Trust You
『Trust You』
津野が、お前の代わりに来ている。
電話でそう言ったのは、女を巡って恨みを買っていた他校の奴だった。
津野が?
あのマジメちゃんが、何故奴等の溜り場に?
分からないことだらけだったが、ひとまず西崎に連絡をして、呼び出された店に向かった。
「なぁ、津野って、サッカー部の津野だろ?なんであいつが巻き込まれたんだ?おまえに付きまとってたから?」
バイクの後ろで西崎に尋ねられた。
「さあ、俺にも分からん」
そう答えたが、ぼんやりと分かっていたような気がする。
・・・君とサッカーがしたくて蕪双に入った。
あいつはそう言っていた。真剣な顔で。
現場に着くと、案の定、袋叩きになった津野が床に転がされていた。床に広がる血の量が、殴られて出た鼻血にしては異常に多い。
どっかの馬鹿が、自慢気に血のついたナイフを見せびらかして何か言っていたが、耳に入らなかった。
右足の内腿、学ランのズボンが裂け、そこから赤い血が溢れている。足を、刺されたのか。
「・・・こいつ、サッカー選手だぜ」
次の瞬間には、ナイフ野郎の腕をへし折っていた。ゴリッという、鈍く、いやな音が聞こえた。男の、情けない泣き声が聞こえているが、そんなものはどうでもよかった。怒りの感情しか、見えなくなっていた。
蹴り殺してやろうと足を振り上げた瞬間、
「だめだ」
声のしたほうを振り返ると、気絶していると思っていた津野だった。
「君の足は、そんなのを蹴る足じゃないよ。君は、君はもっと・・・」
血塗れの顔は殴られて歪んでいる。
殴られたことなんてないような、傷もあざもない、きれいな顔だったのに。
もっと、に続く言葉は聞けなかった。津野が再び気を失ったからだ。
西崎が、救急車を手配している声が聞こえる。
もっと、何だ?
おまえは、何故そこまでして、サッカー選手としての俺を守ろうとする?
自分の足がだめになるかもしれないのに、それでもなお、俺の心配をするのか。
「・・・バカヤロウが」
何か、声をかけたかったが、それしか出てこなかった。
『津野』と書かれた病室の扉の前で、それを開けることに躊躇して、松浦猛は立ち止まっていた。
ここまで来ておいて、今さら何だっていうんだ、くそ。
息を吸って、ノックをする。どうぞ、と聞き覚えのある声が、中から聞こえた。
「・・・松浦君?」
部屋に一つあるベッドには、包帯塗れの姿の津野がいた。突然の松浦の訪問に、驚いているようだ。
「・・・よぉ」
小さめの目を真ん丸く見開いていた津野だったが、すぐに嬉しそうににっこりとした。
「わざわざ来てくれたの?あ、でも学校・・・」
平日の真っ昼間だった。普段からまともに登校していない松浦のことだから、津野も言い掛けた口を閉じた。今さら、授業をさぼったのかと訊くほうが馬鹿らしい。
「ごめん、僕動けなくて。どうぞ入ってよ。あ、この椅子使って」
ベッドのわきにちょこんと置いてあるスツールに、松浦を誘った。
「個室なんだな」
「うん、たまたま大部屋が空いてなくてね。おかげで個室になって、ラッキーだった」
病室なんてどこも似たようなもので、この部屋も殺風景だったが、サイドボードには漫画本が積まれていた。
松浦の視線の先を捕えた津野が、その本の出所を説明する。
「その漫画ね、西崎君が持ってきてくれたんだ」
「西崎が?!」
予想だにしなかった名前が飛び出て、思わず声を上げた。
「あいつ、見舞いにきたのか?」
「あ、うん。この間、入院中は退屈だろうって、差し入れてくれて」
松浦が驚いているのを怪訝そうに眺めながら、津野は説明してくれた。ひょっこりと一人でやってきて、ひとしきり無駄話をして帰ったらしい。
「おまえ、西崎と仲良かったのか」
「ううん、二人であんなに話したの初めて」
強面の松浦と違って、あんな外見ではあるが西崎は意外と人懐っこい。商店のおばちゃんとあっという間に仲良くなって、菓子やジュースを貰ったりすることがよくあるのだ。だから、話し始めれば、あっという間にフレンドリーな仲になる。
わざわざ病院へ見舞いにまで来たということは、西崎は津野のことを気に入ったのだろう。
「・・・傷の具合はどうだ?」
津野はまさしく満身創痍という出立ちで、右目のあたりは腫れあがったままでガーゼと包帯で覆われているし、左腕はギブスで固定され肩から吊られていた。刺された右足は毛布で隠れていたが、歩くこともままならないようだった。
