心の音
そして長い時間をかけて、ついに迎えたその日。
僕はタイミングを見計らって里瀬葉を呼んだ。
作曲用のキーボードの前に座ると、
新しい曲がもらえると思ったのか、
里瀬葉は嬉しそうに鼻歌を歌いだした。
「違うよ、里瀬葉。
今日は、里瀬葉が歌う曲じゃないんだよ。」
『え………?』
見る見るうちに表情が曇っていってしまった。
里瀬葉は喜怒哀楽がわかりやすくて、本当に素直な良い子だと思う。
考えたことが手に取るようにわかって、
僕は思わず頬が緩みそうになるのを必死で抑えながら
いつものようにぽんぽんと里瀬葉の頭を撫でた。
「そうじゃないよ、里瀬葉。
他のボーカロイドのための歌じゃない。
里瀬葉のための歌だけど、里瀬葉の歌うための歌じゃないんだよ。」
『・・・?
里瀬葉の、だけど、里瀬葉のじゃ、ない・・・?』
「ちょっと難しいかな?
よし、じゃあ聴いてて。そしたら、きっとわかるよ。」
僕は、深呼吸してキーボードに手を置いた。
目を閉じて、心を落ち着かせて、それから意識を集中させる。
何度も何度も弾いたから、体が覚えている。
最初の鍵盤を押すと、後はもう自然と指が動いた。
僕の気持ちが届くようにと願いながら、
心を込めてメロディーに合わせて歌を乗せた。
歌っている間、頭の中では
里瀬葉に出会ってからの思い出が駆け巡っていた。
初めて逢った日のこと。
初めて曲を聴かせた日のこと。
初めて歌ってもらった日のこと。
沢山の場所に出かけたこと。
時々ケンカもしたこと。
いっぱい泣いて、笑って、怒って、遊んで、歌って。
弾き終わって里瀬葉の方を見てみると、
心ここに非ずといった様子で
呆然とした顔でキーボードを見つめていた。
「里瀬葉?おーい、里瀬葉??」
『・・・・・・』
目の前で手を振ってみるけれど、なかなか反応がない。
壊れてしまったのかと一瞬焦り出したところで、
里瀬葉の手が僕の服の裾をつかんだ。
『マスター』
「?」
『ねぇマスター、今の、なぁに?
マスターは、里瀬葉に何をしたの?』
「えっ?どうしたの突然」
里瀬葉は何だか興奮した様子で僕に聞いてきた。
その目は真剣そのもので、でも何かしたかと聞かれても
ただキーボードを弾いて歌っただけとしか言いようがない。
一生懸命言葉を考えている里瀬葉を待っていると、
困ったような顔で心臓のあたりを指差した。
『マスターのお歌きいてたらね、
そしたらね、何だかここがふわーってあったかくなってね、
でもコショウじゃなくてね、なんかヘンなの。
ねぇ、どうしてマスター?』
里瀬葉の発言に驚いたものの、
きっとそれは僕の心が届いた証なんだと思って、
そうしたらもうニヤけるのを抑えられなかった。
キーボードから離れて、
里瀬葉と目線を合わせて、ぎゅっと抱きしめた。
「お誕生日おめでとう、里瀬葉。」
『・・・・・・?
マスター、里瀬葉にはおたんじょうび、ないよ?』
「ないから、僕が作ったんだ。
今日は、里瀬葉が初めてうちに来た日なんだ。
里瀬葉と僕が逢った日だよ。
だから、今日が里瀬葉の誕生日。」
『たんじょうび………たんじょうび………………
里瀬葉の、たんじょうび…!!』
言葉にすることでだんだんと理解したのか、
腕の中で、里瀬葉は嬉しそうにハシャいだ。
喜んでくれるその姿が嬉しくて、
僕はやっぱりボーカロイドも人間も変わらないんだと思った。
「今のはね、僕が、里瀬葉のために作った歌なんだ。
誰に聴かせるためでもない、里瀬葉のためだけの歌だよ。」
『里瀬葉、だけ?』
「そう。里瀬葉へのお誕生日プレゼントだよ。
あとね、ケーキも買ってきたんだ。
お誕生日のお祝いだからね、一緒に食べよう?」
『けーき!!里瀬葉けーき食べたい!!』
ケーキと聞いて、里瀬葉の目が一段と輝いた。
あの日、里瀬葉と通りかかったケーキ屋さんのものだ。
2人分だからそんなに大きくはないけれど、
頼んだらネームプレートもつけてくれた。
電気を消してロウソクに火をつけると、
里瀬葉の瞳に灯りが映って一層キラキラと眩しく輝いて見えた。
火を吹き消す時も、ケーキを食べている間も、
里瀬葉の表情は本当に嬉しそうで、
見ているこっちまで幸せになるような笑顔だった。
食べ終わって食器を片付けていると、
後ろで里瀬葉がさっきの歌を早速鼻歌で歌っていた。
楽しそうに歌いながらちょこまかと動き回り、
そして僕が食器を洗い終わったのを見計らって
服の裾を引っ張って、ジェスチャーでしゃがむように促した。
目線を合わせると何故か2人しかいない空間なのに耳打ちをして、
そして里瀬葉の方からぎゅっと抱きついてきてくれた。
いつか子供が出来たらこんな感じなのかな、と思いつつ、
里瀬葉の気持ちが嬉しくて僕も抱きしめ返した。
どうか、来年も、その先もずっと。
こうしてお祝いが出来ますように。
そして、沢山の歌を一緒に奏でられますように。
沢山の人に、里瀬葉の歌声が届きますように。
腕の中の小さくて大きな存在を抱き締めながら、そっと願った。
―――――『ありがとう、マスター。
マスターのおたんじょうびは、里瀬葉がお祝いしてあげるからね。』