水底にて君を想う 水底【3】
水底【3】
ドン!!
壁に叩き付けた拳が傷付き、僅かに出血する。
「くそっ……」
皆本はその拳に額をつける。
ほんの少し前に見せられた映像がまざまざと浮かび上がる。
どこかの建築中のビルだろうか、鉄骨が剥き出しで、壁さえ半分も出来ていない。
その床に賢木は倒れている。
胸にぽっかりと穴をあけて。
不思議な事に血は出ていない。
その顔はひどくやつれていて、だが、安らかに見えた。
(あの傷……ブラスターの)
懐にある存在がひどく重く感じられる。
「皆本はん……」
隣の空間に現れた葵が、躊躇いがちに皆本に声をかける。
「葵、お疲れ。どうだった?」
皆本はつとめて冷静な声を出す。
(落ち着け、僕が動揺してどうする)
心の中で言い聞かせると、改めて葵の方に向き直る。
葵は不安そうに、皆本の腕を取る。
柏木の話を聞いて、すぐに紫穂を賢木を目撃した場所に向かわせた。
賢木の携帯の電源は切られ、リミッターに仕込まれているはずのGPSは場所を示さない。
何か起こっているのは確かだった。
「紫穂、なんも読み取れへんって。……けど、『黒い幽霊の娘』の気配がする、ゆうてた」
「……そうか」
葵の頭を皆本の手が撫でる。
予知された時間まであと四時間。
時間がない。
「その周辺の監視カメラの映像をバベルに回そう。葵、悪いが、紫穂の所に戻って、引き続き捜査を手伝ってやってくれ。何か分かったらすぐに連絡を」
「わかった」
葵は頷くと、その場から消える。
ティムやバレット、他のバベルのメンバー達にも緊急回線で呼び掛けている。
すぐに、集まってくるだろう。
皆本は必死で頭を巡らせる。
とにかく賢木を見つけなければ。
(頼む賢木、無事でいてくれ!)
祈りにも似た思いを抱きながら、皆本はバベルの廊下を走り出した。
痛み。
まずそれを賢木は認識した。
頭の奥からくる痛みではなく、鮮烈な痛み。
(あ……俺、どうしたんだっけ?)
ぼんやりとした思考のままに薄く目を開ける。
と、再び痛み。
誰かに殴られている、そう理解するのに時間がかかる。
定まらない視界を向ければ、杖を振り上げる老人の姿。
その目は憎しみ染まり、口からは罵倒が噴出す。
「死ね、死ね、死んでしまえ!この化け物が!!」
杖が振り下ろされる。
頭に激しい衝撃。
その瞬間、頭に大量な映像が、声が、流れ込んでくる。
「ぐっ……!」
賢木は呻き、制御をかけようとする。
が、まったく止まらない。
何のまとまりも持たず、ただ押し寄せてくる。
視界が赤く染まっていく。
頭からの出血のせいだと、賢木は微かに認識する。
「このっ!望を、返せ!!」
絶叫に掠れた老人の、教授の声と共に、杖が再び賢木を襲う。
賢木の体がその衝撃で椅子から転げ落ちる。
(そうか……教授、あんたの孫娘は……)
押し寄せる情報の中に、教授のものがあった。
かつて望という純朴な孫娘がいたこと。
その孫娘は性質の悪いサイコメトラーの男に騙され、自ら命を絶ったこと。
何度も振り下ろされる杖の痛みに、賢木は奥歯を噛み締める。
教授の憎しみが、容赦なく降り注ぐ。
今の彼には賢木がその男に見えているのだろう。
バキッ!
音を立てて杖が折れた。
教授は荒い息を付きながら、椅子に座る。
賢木は痛む身体を引き摺るように、身を起こそうとする。
拘束されていた手も足も、今は自由のようだ。
(どうすりゃ……いいんだ……)
思考が上手く纏まらず、賢木は頭を振る。
見知らぬ映像が、頭の中を埋め尽くそうとしている。
許容量を越えた情報に、吐き気に襲われる。
「教授、お呼びですか~……!?」
間の抜けた声と共に、扉が開いた。
賢木がそちらを向くと、呆けた顔で、男が三人立っている。
何時も、教授の周りを付いて回ってる奴らだ。
「え?えええ?」
「教授?」
「なに、なに、なんなの!?」
自分達が見ている状景に、頭が働かないのだろう。
男達は目を白黒させながら、教授に助けを求める。
賢木はふらつきながら、壁を頼りに立ち上がる。
「う……痛っ」
胸の辺りを押さえる。
肋骨の何本かは折れているかもしれない。
「そいつを、殴れ。殺してかまわん」
芯から冷たい教授の声がする。
男達は、互いに顔を見合わせる。
「早くしろ!」
「は、はい!」
教授の怒鳴り声に、一人、弾かれたように賢木に殴りかかってくる。
それに吊られるように他の二人も動き出す。
