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いと

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 泰衡は、そのときひどくおかしな、既視感のようなものに捕らわれた。もちろん、そのようなはずはないのだが、彼女を見たことがあるような気がしたのだ。
 伽羅御所の回廊を歩み、奥へ向かうを止めに入る武士の言葉に耳をくれず進んだ先に、彼女はいた。先程、既に再会を果たしていた九郎と弁慶と、それに彼自身の郎党である銀とともに。
 武士を黙らせ、銀に誰何を訊ねると、返ってきた答えは――白龍の神子。
 なるほど、と思うも、ただの小娘だとも思った。どこにでもいる、何が特別ということもない、ただの小娘だ。
 しかし、泰衡が目を向けると、目が合う。彼女は、じっとこちらを見返していた。それがおかしいということではない。だが、確実に何かが妙だった。
 そう、たとえばその視線が、まるで放たれた矢のように鋭いのだ。噛み締めるように閉じる唇が、何か言いたげに見えた。
「失礼、神子殿」
 知らず視線を逸らすように、僅かにも動揺してしまったと言う事実を見せぬよう、泰衡はその場を離れることにした。今、言葉を交わす必要があるのは、この奥にいる己が父であって、九郎らでも銀でも、ましてや白龍の神子である娘でもない。
 背を向けると、――泰衡さん、といきなり呼ばれた。聞き覚えのないはずの声。しかし、聞いたことがあると思うのは何故なのか。
 振り返ると、その高く凛とした声は、やはり神子のものだった。
「何か?」
 躊躇うような表情を見せた。九郎と弁慶は、そんな神子の行動と様子に、眉を寄せている。どうした、と九郎が訊ねると、彼女は一度彼に視線をやったものの、またもまっすぐに、泰衡を見つめてくるのだ。その瞳に宿る光が、涙のように見える。
「――いえ、その……、よろしくお願いします」
 そう口にすると、今度はそちらから視線を外し、背を向けると、行きましょう、と九郎らに言っている。
 泰衡はそれを見送る形になりながら、――感じる違和感を、一層に強めた。
 それが一体何なのか、また何故感じるものなのかは、全く分からない。


 銀は、彼女を野の花のように可憐だと評した。
 泰衡はそれに、野の花など結局ただの雑草に過ぎぬ、と言い切った。
 ――邪魔になれば排除もしよう。必要ならば、そのまま目の届くところに置いておく。
 しかし。
 出会った瞬間から、引き続き感じ続けているものがある。
 ――奇妙で、思うたび、苛立つような感覚だ。


 泰衡が銀に与えた役目は、鎌倉に裏切られた客人たちの監視だ。特に、白龍の神子に関しては、その傍に控え、彼女の様子を逐一報告するように申し付けている。
 彼女がどれほどただの小娘だろうと、白龍という神に選ばれたのだ。その身に秘めた力を、彼は知りたかった。
 今、鎌倉との戦の備えを万全に整えていく中、その万全をさらに強固とするために、彼女の神子としての力を手に入れたい。
 その夜も、神子の元へ出向いていた銀が戻った。
 今日も彼女は、平泉に訪れてからこれまでの数日間と同じように、特に大きな事故も怪我もなく、無事に過ごしたと言う。
 ただ、鎌倉がしかけた呪詛を解放するため、噂を耳にしては、あちらこちらへ向かい、時折土壌を掘り返したと聞いて、僅かに呆れたものだ。
「それで? 呪詛は解放されたか?」
「本日は一箇所、探し当てられました。その御手に触れられた呪詛の種、確かに消え失せてございます」
 銀の律儀な回答に、なるほどな、と眉を歪める。
 呪詛を解放することを、その手で触れるだけで成せると言うのなら、全て任せても良かったが、しかし彼女や九郎たちに、平泉のあちらこちらで妙な行動を取られるのも、目障りだ。溜息を呆れたまま吐き出した。客人は客人らしく、大人しくしていれば良いものを。
「それで、白龍の神子も九郎らも、それ以外は変わりなく過ごしているんだな?」
「はい。……ただ」
 眉間の皺を深く寄せる。
「何だ?」
「今日、呪詛を解放された後、少し外を歩きたいと仰ったので、供につかせて頂いたのです」
 二人で、歩いたのだと言う。白龍もともに行くと言ったのだが、神子自身がそれを望まなかったそうだ。銀だけを供に、彼女は無量光院から伽羅御所の方角へ、ゆるりと歩いた。
 その道行きの途中だった。
「突然、泣き出されまして」
「――泣く?」
「はい。それまで、ずっと神子様は無口でいらっしゃいました。ですので、何が要因だったのか、私には分かりません。ですが、そこで不意に泣き出されて」
 理由もなく、唐突に。
「どうなさったのかをお訊ね致しましたが、何でもないと仰るばかりでした」
 一体どうなさったのでしょうか、と口にしたとて、泰衡になど全く分からないことだ。
 眉を寄せる主に、銀は告げる。
「ようやく涙をお拭きになると、神子様は、泰衡様のご様子を気になさっていらっしゃいました」
「俺の?」
「はい。泰衡さんはどうしているの、とお訊ねになりました」
 会ったのはただ一度。それも、まともな会話など交わしていない。
 それを何故、自分の様子を彼女が気にかけるのか、泰衡には分からない。奥州を治める大人物の子息だからか。
「分からんな」
「神子様は様々のことに気を配られる方ですので、おそらく、泰衡様のこともお気遣い下さっているのかと」
「余裕のあることだ。自身もまた、鎌倉に追われる身だろうに、他人を気にしている場合ではないだろう」
 銀は、これには何も答えず、静かに頭を垂れた。
 白龍の神子がそのように、己の身よりも他人を気にするような女であるなら、それこそ愚かしい話だ。自分が今、どう言う立場か、少し考えてみる方がいい。
 下がれ、と銀に命じると、彼ははい、と頷きすぐさまその場を去っていった。
 それから、泰衡は息をついた。
(分からぬ女だ……)
 出会った日の、あの呼びかけも、分からない。あのときから続く、奇妙な感覚も、分からない。
 ――既に見知っていたように感じる、など。あり得ない。



     ***

作品名:いと 作家名:川村菜桜