PUZZLE2
芥辺探偵事務所にて、皆でお茶を飲んでいるそのときのことだ。
話題を提供したのは、佐隈 りん子。彼女は本当になにげなく、例えば近所の人に飴玉を貰ったとか、そういった暢気なニュアンスで話し出した。
「そういえば私、変な男の人に、あとをつけられてるみたいなんですよね~」
部屋の温度が一気に低くなる。
りん子の言葉に反応したのは一人と一匹。残りの犬ヅラの悪魔は、こちらもやはり全く危機感のない様子で、お茶請けの水ようかんをもぐもぐと頬張りながら返した。
「なんや、お前みたいな色気のない女、つけ回す奴なんかいるんかいな。犬とかネコとかちゃうん?」
「もー、ひどいな、アザゼルさんってば」
朗らかな、明らかに間違ったテンションで行われている会話を打ち切るように、この事務所の主は、アザゼルの頭を力いっぱい蹴りつけた。
「ぐふぉっ!?」
「そんないい笑顔で話すようなことじゃねーだろーが。さくまさんも!」
「は、はあ……。」
一喝されたりん子はびくっと体を縮こまらせたが、だがなぜ怒られたのかよくわかっていない様子だ。
「芥辺氏の仰るとおりですよ、まったく」
床に沈み、ぴくぴくと足を痙攣させている悪友を一瞥したベルゼブブの軽蔑の眼差しは、そのままそっくりりん子に向けられた。
「年頃の娘が、そんなに緊張感のないことでどうするんです。危ないと思ったら、警察に連絡するとか何とか、対策を講じなければ!」
「えー、めんどくさい。飽きたらそのうち、どっか行きますよ」
さらりとやる気のない台詞を吐き出した彼女に、ベルゼブブは一文字型の飛行形態を取り、突っ込んでいった。
「てっめえはよお!なんだってそう、危機感ゼロなんだよ!ナッシングなんだよ!!クソバカタレがあああ!!」
「ぐはっ!?」
容赦なく悪魔の頭に鳩尾を抉られたりん子は、腹を押さえて悶絶する。だが、ベルゼブブは攻撃の手を休めなかった。ソファに座ったままのりん子の太ももに降り立つと、ヒレに似た手をバタバタと上下に揺らしながら、怒鳴りまくる。
「ガチの変質者だったら、ターゲットをレ●プするまで引き下がるわけねえだろうが!!てめえ、穴ボコだらけにされた挙句、河川敷にでも捨てられてえのか!!ああん!?」
「え、ええ……?ちょっと大げさじゃないですか?」
相手のあまりの剣幕と声の大きさに、りん子は耳を押さえつつ戸惑う。そんな中、近付いてきた芥辺は、怒れるベルゼブブの首根っこをつまむと、ひょいと床に投げ捨てた。
「そのハエの言うとおりだ。さくまさんは、もうちょっと警戒心を持ったほうがいい。何かあってからじゃ、遅いからな」
「……はい」
雇い主であり、一目置いている彼の言うことならば、聞き入れないわけにはいかない。りん子は姿勢を正して頷いた。
その変わりように、二匹の悪魔は揃ってケッと吐き捨てる。
「じゃあ、さっそくその問題を片付けてしまおう。人のあとをつけ回すような陰湿で小心者の男なら、少し脅かしてやれば手を引くだろうな……。」
「さすが!陰湿なお人は、ご同輩の気持ちがよう分かるんですな!」
褒めたつもりのアザゼルの頭に、芥辺の踵がめり込んだ。
「だが、あいにく俺は今日の夜、外せない用事がある」
「あ、いいですよ、いいですよ!そんな、急がなくても……。」
遠慮してそう申し出るりん子に、芥辺はそれ以上言わせなかった。
「さくまさん、言っただろ。何かあってからじゃ遅いんだ。――おい、ベルゼブブ」
彼はそう言って、羽を使い、宙に浮かんでいる悪魔に目をやる。ベルゼブブはそれを当然のこととして、声がかかるのを待ち構えていた。
だが、芥辺の視線はすぐに蝿の王から外れ、りん子の隣りでくつろいでいるもう一匹の悪魔に向かった。
「いや……。アザゼル。お前の結界を解いてやるから、今夜さくまさんを護衛しろ。妙な男が現れたら、二度と悪さができないくらい脅しつけるんだ」
「!」
その指示に、悪魔たちは驚きの表情を浮かべた。
「な、納得できません!どうして、アザゼル君なのですか!私だって……!」
――りん子を守るのは、自分でありたい。
眼前まで近付いて、訴えるベルゼブブのくちばしを、芥辺は掴んだ。悪魔は男の手から必死に逃れようとするが、ぴくりともしない。羽音だけが虚しく響く。
「俺が気付いていないとでも、思ってるのか?」
芥辺はベルゼブブにだけ聞こえるように、囁いた。
「!」
どのことを言っている?