「あ、うん、足の傷は、そんなに深くなかったんだって。神経は傷ついてないから、塞がれば問題ないって言われたよ。大したことなくてよかった」
そう言って、津野はにっこりとした。
どこがよかったんだ、と松浦は思った。そもそも松浦が狙われたのだから、津野はこんな怪我をする必要はなかったはずだ。
「おまえ、何で俺に言わずにあいつらのところに行ったんだ?お前が喧嘩して勝てる相手じゃないだろう」
呼び出されたのは松浦だった。その伝言を聞いた津野が、松浦に伝えずに一人であのバーに乗り込んできたのだと、あの場にいた連中に聞いた。
津野は、ばつの悪そうな顔で目を伏せた。
「そうだよね、喧嘩するために行ったわけじゃなかったんだけど・・・松浦君に付きまとうのはやめてくれって言おうと思ったんだ。君が怪我でもしたら困るし」
「言って、はいそうですかって引き下がる連中かよ。馬鹿かお前は」
「うん、そうだよね」
ほんと、馬鹿だね、と笑う。その笑顔には屈託がない。
本当にそう思っているのか、どれだけお人よしなんだ。
「俺の怪我を心配して、自分が怪我してりゃ世話ねえな」
「うん」
「サッカーできなくなったらどうするんだ。俺とサッカーしたくて蕪双に入ったんだろう?」
津野が顔を上げた。視線が合って、思わず顔を逸らした。何を言っているんだ、俺は。
「松浦君、僕、あの・・・」
「その、松浦君っていうの、やめろ。そう呼ばれるのはどうも居心地が悪いんだよ。俺らはタメだろうが。呼び捨てでいい」
「あ、・・・うん、そうするよ」
半分が腫れあがった顔で、嬉しそうに笑う。痛々しい傷を癒してやりたくて、思わず手を伸ばしそうになったが、思いとどまった。
なんとなく、落ち着かない。津野のお人よしぶりにイラついているのかもしれないが、少し違う気がする。
「・・・帰るわ、邪魔したな」
どうも、津野が相手だと調子が狂う。サッカーが上手く喧嘩が強かった松浦には、昔から自分を慕ってくる後輩は多かったが、みんな自分の舎弟のような存在だった。こんな優等生タイプから、まっすぐに好意を向けられたことはない。どう接したらいいのか分からなかった。
腰を上げ、扉に手をかけたところで、背後から声がかかった。
「あの・・・ま、松浦」
振り返ると、津野は少し照れくさそうに顔を赤くした。初めて松浦を呼び捨てにした。
「僕、退院したら、すぐに部活にでるから、だから、その、松浦も・・・」
どんな目に遭っても、津野の頭には松浦をサッカー部へ呼び戻すことしかないらしい。
こいつは、相当な馬鹿だな。天然っていうのか。
「・・・考えておく」
津野が、お前の代わりに来ている。
電話でそう言ったのは、女を巡って恨みを買っていた他校の奴だった。
津野が?
あのマジメちゃんが、何故奴等の溜り場に?
分からないことだらけだったが、ひとまず西崎に連絡をして、呼び出された店に向かった。
「なぁ、津野って、サッカー部の津野だろ?なんであいつが巻き込まれたんだ?おまえに付きまとってたから?」
バイクの後ろで西崎に尋ねられた。
「さあ、俺にも分からん」
そう答えたが、ぼんやりと分かっていたような気がする。
・・・君とサッカーがしたくて蕪双に入った。
あいつはそう言っていた。真剣な顔で。
現場に着くと、案の定、袋叩きになった津野が床に転がされていた。床に広がる血の量が、殴られて出た鼻血にしては異常に多い。
どっかの馬鹿が、自慢気に血のついたナイフを見せびらかして何か言っていたが、耳に入らなかった。
右足の内腿、学ランのズボンが裂け、そこから赤い血が溢れている。足を、刺されたのか。
「・・・こいつ、サッカー選手だぜ」
次の瞬間には、ナイフ野郎の腕をへし折っていた。ゴリッという、鈍く、いやな音が聞こえた。男の、情けない泣き声が聞こえているが、そんなものはどうでもよかった。怒りの感情しか、見えなくなっていた。
蹴り殺してやろうと足を振り上げた瞬間、
「だめだ」
声のしたほうを振り返ると、気絶していると思っていた津野だった。
「君の足は、そんなのを蹴る足じゃないよ。君は、君はもっと・・・」
血塗れの顔は殴られて歪んでいる。
殴られたことなんてないような、傷もあざもない、きれいな顔だったのに。
もっと、に続く言葉は聞けなかった。津野が再び気を失ったからだ。
西崎が、救急車を手配している声が聞こえる。
もっと、何だ?
おまえは、何故そこまでして、サッカー選手としての俺を守ろうとする?
