3月17日へ
3月17日がくる。イタリア=ヴェネチアーノとロマーノの統一された日。すべての人々が喜びに手を合わせ祝福する日。「おめでとう」を星の数ほどたくさん貰える日。遠い昔に何かを落として来てしまったのを思い出す、日。あの言葉を言われるのが怖くて堪らない。自分にはまだとても重い、貰ってはいけない、と思えた。
祝いの言葉、感謝の言葉・・・・・・たくさんの色ある幸福感に満ちる3月17日に後ろめたさがあった。
「急に出て行ったと思ったら・・・・・・何か作るのか?」
ドイツは、パプリカやタマネギ、ニンニク等が覗く紙袋を両腕に抱えて息を切らすイタリアを玄関に迎えて開眼した。
読書に熱中するドイツの横で何をするでもなくぼうっとしていたイタリアが急に短い声をあげて、ジャケットを羽織るとあっという間に消えてしまったのだ。
「パエリアが食べたくなったんだ。ドイツも一緒に作ろう!」
「急に言われてもな・・・・・・」
「いいじゃんか、何ケチケチしてんのー。もともと今日はドイツが夕食当番だったんだから」
ああ重かった、と紙袋をキッチンの床にドサリと置くと、イタリアは唇を尖らせてドイツの『眉間の皺ビーム』を掻い潜る。戦況はイタリアが有利、ドイツの困ったような顔はローテーブルの上で読み主を待っている名作文に向けられたが断ろうとは思わなかった。
「まずサフランをお湯に浸して、色を出させて」
「あぁ。これは・・・」
「あ、うん、パエリアパン。一回家に行って取ってきたんだ。俺のお気に入りだよ!」
ドイツ家の広いキッチンの調理台には紙袋の中身やボウルやまな板といった必要なものたちがドイツの手によって整頓され兵隊の列のようにきちんと並べられていた。ピカピカに磨き上げられたシンクに水がうち、イタリアは野菜を洗い始める。二人で料理をするのは初めてではなく、手馴れた様子でドイツはサフランの作業を終わらせ、洗い終えた野菜を次々にイタリアから受け取り笊へいれる。
雫がキッチンの明かりにてらてらと輝いている様は静物画に見えた。
「パプリカは色彩、ニンニクはスパイス! 料理ってすごいよね、どの食材も支えあって出来ているんだよ」
「そうだな。意味のないものはない。すべてのものが香り、見た目、味において引き立てあっているからな」
即行曲だと思われるメロディーをハミングしながら、イタリアは上機嫌だった。リズム良く包丁をスッとおろしていく手付きは絵になる。ドイツは小皿を用意し、縦に切られたパプリカをいれながら、何故急に一緒に料理がしたいなんて言い出したのか考えていた。気まぐれか、それとも何か深い意味があるのか。前者だとは思うが気になった。
「ドイツー、ニンニクの千切りとタマネギの千切り、どっちが先でしょう?」
イタリアがタマネギとニンニクを手に悪戯っぽく問い掛けた。
「・・・・・・タマネギか?」
あてずっぽう、勘で語尾の上がった答を返すと、じゃあ俺はニンニクね! とにっこり笑顔をむけられた。クイズではなく質問だったのか、と息をつき、調理台のまな板と万能包丁の前に立つ。イタリアはその隣でもう一つのまな板を前にニンニクを刻み始めた。鼻につくにおいが広がる。ドイツはさっそく包丁を手に取り、タマネギを半分にした。鼻の奥がつんとする。
「タマネギとニンニクの匂いって混ざると面白いね〜」
イタリアがのんびりと言う横で、ドイツは『正確を大切に』という精神のもと縦方向に切り身、横にも刃を入れていった。アリシンが目の粘膜を刺激して嫌な液体が滲んだ。料理にすっかり慣れたイタリアは全く平気そうな顔をしているが、普段タマネギを料理しないとドイツはアリシンの影響をまともに受けてしまったのだ。
「〜〜っ!」
一度自覚してしまうと目がしぱしぱして鼻が痒くなるような感覚にとらわれてしまう。タマネギも端から細かく刻む手に力が入った。
「タマネギが泣いてる」
イタリアがドイツの様子を見てくすりと笑った後、調子を変えて独り言の様に呟いた。
「あ?」
「一つなのにって、それが離れていくんだって。タマネギは泣けないから、切っている人に涙を託すの。・・・・・・ドイツ、ドイツは優しいんだよ」
いつの間にかニンニクを切り終わっていたイタリアはベーコンに取り掛かろうとしていたが、手を濯ぐとドイツをじっと見据えた。パサパサの涙が薄らと滲んで視界が悪くなっている中、イタリアは大きな瞳にドイツをうつしている。
「もう目、沁みない?」
