好きだから【臨帝】
帝人はソファに座っている臨也の元へ走って行く。
「臨也さん、臨也さん」
こんなに呼びかけているというのに臨也は涼しい顔で「慌ててどうしたの? かわいいけど」など余裕の顔だ。
「た、大変なんです」
言わなくても分かるだろうと無茶なことを言うのをグッと押さえた。
今は頼んでいる立場だ。全然そんな風に見えなくても帝人は臨也を頼るためにわざわざ来たのだ。
「帝人君のかわいさはいつも大変だね」
「寝ぼけたこと言ってないでください。頭がおかしい暇はないんですよ」
「人に助けを求めておきながら、その態度かい?」
「ちょ、ちょっと、もうっ! あ、あぁ」
焦りからの苛立ちというよりも臨也の平気な態度が鼻につく。
こんなに大変だと言っているのにあたたかい微笑みなどいらない。
「えー、引っ張らなくたって俺は帝人君についてくよー」
軽い臨也の言葉に腹が立つ。
威張れることではないが腰を抜かせばいいと帝人はキッチンを指差す。
「これを見て冷静でいられるんですか?!」
「わぉ、見事に炎が渦巻いてるね」
臨也はやはり笑っていた。
腹が立つがこの惨状は自分が作り上げたものなので臨也に怒りをぶつけるのは違う。
帝人は頭を抱えた。
「あ、あぁ……僕はどうすれば……」
人の家でとんだ惨事。
「高温の油に水でも入れたの?」
年越しそば用の天ぷらを揚げていた。
波江が下準備を済ませてくれて「これで出来ないなら火を使う資格はないわ」と言われた。
(僕は火を使う資格はないんだ……)
何が悪かったのだろう。
「手についた水が油に入ってパチパチ言ってて怖くて……気付いたら」
まずは何より謝って消防車でも呼ぶべきなのだろうが帝人も火柱の前で頭が回っていない。
こんな風になっていてもまだ年越しそばをどうやって茹でようかと考えているのだ。
もう時間がない。
「ふぅん。ごめんね、帝人君ちょっと手を放して」
何を読み取ったのか「仕方がないな」と言いたげな臨也の表情。
がっちり臨也の腕に抱きついていたことが今更に恥ずかしい。
慌てて手を離せば冷蔵庫と壁の間から臨也は消火器を取り出した。
カバーがかかっていたので知らなかった。
「そんなのあるんですか」
「以前押し売りされてね。なんでも買っておくものだね」
「一般家庭に……」
呆然とつぶやく帝人に臨也はウインクで答える。
「俺はよくスプリンクラーの設定切ってるから」
「燃え盛る炎に抱かれる願望があるんですか?」
「帝人君を抱きしめる腕しか持たないよ」
なんてことないように臨也は消火器で炎を鎮火させる。
自動販売機にお金を入れて飲み物を取り出すようになんでもないような動作。
躊躇いも喜びもない涼しげな横顔に焦りは一切なかった。
「すごいっ。すぐ消えた! 消火器ってすごいっ」
まっすぐに臨也を褒めるのは嫌だったので帝人は消火器へ拍手を送る。
「俺を褒めてよ。道具は使いようだ」
「消火器売りの人えらいっ!」
「金を払った俺はもっと偉くてすごいよ」
「なに張り合ってるんですか?」
本当は臨也が欲しがっている言葉がどんなことであるのかなんて分かっている。
平気な顔をしている臨也がずるいと思ったので口にはしない。
「いや……帝人君が『やったー。臨也さんすごい』って俺の胸に飛び込んでくるのかと思ってたのに」
「あぁ、だから消化し終えた時、いきなり手を広げ出したんですか? 格好悪いポーズだと思ってしまいました」
「帝人君が飛び込んできて完成するからね! 俺、単体じゃダメだから」
なおも手を広げて「帝人君が来れば格好悪くないよ」と言ってくる臨也の胸に飛び込む気はない。
時間が迫っているというのにキッチンはもう使えない。
真っ黒になったのは帝人のせいなのだが来年まで暗い気分を持ち越したくはなかった。
「今日の夕飯はデリバリーですね。どうしましょうか」
「あんなに焦って俺を頼ってきたのに、そのクールさはどうなの。もう電話掛けてるし」
「お寿司お願いしました。トロはあげます」
年越しそばはさすがに混んでいるだろから寿司にしたが、寿司でも混んでいるかもしれない。
「でも、焦る必要ないじゃないですか」
焦りまくった帝人は言う。
真っ黒に煤けたキッチンは来週中には臨也が元通りにしているだろうから気にしないことにする。
そう思い込もうとする。
「……まぁ火は消えたしね」
「はい、臨也さんが処理してくれました。だから安心です」
臨也はリフォーム代など請求してこないだろうと一方的に信じ込んだ。
そんな帝人の微笑みに対して「やっばい、キュンときた」と臨也は胸を押さえる。
「胸を押さえて……病気?」
ダメな人だと帝人が呆れるのにも気にせず臨也は嬉しそうな顔のまま。
「恋の病だね」
「頭の?」
「心を脳だとするのなら」
「まぁ、いいですけど。僕も同じですから」
本当のことなので認めるしかない。
携帯電話が手元にあるのに消防車を呼ばなかったのは臨也が何とかしてくれると思ったからだ。
こんなどうしようもない大人を信頼してしまっているのだ。
自分が何をしようとどうにか解決してくれると臨也に対して思っている。
「帝人君に心を狙撃されてるっ」
「臨也さん専用のスナイパーというのも楽しいですね。外した弾が勝手に当たる」
「どんどん狙い撃ってくれていいよ」
「いやですよ。臨也さん、返してこようとするじゃないですか。防御力違うんですから加減してください」
「一人ではラブだけど俺たちは二人なんだからラブラブで当たり前じゃないか?」
「そんなことないです。愛情は噛み締めてゆっくりで充分です」
「感じ方の違いだね。俺には常に必要だね。スルメじゃなくて主食として摂取するから」
噛めば噛むほど味が出るという意味でスルメなのだろう。
少し照れ臭い。
一緒に居ればいるだけ愛情が増すのだ。
「スルメ美味しいですけどね。しゃぶって噛まずに捨てちゃうことも多いですけど」
「しゃぶったスルメ寄越せと言うべきかその例えだと俺の愛の行方はどういうことなのかとか、どこをツッコミ入れれば?」
「味がなくならなければずっと僕の口の中じゃないですか」
「帝人君のハート泥棒っ」
「お互い様ですよ」
溶けない飴玉を口の中にずっといれているような、そんな愛情の在り方。
「IHクッキングヒーターがあるから改めて蕎麦でも天ぷらでも作ろう」
「お寿司は?」
「飽きたら食べればいい」
帝人が未練がましくやり途中だった天ぷらや袋に入ったままの蕎麦を見ていたからだろうか。
「ごめんね、油に細工してて」
「最悪ですよ!! 何を告白してるんですか!」
あったかくなった気持ちが台無しだった。