自分の足がだめになるかもしれないのに、それでもなお、俺の心配をするのか。
「・・・バカヤロウが」
何か、声をかけたかったが、それしか出てこなかった。
『津野』と書かれた病室の扉の前で、それを開けることに躊躇して、松浦猛は立ち止まっていた。
ここまで来ておいて、今さら何だっていうんだ、くそ。
息を吸って、ノックをする。どうぞ、と聞き覚えのある声が、中から聞こえた。
「・・・松浦君?」
部屋に一つあるベッドには、包帯塗れの姿の津野がいた。突然の松浦の訪問に、驚いているようだ。
「・・・よぉ」
小さめの目を真ん丸く見開いていた津野だったが、すぐに嬉しそうににっこりとした。
「わざわざ来てくれたの?あ、でも学校・・・」
平日の真っ昼間だった。普段からまともに登校していない松浦のことだから、津野も言い掛けた口を閉じた。今さら、授業をさぼったのかと訊くほうが馬鹿らしい。
「ごめん、僕動けなくて。どうぞ入ってよ。あ、この椅子使って」
ベッドのわきにちょこんと置いてあるスツールに、松浦を誘った。
「個室なんだな」
「うん、たまたま大部屋が空いてなくてね。おかげで個室になって、ラッキーだった」
病室なんてどこも似たようなもので、この部屋も殺風景だったが、サイドボードには漫画本が積まれていた。
松浦の視線の先を捕えた津野が、その本の出所を説明する。
「その漫画ね、西崎君が持ってきてくれたんだ」
「西崎が?!」
予想だにしなかった名前が飛び出て、思わず声を上げた。
「あいつ、見舞いにきたのか?」
「あ、うん。この間、入院中は退屈だろうって、差し入れてくれて」
松浦が驚いているのを怪訝そうに眺めながら、津野は説明してくれた。ひょっこりと一人でやってきて、ひとしきり無駄話をして帰ったらしい。
「おまえ、西崎と仲良かったのか」
「ううん、二人であんなに話したの初めて」
強面の松浦と違って、あんな外見ではあるが西崎は意外と人懐っこい。商店のおばちゃんとあっという間に仲良くなって、菓子やジュースを貰ったりすることがよくあるのだ。だから、話し始めれば、あっという間にフレンドリーな仲になる。
わざわざ病院へ見舞いにまで来たということは、西崎は津野のことを気に入ったのだろう。
「・・・傷の具合はどうだ?」
津野はまさしく満身創痍という出立ちで、右目のあたりは腫れあがったままでガーゼと包帯で覆われているし、左腕はギブスで固定され肩から吊られていた。刺された右足は毛布で隠れていたが、歩くこともままならないようだった。
「あ、うん、足の傷は、そんなに深くなかったんだって。神経は傷ついてないから、塞がれば問題ないって言われたよ。大したことなくてよかった」
そう言って、津野はにっこりとした。
どこがよかったんだ、と松浦は思った。そもそも松浦が狙われたのだから、津野はこんな怪我をする必要はなかったはずだ。
「おまえ、何で俺に言わずにあいつらのところに行ったんだ?お前が喧嘩して勝てる相手じゃないだろう」
呼び出されたのは松浦だった。その伝言を聞いた津野が、松浦に伝えずに一人であのバーに乗り込んできたのだと、あの場にいた連中に聞いた。
津野は、ばつの悪そうな顔で目を伏せた。
「そうだよね、喧嘩するために行ったわけじゃなかったんだけど・・・松浦君に付きまとうのはやめてくれって言おうと思ったんだ。君が怪我でもしたら困るし」
「言って、はいそうですかって引き下がる連中かよ。馬鹿かお前は」
「うん、そうだよね」
ほんと、馬鹿だね、と笑う。その笑顔には屈託がない。
本当にそう思っているのか、どれだけお人よしなんだ。
「俺の怪我を心配して、自分が怪我してりゃ世話ねえな」
「うん」
「サッカーできなくなったらどうするんだ。俺とサッカーしたくて蕪双に入ったんだろう?」
津野が顔を上げた。視線が合って、思わず顔を逸らした。何を言っているんだ、俺は。
「松浦君、僕、あの・・・」
「その、松浦君っていうの、やめろ。そう呼ばれるのはどうも居心地が悪いんだよ。俺らはタメだろうが。呼び捨てでいい」
「あ、・・・うん、そうするよ」
半分が腫れあがった顔で、嬉しそうに笑う。痛々しい傷を癒してやりたくて、思わず手を伸ばしそうになったが、思いとどまった。
なんとなく、落ち着かない。津野のお人よしぶりにイラついているのかもしれないが、少し違う気がする。
「・・・帰るわ、邪魔したな」
どうも、津野が相手だと調子が狂う。サッカーが上手く喧嘩が強かった松浦には、昔から自分を慕ってくる後輩は多かったが、みんな自分の舎弟のような存在だった。こんな優等生タイプから、まっすぐに好意を向けられたことはない。どう接したらいいのか分からなかった。
腰を上げ、扉に手をかけたところで、背後から声がかかった。
「あの・・・ま、松浦」
振り返ると、津野は少し照れくさそうに顔を赤くした。初めて松浦を呼び捨てにした。
「僕、退院したら、すぐに部活にでるから、だから、その、松浦も・・・」
どんな目に遭っても、津野の頭には松浦をサッカー部へ呼び戻すことしかないらしい。
こいつは、相当な馬鹿だな。天然っていうのか。
「・・・考えておく」