りん子を卑怯な契約に縛り付けたことか。彼女の純潔を奪い、慰み者にしていることか。
それとも――。
悪魔の表情が変わるのを見て、芥辺は手を離すと、豪快な回し蹴りを放つ。グリモアの罰のほうがいくらかマシなのではないかというくらいの勢いで、ベルゼブブは事務所の壁にめり込んだ。
「ベルゼブブさん!?」
りん子は、ずるずると血糊を壁に塗りたくりながら地面に落ちていく彼に、走り寄った。
そのような惨劇の直後、場違いな声が響く。
「え~~~!さくの護衛~~~?無理ですわ!ワシ、今日、キヨコちゃんとデートですもん」
「――キャセルしろ」
生きとし生けるものを屠る芥辺の眼光に負けず、ソファの上のアザゼルは駄々をこねるように、首をぶんぶんと振った。
「ワシにプライベートはないんですか!?ともかく、今日は嫌やわ、ダメやわ!することせえへんと、下半身が爆発してまうわ~~!どんだけごっつい生贄出されても、今日だけは受け取りませんでえ!」
「…………………………。」
死神の鎌のようにギラギラと光る視線に晒され、アザゼルは全身を脂汗で濡らしながらも、決して頷きはしなかった。やがて芥辺はため息を吐くと、りん子の手の中で半死半生の状態のベルゼブブを振り返る。
「――時間になったら、お前の結界を解いてやる。それまで掃除でもしとけ」
「は、い……。」
なんとか頷くと、頭上にあった王冠がころりと落ちた。りん子はそれを拾い、もう片方の腕でベルゼブブを抱いて、立ち上がった。
「ああ、もう、冠が……。大事なものなんでしょう?」
血で汚れたそれを、机の上にあったティッシュを取って拭いてやる。
ベルゼブブの王冠は立派な作りで、その輝きから、こまめに手入れされているのがよく分かった。
「ご飯粒でくっつくかな……。もう!アクタベさんがあんなに怒るなんて、何か悪いことしたんでしょ?」
芥辺に絶対的な信頼を寄せる彼女は、あの男の暴力は正義で、暴力を振るわれたほうこそが悪だと信じ込んでいる向きがある。
まあ、確かに。
――悪いこと。
それはもう、いっぱい。
「別に、何も……。」
考えとはうらはらな回答をするその頭に、りん子は王冠を戻してやる。
「あ、くっついた!」
嬉しそうにそう言うと、ベルゼブブを胸に抱いたままソファに戻った。
「ほら、包帯巻きますよ。壁の血、あとでちゃんと綺麗にしておいてくださいね!」
「…………。」
二人のやり取りを横目で見て、芥辺は戸口に向かった。
「自室にいるから。何かあったら呼んで」
「はーい」
「ほんならワシも、今日は帰ろ」
こうして一人と一匹は、共に部屋を出た。
芥辺の自室は東に、アザゼルが行くべき物置部屋は西にある。
話題を提供したのは、佐隈 りん子。彼女は本当になにげなく、例えば近所の人に飴玉を貰ったとか、そういった暢気なニュアンスで話し出した。
「そういえば私、変な男の人に、あとをつけられてるみたいなんですよね~」
部屋の温度が一気に低くなる。
りん子の言葉に反応したのは一人と一匹。残りの犬ヅラの悪魔は、こちらもやはり全く危機感のない様子で、お茶請けの水ようかんをもぐもぐと頬張りながら返した。
「なんや、お前みたいな色気のない女、つけ回す奴なんかいるんかいな。犬とかネコとかちゃうん?」
「もー、ひどいな、アザゼルさんってば」
朗らかな、明らかに間違ったテンションで行われている会話を打ち切るように、この事務所の主は、アザゼルの頭を力いっぱい蹴りつけた。
「ぐふぉっ!?」
