
「あの双子……」
くすりと、眞悧は耐えかねたように小さい笑いをこぼした。
「なあんだ。君はそんなことも知らなかったのかい? じゃあこれは、君への宿題。彼と本当に双子だったのは、誰だったのか。君は誰を犠牲にして、彼とのつながりを手に入れたのか……ま、これは時間はたっぷりとある訳だし。ゆっくりと考えればいいさ」
相変わらず人をどこか小馬鹿にしたような口調のあとに、ますます芝居がかった口調になる。
「彼とのことは……そうだね。僕は美しいものは愛でる主義だし、彼は……彼だけは僕を拒まなかった。愛し合う二人が睦みあうのは当然のことだろう?」
「ふざけるな!」
ほとんど怒号に近い声を上げて、晶馬はあわてて膝を見下ろした。冠葉を起こしてしまっただろうか。冠葉はきれいな弧を描く眉をわずかに歪めて身じろぎをする。そうして再び深い眠りに落ちていくのを確かめてから柔らかい猫っ毛を撫でた。
「ふざけるなよ……冠葉があなたを拒めるはずがないじゃないか。だって、あなたは……陽毬の……」
囁くように、吐き捨てるように、晶馬は必死の思いで口にしたというのに、
「だよね」
返答は至って呑気だった。
「悔しいでしょう? 晶馬君。だからあなたにゲームを持ちかけているの」
吐き気を催すほどの悔しさの中、桃果が再び会話に割って入ってきた。
「落ち着いて。……そして、想像するの。もしもう一度あなたが冠葉君を育てられたなら……あなたの愛だけを一身に受けて成長した、冠葉君を……」
心のうちは最悪の気分だというのに、その光の声はどうしようもない強さで晶馬を導く。(この感覚には覚えがある。そうだ、あの列車に乗る朝に……)
血の色に染まっていた頭の中に光がさす。まばゆい光の中、こちらに背を向けって立っている姿がある。柔らかくはねた髪。すっきりと涼しげな輪郭の首筋は、白く、すらりと伸びた背中は、薄い。
例えば? そう、これは別の世界の冠葉。晶馬からの愛を一身に受け、晶馬からの愛だけを糧に育ってきた冠葉。他の誰からの愛にも彼は流されない。なぜなら彼はもう、晶馬だけで十分だったから……
『冠葉!』
後ろから呼びかける。その肩がぴくりと震えて、彼が振り返る。それはまるで永遠の一瞬だった。徐々に彼の繊細な顔立ちが晶馬の前に示される。その眼が晶馬を捕らえる。晶馬を認識する。その顔が、まるで花がほころぶかのように満面の笑顔になる……
「……イイ……かも……」
どうしようもなくにやける口元を押さえて呻いた。
「でしょ? だから、やりましょうよ。もう一度」
桃果の声に、そのまま頷きかけて、晶馬は踏みとどまる。視線をおろし、冠葉の頬を撫でながら、
「でも、冠葉はなんて言うかな」
ふと気になって呟いてみる。
「僕は、別に今の冠葉を否定したいわけじゃなくて……」
こみあげてくるこの気持ちを、なんと呼べばいいのだろう。
「わかるわ。好きなのよね、彼のことが」
いつのまにか大分近くまでやってきていた桃果が言う。
「今の彼を否定するんじゃない。今の彼を癒すためにやり直すの。そうよね、冠葉くん」
声をかけられて、冠葉の瞼がぴくりと震えた。そうしてゆっくりと開かれていく。その目は晶馬のように特段長い睫毛に彩られているわけではなかったけれど、晶馬はすっきりと涼しげで色香のあるラインを見せる彼の目の形が大好きだった。
「ん……しょ…ま…?」
寝起きの掠れてたどたどしい声が晶馬の名前を呼ぶ。頬を撫でる手に少しだけ力が入ってしまったのは不可抗力か。冠葉は淡く微笑むと、心地よさ気に晶馬の指に顔を摺り寄せた。
「いいよ、晶馬」
人より少し多く空気を含んだ冠葉の声は、柔らかい響きを帯びるととても優しく響く。
「お前のしたいようにすればいい。俺はお前に従うよ」
少しだけ自嘲を含んだ笑顔を浮かべ、
「ずっと、お前のことは放りっぱなしだったからな……」
「冠葉……」
晶馬は冠葉の手を取って、まっすぐに冠葉の目を見つめた。
「約束する。今度こそ絶対幸せにするから。淋しい想いはさせないから……」
厳かな誓いを、冠葉はこれまで見せたことのない程純粋な笑顔で受け止めた。
「で、あなたはどうするの?」
二人だけ残されたその空間で、桃果は眞悧に尋ねる。
「何歳まで晶馬君は冠葉君に手を出さずにいられるか。スタートは6歳から。彼らは16歳より年は取れないからそれまでの範囲で」
「手を出す、の範囲にキスは含まれるのかな? それによって大分変ると思うけど」
眞悧はいつも通りのからかうような口調で桃果に問う。
「どんな行為であれ、欲望を伴って行動すればその時点で手を出したってことになるわ。私は16歳まで彼は手を出さないと思う」
「そうかな? 人間って、案外弱いものだと僕は思うけど……13歳」
二人の足元にぽっかりと穴が開く。その穴からは地上に降り立った晶馬と、冠葉の姿が映し出される。
「しばらくはこれで、退屈が凌げるわね」
「ところでこの場合、冠葉君の方から行動を起こしたらどうなるんだい?」
「その時は二人とも負けね。でも、私は負けるつもりはないわ」
「僕だって、負けないさ」
永遠の空間の中、新しいおもちゃを手に入れた二人はしばらくの間退屈せずに済みそうで、声を弾ませながら、幼い冠葉の手を引いて歩く晶馬の姿を見守るのだった。