ペシ、と情け無い音を立てて拳が賢木に当たる。
と、脳裏に映像が閃く。
(つっ……)
それは、恐らく未来の映像。
男達が手に銃を持ち、乱射している。
倒れていく人、人、人。
見知った顔もある。
あの長い黒髪は、ナオミちゃんではないだろうか。
歪んだ顔で笑いながら、男達は銃を撃ち続けている。
賢木は頭を振る。
また、軽い衝撃。
体を鍛えたことのない、痛くも痒くもない拳。
だが、そこから流れ込むものが賢木を苛む。
妬み、嫉み、そして羨望。
頭が痛い。
拳を振り払うように賢木は手を振った。
意識が白く濁る。
--悲鳴が聞こえる。
女性のものだ。
賢木の意識が現実に引き戻される。
三人の男が倒れている。
小刻みに震え、口からは泡を吐き出している。
教授が、青い顔で入り口の女性、看護師に縋り付いている。
賢木は自分の手を見た。
(俺がやったのか……)
ストン、とその事実が胸の中に落ちる。
壁に体を預ける。
足に力が入らない。
看護師が教授を支えるようにしながら、何か叫んでいる。
倒れた男達の顔色は、すでに青紫に変化している。
『生体コントロール』。
人は心臓の動きをほんの少し乱すだけで死に至る。
医者である賢木は、この能力がいかに危険なものかよく理解していた。
生物を殺すのにこれほど向いた能力はないと。
だからこそ、賢木はこの力を決して戦闘には用いなかった。
それは、人を助ける医者としてこの力を磨いてきた賢木の矜持だった。
「は、ははっ」
笑いが漏れた。
男の一人が苦しげに床を掻いた。
まだ死んでいないのだと、賢木はふらつく足をそこに向けようとした。
「こっちです、こっち。早く!」
荒々しい足音。
看護師が必死の形相が何故か滑稽に思えた。
フラッシュバックのように賢木の頭に映像が浮かんで消える。
何人もの警察官が銃を構えてる。
激しい衝撃。
次の瞬間、賢木は自分の精神が壊れるのを自覚した。
そして、悲鳴を上げながら倒れていく同胞達。
その有るか無しかの未来の映像に賢木は激しく震える。
「逃げ……ねえと」
纏まらない思考のまま、賢木は出口に向けて歩き出す。
その足首を男の手が掴む。
まるで握り潰そうとしているかのような力だ。
「た、たすけ……」
泡を吹き出しながら、血走った目で男が賢木を見上げる。
狂おしいまでの生への執着が、そこから電流のように駆け上ってくる。
賢木は手を伸ばしかけ止まる。
先程の映像が蘇る。
(ここで、俺が……死んだら)
どれだけの超能力者が巻き込まれるのか。
ドン!!
壁に叩き付けた拳が傷付き、僅かに出血する。
「くそっ……」
皆本はその拳に額をつける。
ほんの少し前に見せられた映像がまざまざと浮かび上がる。
どこかの建築中のビルだろうか、鉄骨が剥き出しで、壁さえ半分も出来ていない。
その床に賢木は倒れている。
胸にぽっかりと穴をあけて。
不思議な事に血は出ていない。
その顔はひどくやつれていて、だが、安らかに見えた。
(あの傷……ブラスターの)
懐にある存在がひどく重く感じられる。
「皆本はん……」
隣の空間に現れた葵が、躊躇いがちに皆本に声をかける。
「葵、お疲れ。どうだった?」
皆本はつとめて冷静な声を出す。
(落ち着け、僕が動揺してどうする)
心の中で言い聞かせると、改めて葵の方に向き直る。
葵は不安そうに、皆本の腕を取る。
柏木の話を聞いて、すぐに紫穂を賢木を目撃した場所に向かわせた。
賢木の携帯の電源は切られ、リミッターに仕込まれているはずのGPSは場所を示さない。
何か起こっているのは確かだった。
「紫穂、なんも読み取れへんって。……けど、『黒い幽霊の娘』の気配がする、ゆうてた」
「……そうか」
葵の頭を皆本の手が撫でる。
予知された時間まであと四時間。
時間がない。
「その周辺の監視カメラの映像をバベルに回そう。葵、悪いが、紫穂の所に戻って、引き続き捜査を手伝ってやってくれ。何か分かったらすぐに連絡を」
「わかった」
葵は頷くと、その場から消える。
ティムやバレット、他のバベルのメンバー達にも緊急回線で呼び掛けている。
すぐに、集まってくるだろう。
皆本は必死で頭を巡らせる。
とにかく賢木を見つけなければ。
(頼む賢木、無事でいてくれ!)
祈りにも似た思いを抱きながら、皆本はバベルの廊下を走り出した。
痛み。
まずそれを賢木は認識した。
頭の奥からくる痛みではなく、鮮烈な痛み。
(あ……俺、どうしたんだっけ?)