「そんないい笑顔で話すようなことじゃねーだろーが。さくまさんも!」
「は、はあ……。」
一喝されたりん子はびくっと体を縮こまらせたが、だがなぜ怒られたのかよくわかっていない様子だ。
「芥辺氏の仰るとおりですよ、まったく」
床に沈み、ぴくぴくと足を痙攣させている悪友を一瞥したベルゼブブの軽蔑の眼差しは、そのままそっくりりん子に向けられた。
「年頃の娘が、そんなに緊張感のないことでどうするんです。危ないと思ったら、警察に連絡するとか何とか、対策を講じなければ!」
「えー、めんどくさい。飽きたらそのうち、どっか行きますよ」
さらりとやる気のない台詞を吐き出した彼女に、ベルゼブブは一文字型の飛行形態を取り、突っ込んでいった。
「てっめえはよお!なんだってそう、危機感ゼロなんだよ!ナッシングなんだよ!!クソバカタレがあああ!!」
「ぐはっ!?」
容赦なく悪魔の頭に鳩尾を抉られたりん子は、腹を押さえて悶絶する。だが、ベルゼブブは攻撃の手を休めなかった。ソファに座ったままのりん子の太ももに降り立つと、ヒレに似た手をバタバタと上下に揺らしながら、怒鳴りまくる。
「ガチの変質者だったら、ターゲットをレ●プするまで引き下がるわけねえだろうが!!てめえ、穴ボコだらけにされた挙句、河川敷にでも捨てられてえのか!!ああん!?」
「え、ええ……?ちょっと大げさじゃないですか?」
相手のあまりの剣幕と声の大きさに、りん子は耳を押さえつつ戸惑う。そんな中、近付いてきた芥辺は、怒れるベルゼブブの首根っこをつまむと、ひょいと床に投げ捨てた。
「そのハエの言うとおりだ。さくまさんは、もうちょっと警戒心を持ったほうがいい。何かあってからじゃ、遅いからな」
「……はい」
雇い主であり、一目置いている彼の言うことならば、聞き入れないわけにはいかない。りん子は姿勢を正して頷いた。
その変わりように、二匹の悪魔は揃ってケッと吐き捨てる。
「じゃあ、さっそくその問題を片付けてしまおう。人のあとをつけ回すような陰湿で小心者の男なら、少し脅かしてやれば手を引くだろうな……。」
「さすが!陰湿なお人は、ご同輩の気持ちがよう分かるんですな!」
褒めたつもりのアザゼルの頭に、芥辺の踵がめり込んだ。
「だが、あいにく俺は今日の夜、外せない用事がある」
「あ、いいですよ、いいですよ!そんな、急がなくても……。」
遠慮してそう申し出るりん子に、芥辺はそれ以上言わせなかった。
「さくまさん、言っただろ。何かあってからじゃ遅いんだ。――おい、ベルゼブブ」
彼はそう言って、羽を使い、宙に浮かんでいる悪魔に目をやる。ベルゼブブはそれを当然のこととして、声がかかるのを待ち構えていた。
だが、芥辺の視線はすぐに蝿の王から外れ、りん子の隣りでくつろいでいるもう一匹の悪魔に向かった。
「いや……。アザゼル。お前の結界を解いてやるから、今夜さくまさんを護衛しろ。妙な男が現れたら、二度と悪さができないくらい脅しつけるんだ」
「!」
その指示に、悪魔たちは驚きの表情を浮かべた。
「な、納得できません!どうして、アザゼル君なのですか!私だって……!」
――りん子を守るのは、自分でありたい。
眼前まで近付いて、訴えるベルゼブブのくちばしを、芥辺は掴んだ。悪魔は男の手から必死に逃れようとするが、ぴくりともしない。羽音だけが虚しく響く。
「俺が気付いていないとでも、思ってるのか?」
芥辺はベルゼブブにだけ聞こえるように、囁いた。
「!」
どのことを言っている?
