「ただいま」
ああ、寒い。
こんなときは誰かに温めてもらいたい。
プロイセンは鼻を啜って、自販機のホットコーヒーのボタンを押す。出てきたそれを冷たい指先で包む。じんと熱さが冷えた指先に広がり痺れていく。…冬の国から戻ってきたから、体調はどうも思わしくなく、経済の格差だとか、先行き見えぬ不安とか、西との温度差で随分と弱った身体に見えない負担は重く圧し掛かり、気を強く持たなければ今にも心がぽきりと折れてしまいそうだ。
ああ、これがちょっと前なら多少の困難にも自分は耐えられたろうに、高が40年の別離がこんなに堪えるなんて思いもしなかった。
「一人でも平気だ」
そうやって生きてきた。だから、頑張って強がって、何ともねぇよと笑って、周りも自分も誤魔化して。そうでもしなければ、この身体を維持することすら出来やしない。まだ、この世界から消えるわけにはいかない。何をしても、這い蹲ってでも生きてやる。じゃないと、ヴェストに顔向け出来ない。マイナス要因だらけの自分を喜んで受け入れ、多大な負債を負ったヴェストの為にも。そう思う。
「…ああ、もう、」
(…でも、限界かもしれねぇ)
眩暈がする。常にだるいし、微熱続きで、身体は悲鳴を上げ、軋んでる。限界だと思っても、まだ倒れる訳にはいかなかった。
(…でも、ちょっとだけ。少しだけ…)
休んでもいいよな?…プロイセンは座り込んで溜息を吐く。曇天の空からは冷たい雪。ひらりひらりと羽毛のようにおちてくるそれを見上げ、プロイセンは色褪せたマフラーを手繰り寄せる。剥き出しの手の甲に雪はひやりと落ちて、雫に代わる。プロイセンは身体を丸めると目を閉じて、膝の間にぎゅうと顔を埋めた。そうすれば、少しは暖かくなれるような気がした。
「…あかん。超、寒いわ。何でこんなに雪降っとるんや!」
「仕方ないでしょ。今、冬なんだし。お前んとこは南だから、寒くないだろうけど」
駅から出て、真っ白な世界にダウンジャケットのジッパーを上げたスペインは身を震わせた。その隣でファーの付いたのコートの襟を手繰り寄せたフランスが口を開く。
「…こんなん寒くて、プーちゃん、凍えてへんやろか?」
「さあ?案外、風の子でピンピンしてるかもよ?」
浅く白く積もり始めた路地を二人は歩く。吐く息は白く、全てが白に覆われていくのをもの珍しそうにスペインは見回した。
「白いなぁ」
「うん。真っ白だねぇ」
「こんなん白かったら、プーちゃん探せられへんなぁ」
「保護色だもんねぇ」
ベルリンの壁が壊れ、東西に分かれたドイツが統一し一年が過ぎ、…プロイセンとは浅はからぬ関係の二人は漸く、ベルリンを訪れることが出来た。ドイツ自体が統一直後で混乱していたこともあり、遠慮していたのだが、もういいだろうとスペインとフランスはかつての悪友のひとりに会いにいくことにした。…このところ、どうにもプロイセンは無理をしているように見えて仕方がなかったのだ。そして無理していることを隠すようにいつも以上に元気に気丈に振舞うプロイセンを見ていて、付き合いの長いフランスは胸が痛んだ。
(…あのとき、俺が…)
東側に行くと言ったプロイセンを何故、止めることが出来なかったのか…と、それはずっと胸の奥深くに悔悟として残っていた。でも、自分に何が出来ただろう?…プロイセンは「ドイツ」を西側に託すという選択をした。そして、弟を頼むと自分に言ったのだ。
「…フランス、自分を責めたらあかんで。それは、プーちゃんを侮辱するのと一緒や。あいつがちゃんと考えて最善やと思う選択をしたんやからな」
前を向いたまま、スペインが言う。内戦で苦労ばかりしてきた前を歩く普段は陽気な男はどこか達観し、心を見透かすようなことを言う。フランスは溜息を吐いた。
「…俺だって解ってるんだよ。アイツが行かなきゃ、ドイツはもっと酷いことになってただろうって。アイツが東側に行くことが、あのときのドイツにとって最善の選択だったよ。大戦の罪科を全部、アイツに負ってもらって、「ドイツ」を新しく始める為には。それで全部、何も言わずに罪を負って、国ですらなくなって…。プロイセンは東に行かざる得なかった。選択の余地なんて微塵もなかった。…でも、…俺が国じゃなくて、アイツの「友人」の俺だったら、行くなって言えたのになって思うとなぁ…」
舞い落ちる雪がフランスの頬に落ち、涙のように雫になって落ちていく。
「それは俺も同じや。俺は自分とこがゴタゴタしとって、辛いときにそばにいてやれへんかった…」
あの戦争は本当に色んなもの奪っていった。今まで自分たちが積み重ねっていった時間の中でも、酷く惨い記憶だ。悲しみも痛みもやがては悠久に果てなく流れる時が癒してくれるのだろう。今までがそうだったように。…でも、俺たちは国だ。いつかひとがこの地で起きた争いを本に記されたほんの数行の過去の出来事になってしまっても、この痛みは消えることがない。
「…だから、親友にはなれないんだよな。俺たちは」
都合のいいときにだけ集まって、悪事を働き、飲んで騒いで、遊んで、喧嘩して。また、何事もなかった顔をして、元に戻って。それを繰り返す。結局、深いところで交わらない。交われない。
「…しゃあないで。それが、俺たちの関係や。…ん?……あ!!」
不意にスペインが大きな声を上げ、駆け出す。それにフランスは目を開く。
「ちょ、スペイン、転ぶって!!」
こんもりとした雪だるまに凄い勢いでタックルを掛けるスペインにフランスは声を上げる。それと同時に懐かしい声が響く。
「っ、わああああああっ!?」
雪の上にごろごろと転がり止まるスペインと雪だるま。スペインの下敷きになった雪だるまが大きな声で喚く。
「何しやがんだ!!てめぇ!!」
それにスペインは目を細めた。
「あははは!プーちゃん、めっけ!」
明るい突き抜けた声にプロイセンは赤い目を大きく見開いた。
「は?、スペイン?!お前、なんで…」
「プーちゃん、元気にしとった?親分が会いにきたったで〜!!」
ぎゅうと抱きしめられて、状況が把握出来ないプロイセンは目を白黒させる。スペインに漸く追いついたフランスはそれを真上から覗き込んだ。
「あら、やだ。本当にプロイセンだ。お前、こんなところでなんで雪だるまになってるの?」
雪塗れになった二人を見下ろし、はたはたと頭や肩に落ちた雪を払い、フランスが笑う。プロイセンはぽかんとした顔で、フランスを見上げ、未だ自分の上に馬乗りになっているスペインを見やった。
「な、…なんで、おまえらここにいんだ?」
今にも頬を抓りそうなプロイセンの頬をスペインが満面の笑みを浮かべ、包んだ。
「な、ちょー、プーちゃん、ほっぺた冷え冷えやん!寒かったやろ、温めったるからな」
嵌めていた手袋をぽいっと投げ捨て、スペインはプロイセンの冷えた頬を包む。じわりと血の通った暖かい手のひらにプロイセンは目を瞬いた。それに思わず、ほろりと涙が出そうになって、プロイセンは唇を噛んだ。
「…っ、スペイン、ひとの話、訊け!!」
駄目だ。やさしくされたら心が折れてしまう。プロイセンはスペインを睨む。