小さな労わる様な声色にドイツは瞬きした。名の付けようのない、どの形容詞にも当てはまらない表情をイタリアが浮かべていたからだ。それは微笑んでいる様で、泣き出しそうであって、無表情にも見えた。8センチ下の視線は、しかし慈愛に満ちていた。
「あ、ああ。大丈夫だ」
「ほんとー?」
『自分が出来る笑顔』をドイツが見せるとイタリアがわざとらしく覗き込んでくる。ほんとだほんと。ドイツが苦笑まじりに堪えたのと同時だったか、一瞬後だったか、イタリアがよろっと背伸びをしてえいっとばかりにドイツの目と鼻の間のような、瞼に近いような、そんなところにキスをした。
それはたった一瞬の事で、背伸びが苦手なイタリアは気付いたら元の8センチ下の定位置にいたが、しかし温かく柔らかい唇の感触がドイツの中に残っていた。
「ほら、涙引っ込んだ〜、効いたでしょ」
えへへ、とイタリアが笑う。
「一本とられたな・・・・・・」
ドイツも再び苦笑する。
「ああ、効いた。驚いたぞ」
「だって驚かせたんだもん。でも上手くできなかったや。ドイツでっかいよ〜」
「お前が小さいだけだ。ほら、ベーコンを切るんだろう?」
「うん、 ―――――― 」
イタリアがまな板に顔を戻した刹那、ドイツは顔を傾けてその形のいい高い鼻のてっぺん ――― ドイツがされたのと同じところ ――― にふ、と唇を触れた。
「―――― お返しだ」
素っ気無く言うと、ドイツは千切りの作業に戻る。イタリアは先刻のドイツ以上に驚いて、その次にばーっと赤くなった。ベーコンとニンニクと、それからタマネギが、今度は笑っている。
イタリアがドイツ〜と呻ると当の本人は軽く笑った。いつもと違う余裕のある笑みだった。
パエリアパンの上で熱せられている海老が鮮やかな赤色に変わるとドイツはアサリをそこに入れ、蓋をした。もう一つのコンロではイタリアが千切りにしたベーコンを炒めていた。食材の持つ香りがキッチンに広がって、イタリアは早く食べたいな、と心を急き立たせる。
軽快な音を立てて、いい香りを放つ鍋の中身に満足して、米を入れる。自然と、鼻歌が始まって、ドイツはそれを無言で聴いていた。
なんとも言えぬ、幸せの定義がわかる時だった。
「ドイツードイツー」
「ん?」
「俺さ、今年は大丈夫かな」
「・・何がだ」
「んー、何でもない」
鍋からいい香りが立ち込める。イタリアの突然の思いつきはドイツにも幸せをもたらしていた。
3月17日は迫ってきている。イタリアは僅かに表情を曇らせたが、それは一瞬の事で、すぐに今の事に集中した。
祝いの言葉、感謝の言葉・・・・・・たくさんの色ある幸福感に満ちる3月17日に後ろめたさがあった。
「急に出て行ったと思ったら・・・・・・何か作るのか?」
ドイツは、パプリカやタマネギ、ニンニク等が覗く紙袋を両腕に抱えて息を切らすイタリアを玄関に迎えて開眼した。
読書に熱中するドイツの横で何をするでもなくぼうっとしていたイタリアが急に短い声をあげて、ジャケットを羽織るとあっという間に消えてしまったのだ。
「パエリアが食べたくなったんだ。ドイツも一緒に作ろう!」
「急に言われてもな・・・・・・」
「いいじゃんか、何ケチケチしてんのー。もともと今日はドイツが夕食当番だったんだから」
ああ重かった、と紙袋をキッチンの床にドサリと置くと、イタリアは唇を尖らせてドイツの『眉間の皺ビーム』を掻い潜る。戦況はイタリアが有利、ドイツの困ったような顔はローテーブルの上で読み主を待っている名作文に向けられたが断ろうとは思わなかった。
「まずサフランをお湯に浸して、色を出させて」
「あぁ。これは・・・」
「あ、うん、パエリアパン。一回家に行って取ってきたんだ。俺のお気に入りだよ!」
ドイツ家の広いキッチンの調理台には紙袋の中身やボウルやまな板といった必要なものたちがドイツの手によって整頓され兵隊の列のようにきちんと並べられていた。ピカピカに磨き上げられたシンクに水がうち、イタリアは野菜を洗い始める。二人で料理をするのは初めてではなく、手馴れた様子でドイツはサフランの作業を終わらせ、洗い終えた野菜を次々にイタリアから受け取り笊へいれる。
雫がキッチンの明かりにてらてらと輝いている様は静物画に見えた。
「パプリカは色彩、ニンニクはスパイス! 料理ってすごいよね、どの食材も支えあって出来ているんだよ」
「そうだな。意味のないものはない。すべてのものが香り、見た目、味において引き立てあっているからな」