りん子を卑怯な契約に縛り付けたことか。彼女の純潔を奪い、慰み者にしていることか。
それとも――。
悪魔の表情が変わるのを見て、芥辺は手を離すと、豪快な回し蹴りを放つ。グリモアの罰のほうがいくらかマシなのではないかというくらいの勢いで、ベルゼブブは事務所の壁にめり込んだ。
「ベルゼブブさん!?」
りん子は、ずるずると血糊を壁に塗りたくりながら地面に落ちていく彼に、走り寄った。
そのような惨劇の直後、場違いな声が響く。
「え~~~!さくの護衛~~~?無理ですわ!ワシ、今日、キヨコちゃんとデートですもん」
「――キャセルしろ」
生きとし生けるものを屠る芥辺の眼光に負けず、ソファの上のアザゼルは駄々をこねるように、首をぶんぶんと振った。
「ワシにプライベートはないんですか!?ともかく、今日は嫌やわ、ダメやわ!することせえへんと、下半身が爆発してまうわ~~!どんだけごっつい生贄出されても、今日だけは受け取りませんでえ!」
「…………………………。」
死神の鎌のようにギラギラと光る視線に晒され、アザゼルは全身を脂汗で濡らしながらも、決して頷きはしなかった。やがて芥辺はため息を吐くと、りん子の手の中で半死半生の状態のベルゼブブを振り返る。
「――時間になったら、お前の結界を解いてやる。それまで掃除でもしとけ」
「は、い……。」
なんとか頷くと、頭上にあった王冠がころりと落ちた。りん子はそれを拾い、もう片方の腕でベルゼブブを抱いて、立ち上がった。
「ああ、もう、冠が……。大事なものなんでしょう?」
血で汚れたそれを、机の上にあったティッシュを取って拭いてやる。
ベルゼブブの王冠は立派な作りで、その輝きから、こまめに手入れされているのがよく分かった。
「ご飯粒でくっつくかな……。もう!アクタベさんがあんなに怒るなんて、何か悪いことしたんでしょ?」
芥辺に絶対的な信頼を寄せる彼女は、あの男の暴力は正義で、暴力を振るわれたほうこそが悪だと信じ込んでいる向きがある。
まあ、確かに。
――悪いこと。
それはもう、いっぱい。
「別に、何も……。」
考えとはうらはらな回答をするその頭に、りん子は王冠を戻してやる。
「あ、くっついた!」
嬉しそうにそう言うと、ベルゼブブを胸に抱いたままソファに戻った。
「ほら、包帯巻きますよ。壁の血、あとでちゃんと綺麗にしておいてくださいね!」
「…………。」
二人のやり取りを横目で見て、芥辺は戸口に向かった。
「自室にいるから。何かあったら呼んで」
「はーい」
「ほんならワシも、今日は帰ろ」
こうして一人と一匹は、共に部屋を出た。
芥辺の自室は東に、アザゼルが行くべき物置部屋は西にある。