お節介な贈り物
おまけ
北海道から戻った翌々日――。
久し振りの休日の朝、金澤は無遠慮で不快なチャイムの連打によって叩き起こされた。
「はいよっ……」
寝ぼけ顔で玄関のドアを開けた金澤の顔が強張る。
「――おはようございます」
そこには仏頂面の吉羅が立っていた。
今日は珍しく私服姿で、両手には発泡スチロールの大きなケースを抱えている。
「吉羅……お前なあ……朝から何の用だ。ドライブなら他のヤツを当たってくれや」
「金澤さん、鍋はありますよね」
「は、鍋……?」
金澤は寝る前に適当に結わえた後ろ髪に手を突っ込んで、吉羅の顔をまじまじと見た。
「それから、日野君も連れてきました」
「お、おはようございます……」
吉羅の背後からやはり私服姿の香穂子がちょこんと顔を出す。こちらはスーパーのビニール袋を提げている。
「うぉっ、日野!? ち……ちょっと待ってろ!」
そこでようやく金澤は、自分がTシャツとトランクス一丁だったことに気付き、慌てて部屋に引っ込むと着替えを漁り出した。
「別に隠すような間柄じゃないでしょう。勝手に上がりますよ。日野君も来なさい」
「えっと……お邪魔します」
吉羅はドアを開けると、我が物顔で玄関に上がり込む。香穂子も困惑しつつそれに続いた。
* * *
カセットコンロの上に置かれた土鍋が、ぐつぐつと煮えている。
「……どうぞ」
香穂子が具を小鉢に盛りつけて、金澤と吉羅に差し出した。
「お、ありがとさん。……日野はともかく、吉羅……お前、何で人の家に来て、鍋喰ってるんだよ」
畳の上で胡座をかいた金澤は、空になった缶ビールの腹を握り潰すと、吉羅を睨み付けた。
「何故? 金澤さん、ご自分の行動にはきちんと責任を持ってください」
鍋の中には野菜、豆腐、しらたき、そして大きな蟹の脚が美味しそうに湯気を立てている。
「これ、俺が送りつけたヤツか……」
「私ひとりではとうてい食べきれませんので」
それもそのはず――端から嫌がらせで特大サイズのタラバガニを送りつけたのだ。金澤の懐的にも大打撃である。生ではなく浜茹での蟹にしてやったのが、せめてもの温情だった。
「だからって、何で俺の部屋で喰うんだよ……」
「部屋に蟹の臭いが籠もるのは嫌ですから。あれ、一度付くとなかなか取れないんですよ」
そう言って吉羅は、小鉢に箸を付けると、ロシア産にしては、まずまずですね。と鼻で笑う。
「鍋だけでは飽きてしまいますから、少し焼きましょうか。日野君、お願いできるかな」
「はい、分かりました。先生、網借りますね」
自前のエプロンを着けた香穂子が畳を立ち、台所に向かった。
「おいっ、お前ら、俺を無視して勝手に決めるなっ!」
こうして、金澤にとって久し振りの休日は、襲撃者二名による蟹鍋パーティに乗っ取られた……。
* * *
「……さて、そろそろ私は失礼します」
締めの雑炊をしっかりと堪能したところで、吉羅は箸を置くと席を立った。
「人の貴重な休日を潰しておいて、自分は仕事かよ」
空き缶に囲まれ、畳にだらしなく寝転がっていた金澤が、嫌みったらしく口を開く。
「まだ半日残っているでしょう。せいぜい有効に使ってください」
「へいへい……そういや、お前、車なのか?」
半ばやけくそになって缶ビールを次々と空ける金澤とは対称的に、吉羅はアルコールを一滴も口にしていなかった。
「ええ。表通りのパーキングが空いていましたので、そこに駐めて歩いてきました」
そう言って吉羅は、ハンガーに掛けたコートを外すと、ひとり、鍋の前に座った香穂子を一瞥する。
「日野君。後の片付けは君に任せるよ。残った蟹は二人で食べてもらって構わない」
「へっ……? あ、はい」
香穂子は間の抜けた声をあげ、両手で挟んでいたオレンジジュースのグラスをテーブルに置いた。慌てて立ち上がろうとしたところを、吉羅に諫められる。
「見送りは不要だ。失礼」
「あ……デザート買ってくるの忘れました」
残った蟹を冷蔵庫に収納していた香穂子が、思い出したように呟いた。
「は? お前さん、まだ食べる気なのか?」
「デザートは別腹ですから……」
流しの洗い桶に食器を放り込むと、金澤は低い溜め息をついて、頭をぼりぼりとかく。
「デザート……ね。とっておきのヤツがあるなあ……」
「え? 買い置きがあるんですか!? 先生、甘い物食べませんよね。ひょっとして誰かからのもらい物とか……?」
金澤の言葉を真に受けて、目を輝かせた香穂子は、閉めたばかりの冷蔵庫を開け、おもむろに中を覗いた。その無邪気な姿に思わず苦笑する。
「いんや、吉羅がさっき蟹と一緒に持ってきた」
「え……? ビニールの中にはもう何も入ってなかったはずですけど……?」
いつ買ったのだろうかと首を傾げる香穂子の肩に金澤がぽんと手を置いた。
「せんせ……?」
「カニ臭いのは嫌か?」
耳元に唇を寄せてそっと囁く。香穂子の頬が、茹であがった蟹のように赤くなった。
「あの……もしかして……」
「そ、デザートはお前さん」
「その発言、オヤジっぽいです」
「オヤジで結構」
金澤は、至近距離で憎まれ口を叩いた香穂子の唇を塞ぎ、堪能すべく寝室へと持ち帰った。
(終われ)