ぼんやりとした思考のままに薄く目を開ける。
と、再び痛み。
誰かに殴られている、そう理解するのに時間がかかる。
定まらない視界を向ければ、杖を振り上げる老人の姿。
その目は憎しみ染まり、口からは罵倒が噴出す。
「死ね、死ね、死んでしまえ!この化け物が!!」
杖が振り下ろされる。
頭に激しい衝撃。
その瞬間、頭に大量な映像が、声が、流れ込んでくる。
「ぐっ……!」
賢木は呻き、制御をかけようとする。
が、まったく止まらない。
何のまとまりも持たず、ただ押し寄せてくる。
視界が赤く染まっていく。
頭からの出血のせいだと、賢木は微かに認識する。
「このっ!望を、返せ!!」
絶叫に掠れた老人の、教授の声と共に、杖が再び賢木を襲う。
賢木の体がその衝撃で椅子から転げ落ちる。
(そうか……教授、あんたの孫娘は……)
押し寄せる情報の中に、教授のものがあった。
かつて望という純朴な孫娘がいたこと。
その孫娘は性質の悪いサイコメトラーの男に騙され、自ら命を絶ったこと。
何度も振り下ろされる杖の痛みに、賢木は奥歯を噛み締める。
教授の憎しみが、容赦なく降り注ぐ。
今の彼には賢木がその男に見えているのだろう。
バキッ!
音を立てて杖が折れた。
教授は荒い息を付きながら、椅子に座る。
賢木は痛む身体を引き摺るように、身を起こそうとする。
拘束されていた手も足も、今は自由のようだ。
(どうすりゃ……いいんだ……)
思考が上手く纏まらず、賢木は頭を振る。
見知らぬ映像が、頭の中を埋め尽くそうとしている。
許容量を越えた情報に、吐き気に襲われる。
「教授、お呼びですか~……!?」
間の抜けた声と共に、扉が開いた。
賢木がそちらを向くと、呆けた顔で、男が三人立っている。
何時も、教授の周りを付いて回ってる奴らだ。
「え?えええ?」
「教授?」
「なに、なに、なんなの!?」
自分達が見ている状景に、頭が働かないのだろう。
男達は目を白黒させながら、教授に助けを求める。
賢木はふらつきながら、壁を頼りに立ち上がる。
「う……痛っ」
胸の辺りを押さえる。
肋骨の何本かは折れているかもしれない。
「そいつを、殴れ。殺してかまわん」
芯から冷たい教授の声がする。
男達は、互いに顔を見合わせる。
「早くしろ!」
「は、はい!」
教授の怒鳴り声に、一人、弾かれたように賢木に殴りかかってくる。
それに吊られるように他の二人も動き出す。
ペシ、と情け無い音を立てて拳が賢木に当たる。
と、脳裏に映像が閃く。
(つっ……)
それは、恐らく未来の映像。
男達が手に銃を持ち、乱射している。
倒れていく人、人、人。
見知った顔もある。
あの長い黒髪は、ナオミちゃんではないだろうか。
歪んだ顔で笑いながら、男達は銃を撃ち続けている。
賢木は頭を振る。
また、軽い衝撃。
体を鍛えたことのない、痛くも痒くもない拳。
だが、そこから流れ込むものが賢木を苛む。
妬み、嫉み、そして羨望。
頭が痛い。
拳を振り払うように賢木は手を振った。
意識が白く濁る。
--悲鳴が聞こえる。
女性のものだ。
賢木の意識が現実に引き戻される。
三人の男が倒れている。
小刻みに震え、口からは泡を吐き出している。
教授が、青い顔で入り口の女性、看護師に縋り付いている。
賢木は自分の手を見た。
(俺がやったのか……)
ストン、とその事実が胸の中に落ちる。
壁に体を預ける。
足に力が入らない。
看護師が教授を支えるようにしながら、何か叫んでいる。
倒れた男達の顔色は、すでに青紫に変化している。
『生体コントロール』。
人は心臓の動きをほんの少し乱すだけで死に至る。
医者である賢木は、この能力がいかに危険なものかよく理解していた。
生物を殺すのにこれほど向いた能力はないと。
だからこそ、賢木はこの力を決して戦闘には用いなかった。
それは、人を助ける医者としてこの力を磨いてきた賢木の矜持だった。
「は、ははっ」
笑いが漏れた。
男の一人が苦しげに床を掻いた。
まだ死んでいないのだと、賢木はふらつく足をそこに向けようとした。
「こっちです、こっち。早く!」
荒々しい足音。
看護師が必死の形相が何故か滑稽に思えた。
フラッシュバックのように賢木の頭に映像が浮かんで消える。
何人もの警察官が銃を構えてる。
激しい衝撃。
次の瞬間、賢木は自分の精神が壊れるのを自覚した。
そして、悲鳴を上げながら倒れていく同胞達。
その有るか無しかの未来の映像に賢木は激しく震える。
「逃げ……ねえと」
纏まらない思考のまま、賢木は出口に向けて歩き出す。
その足首を男の手が掴む。
まるで握り潰そうとしているかのような力だ。
「た、たすけ……」
泡を吹き出しながら、血走った目で男が賢木を見上げる。
狂おしいまでの生への執着が、そこから電流のように駆け上ってくる。
賢木は手を伸ばしかけ止まる。
先程の映像が蘇る。
(ここで、俺が……死んだら)
どれだけの超能力者が巻き込まれるのか。
作品名:水底にて君を想う 水底【3】 作家名:ウサウサ