水底にて君を想う 水底【3】
確かに賢木は微笑みの表情を作っているのに、その瞳からはとめどなく涙が流れ落ちている。
「殺してくれ」
いやにはっきりと、その言葉が皆本の耳に届いた。
「ば、馬鹿を、馬鹿を言わないでくれっ!」
皆本の声が割れる。
「薫ちゃん…たち……見捨てん…のか?」
「……っ……」
賢木の言葉に皆本は顔色を失う。
両の手で握り込んだ手に皆本は額をつける。
背後で、彼女達が苦しんでいるのが分かる。
(どうしたらいい!?)
どこかで時計の針が時を刻んでいる。
足音に顔を上げれば、兵部が立っていた。
額から、汗が流れ落ちている。
「銃を」
短い言葉。
皆本は傍らに置いたブラスターに目を落とす。
白い手がそれを渡すように促す。
皆本は固まったように動かない。
僅かな沈黙。
兵部は舌打ちを一つして、手を伸ばす。
と、皆本はそれを制して自分でブラスターを拾う。
「……僕が、やる」
重そうにブラスターを構える皆本。
兵部は微かに口を開いたが、言葉は紡がれることなく閉じられる。
賢木は安堵の表情を浮かべた。
「皆本ぉ!!」
「皆本さん!!」
薫と紫穂が悲鳴を上げる。
「いやや……」
葵はポツリと呟く。
頭を振り、もう一度同じ言葉を呟く。
耳につけている、リミッターが異様な光を放ちだす。
「いややぁぁあああ!!」
絶叫と共に空間がグニャリと曲がった。
まるで鏡の迷宮のように、幾重にも重なる風景。
その中を一条の光が飛び込んでくる。
「フェザー!」
皆本の声に応えるように光は羽を広げ、女性の姿にと変貌する。
フェザーは賢木の頭を鷲掴みにする。
「賢木先生は私が抑えるわ。だから、諦めないで!」
「無茶だ」
兵部の言葉にフェザーは不敵に笑う。
賢木は完全に意識を失ったのか、その両手がダラリと下がる。
「時間なら、幾らでも稼ぐから」
安心して、とフェザーは皆本にウインクをしてみせる。
皆本の腕に重みがかかる。
「紫穂……」
ブラスターを構えたままの手に、紫穂の手が重ねる。
泣いているのか、その肩が震えている。
「お願いよ皆本さん。私達の為に、センセイを撃ったりしないで」
「そ、そうだよ皆本。あたし達がいるじゃん。あたし達が絶対、ぜっったい、何とかするから」
薫が鼻をすする。
皆本はゆっくりとブラスターを下ろす。
指が硬直していて、上手く離れない。
まだ座り込んだままの葵の方を向く。
(空間を歪め、フェザーを呼んだのは葵なのか。彼女達にはまだ、こんなにも未知の力がある……)
大きく息を吸い、そして吐き出す。
「ゴメン、僕が悪かった」
ブラスターを懐に仕舞うと、葵の方に手を伸ばす。
伸ばされた手に縋るようにして葵は立ち上がる。
「力を貸してくれ、皆で賢木を助けよう」
三人はただ頷いた。
キーボードを叩く音が、無機質なコンクリートに反射している。
皆本はチラリ、と懐中時計に目を走らせる。
秒針が律儀に時を刻んでいる。
(本部に連絡してみたが、時間は過ぎているのに予知に変化は見られない)
フェザーの方を見ると、目を閉じ精神を集中しているのが分かる。
薫達三人は、その傍で状況を見守っている。
(あくまでフェザーがしているのは状況の固定だけ、ということか)
「で、どうするんだい?」
賢木からの精神波がフェザーによって抑えられているのか、兵部は何時もの様子に戻っている。
皆本の手が止まる。
「『ブースト』を使う」
「効くかな」
「バレットを助ける為に、薫達は新しい力を作り出した」
「今回も出来るとは限らないぜ?」
「ああ」
兵部は肩を竦める。
「……随分と協力的なんだな」
皆本は少し表情を崩し、兵部を見る。
片眉を上げ、不機嫌そうな顔を作ってみせる兵部。
「後始末さ」
「?」
「……あのウイルスは、僕が始末したのさ。研究員ごとね」
まさか残ってるとはねと、自嘲気味に笑う。
皆本はパソコンに目を戻す。
「なら、最後まで付き合ってもらえるかな?」
「言ってみろよ、勝算があるようなら付き合ってやる」
「『ブースト』にフェザーを加える」
兵部は驚いたように皆本を見る。
皆本はリミッターを手にする。
調整は既に終わっている。
これで、薫達三人の『トリプルブースター』にフェザーの力を乗せられる。
「彼女には『未来の記憶』がある。その中から薫達が答えを見つけ出せれば、賢木を助けられる」
「未来であいつが助かってるとは限らないぜ?」
「いや、それはないよ」
皆本の言葉には確信があった。
(フェザーは『生体コントロール』を持っている。僕の考えが正しければ、あれは賢木の能力だ)
改めて兵部の方に向き直ると、皆本は深く頭を下げた。
「頼む、力を貸してくれ」
「……フェザーの代わりをしろってことか」
頷く皆本に兵部の顔付きは険しい。
既に崩壊が始まっているであろう賢木の精神を抑えておけるのは、フェザーが有り得ないレベルの複合能力者だからだ。
質、威力、種類、兵部といえども適うものではない。
「私と一緒なら、何とかなるでしょ」
「管理官!?」
空中に現れた不二子に皆本は驚きの声を上げる。
「ゴメーン、遅くなって。これでも必死に帰ってきたのよ?あ、バベルの他の子たちは強制的に本部に帰しておいたから。万が一ってことがあるものね」
兵部はチラリ、とそちらを見る。
不二子は笑ってみせる。
「ま、あんたが失敗したら、だけど」
「それはこっちの台詞だよ、姉さん」
その横顔にどこか人を馬鹿にしたような、だが、自信に溢れた表情が戻っている。
皆本が薫達を呼ぶ。
それぞれがリミッターをつける。
「……賢木を頼む」
皆本は三人の肩に手を置き、まっすぐにその瞳を見る。
薫がコクリと頷く。
紫穂はその薫の手を取る。
葵もそれに続く。
「フェザー」
フェザーが皆本に頷いてみせる。
兵部と不二子が手を賢木に向ける。
不可視の力が放たれる。
「ザ・チルドレン、解禁!」
その言葉を合図に、三人の体から力が吹き上がる。
「薫ちゃん!」
「薫!」
「よっし、いくよ!!」
紫穂の、葵の力が薫に注ぎ込まれる。
リミッターにはめられたレアメタルが輝きだす。
フェザーが賢木から離れ、薫の肩に触れる。
その刹那、光が膨れ、弾けた。
目も開けていられないような光の奔流の中、皆本は大きく広がる翼を見たような気がした。
-続く-
作品名:水底にて君を想う 水底【3】 作家名:ウサウサ