即行曲だと思われるメロディーをハミングしながら、イタリアは上機嫌だった。リズム良く包丁をスッとおろしていく手付きは絵になる。ドイツは小皿を用意し、縦に切られたパプリカをいれながら、何故急に一緒に料理がしたいなんて言い出したのか考えていた。気まぐれか、それとも何か深い意味があるのか。前者だとは思うが気になった。
「ドイツー、ニンニクの千切りとタマネギの千切り、どっちが先でしょう?」
イタリアがタマネギとニンニクを手に悪戯っぽく問い掛けた。
「・・・・・・タマネギか?」
あてずっぽう、勘で語尾の上がった答を返すと、じゃあ俺はニンニクね! とにっこり笑顔をむけられた。クイズではなく質問だったのか、と息をつき、調理台のまな板と万能包丁の前に立つ。イタリアはその隣でもう一つのまな板を前にニンニクを刻み始めた。鼻につくにおいが広がる。ドイツはさっそく包丁を手に取り、タマネギを半分にした。鼻の奥がつんとする。
「タマネギとニンニクの匂いって混ざると面白いね〜」
イタリアがのんびりと言う横で、ドイツは『正確を大切に』という精神のもと縦方向に切り身、横にも刃を入れていった。アリシンが目の粘膜を刺激して嫌な液体が滲んだ。料理にすっかり慣れたイタリアは全く平気そうな顔をしているが、普段タマネギを料理しないとドイツはアリシンの影響をまともに受けてしまったのだ。
「〜〜っ!」
一度自覚してしまうと目がしぱしぱして鼻が痒くなるような感覚にとらわれてしまう。タマネギも端から細かく刻む手に力が入った。
「タマネギが泣いてる」
イタリアがドイツの様子を見てくすりと笑った後、調子を変えて独り言の様に呟いた。
「あ?」
「一つなのにって、それが離れていくんだって。タマネギは泣けないから、切っている人に涙を託すの。・・・・・・ドイツ、ドイツは優しいんだよ」
いつの間にかニンニクを切り終わっていたイタリアはベーコンに取り掛かろうとしていたが、手を濯ぐとドイツをじっと見据えた。パサパサの涙が薄らと滲んで視界が悪くなっている中、イタリアは大きな瞳にドイツをうつしている。
「もう目、沁みない?」
小さな労わる様な声色にドイツは瞬きした。名の付けようのない、どの形容詞にも当てはまらない表情をイタリアが浮かべていたからだ。それは微笑んでいる様で、泣き出しそうであって、無表情にも見えた。8センチ下の視線は、しかし慈愛に満ちていた。
「あ、ああ。大丈夫だ」
「ほんとー?」
『自分が出来る笑顔』をドイツが見せるとイタリアがわざとらしく覗き込んでくる。ほんとだほんと。ドイツが苦笑まじりに堪えたのと同時だったか、一瞬後だったか、イタリアがよろっと背伸びをしてえいっとばかりにドイツの目と鼻の間のような、瞼に近いような、そんなところにキスをした。
それはたった一瞬の事で、背伸びが苦手なイタリアは気付いたら元の8センチ下の定位置にいたが、しかし温かく柔らかい唇の感触がドイツの中に残っていた。
「ほら、涙引っ込んだ〜、効いたでしょ」
えへへ、とイタリアが笑う。
「一本とられたな・・・・・・」
ドイツも再び苦笑する。
「ああ、効いた。驚いたぞ」
「だって驚かせたんだもん。でも上手くできなかったや。ドイツでっかいよ〜」
「お前が小さいだけだ。ほら、ベーコンを切るんだろう?」
「うん、 ―――――― 」
イタリアがまな板に顔を戻した刹那、ドイツは顔を傾けてその形のいい高い鼻のてっぺん ――― ドイツがされたのと同じところ ――― にふ、と唇を触れた。
「―――― お返しだ」
素っ気無く言うと、ドイツは千切りの作業に戻る。イタリアは先刻のドイツ以上に驚いて、その次にばーっと赤くなった。ベーコンとニンニクと、それからタマネギが、今度は笑っている。
イタリアがドイツ〜と呻ると当の本人は軽く笑った。いつもと違う余裕のある笑みだった。
パエリアパンの上で熱せられている海老が鮮やかな赤色に変わるとドイツはアサリをそこに入れ、蓋をした。もう一つのコンロではイタリアが千切りにしたベーコンを炒めていた。食材の持つ香りがキッチンに広がって、イタリアは早く食べたいな、と心を急き立たせる。
軽快な音を立てて、いい香りを放つ鍋の中身に満足して、米を入れる。自然と、鼻歌が始まって、ドイツはそれを無言で聴いていた。
なんとも言えぬ、幸せの定義がわかる時だった。
「ドイツードイツー」
「ん?」
「俺さ、今年は大丈夫かな」
「・・何がだ」
「んー、何でもない」
鍋からいい香りが立ち込める。イタリアの突然の思いつきはドイツにも幸せをもたらしていた。
3月17日は迫ってきている。イタリアは僅かに表情を曇らせたが、それは一瞬の事で、すぐに今の事に集中した。