continuous phase
innocence・セシル
呼吸が止まる。
息が出来ない。
セシルは、楽曲を聴き終わっても呆然としてしまっていた。
「Mr.イチノセ、凄い…」
力強く展開していく歌声が耳の奥にこびりついて離れてくれない。
「カレは…」
今恋をしているのだと、そう思った。
こんなにも激しく、狂おしく「誰かを想っている」。
口数が少ない分、言葉一つ一つを大切にしているのがセシルには分かった。
誰の事だろう、とも思う。
「うーん…ワカリマセン…」
CDは既に終わっている。
セシルは、CDデッキに手を伸ばし、オケトラックを再生した。
楽譜を見た時、これを春歌が作ったのかと少々吃驚した。
オケで編曲されたものを耳にして、更に吃驚する。
(激しい…トテモ)
Aメロの柔らかさを抜けるとBメロが小さく助走が始まる。
そして辿り付くサビが、あまりの激しさに想いが抑えられない。
「ハルカ…これはあなたの想いですか?」
---誰への?
セシルは、胸の奥にチクリと痛みを感じる。
渦巻く文字の世界。
紡ぎだされる音の世界。
自分の為に作られた曲ではない。
誰かの為の曲。
その「誰か」が分からない。
不安がどうしても消えないままで、体中に黒いものが巻きついていくような感覚に陥った。
体が震える。
悲しくもないのに、涙が頬を伝った。
「my princess…」
---ハルカ…。
小さくいとおしい人の名前を呼ぶ。
世界に幾つもあるだろう”名前”の音だが、自分が口にするのは自分の音楽の女神である”彼女”の名前だけ。
(アナタは誰を想っているのでですか?)
答えてくれない空間へ生まれた問いを投げかける。
無駄だと分かっていても、どうしてもしてしまう自分がいた。
どれくらいの時間が過ぎたのか。
窓の外は既に朝陽を迎えていた。
音楽は、ずっとなりっぱなしだった。
セシルはゆっくりと体を起こす。
体の節々が痛む。
どうやら床で眠ってしまっていたようだ。
デッキに手を伸ばして停止ボタンを押した。
窓を開けて朝の風を部屋に取り込んだ。
人工的な空間に自然の香りが充満していく。
セシル自身、自分の中に「新しい日」を取り込むために深く深呼吸した。
まだ昨日聴いていた「音楽」の温度が体に残っているのが分かる。
セシルは部屋に戻り、楽譜に手を伸ばした。
「まだワタシはアナタの全てを知らない。
だから…」
いとおしい人に近づく為に。
全てを知るために。
己の魂をこの曲に投影する、その覚悟を決めた。
作品名:continuous phase 作家名:くぼくろ