いと
もう終わりなんだ、と思い、安堵した。
大気は清浄を、世界は平穏を、取り戻したのだから。
まだ、この先もこの世界に、またこの場所に、そして大切な仲間たちには、何か困難が降りかかるかも知れない。けれど、望美が果たしたいと思っていたことは、終わった。
――白龍は力を取り戻した。
だから、望美が彼の神子として、この世界にいる理由ももうなくなったのだ。あなたのお陰だ、と白龍は嬉しそうに言ってくれた。
役目は果たされた。
だから、望美はずっと手にしていたそれを、手離すときが来たのだと、そう思った。
誰も起き出してこない早朝のうちに、望美は大社を訪れた。誰もいないその頂上まで上り、昇り出した朝日の光を受ける、平泉を見下ろした。
胸元から取り出すのは、白い――逆鱗。望美を救い、助けてきた、それ。
(私の、運命を導いた――)
そして、願いを叶えてくれた。みんなを守りたいと、そう思い続けてきたことを、成し遂げられた。
ありがとう、と呟いたとき、――階段を上がってくる足音を聴いた。上がって来た人は望美を見て、僅かに驚き、そして眉を寄せた。
何をしている、と不機嫌そうな声音に問われ、何と答えたものか逡巡していると、その人は彼女の目の前まで上がってきた。
望美が持っている逆鱗を見て、目を見開いた彼は、これが何か、知っていたのだろうか。
「これを、ここで解放しようと――壊そうと思うんです」
なぜかと問われ、望美は薄らと微笑んだ。
「私の役目も終わり。この逆鱗も、もうすべきことを終えたんです」
この世界はまた、正しくあるべき姿へと戻ったのだから。逆鱗で時空を越え、無理に何かを捻じ曲げて、運命を変える必要など、もうこれ以上はないのだ。白龍もまた、力を取り戻したのだから、逆鱗が導かずとも、元の世界への道も開かれる。
なるほど、と彼は頷いた。惜しいな、と呟いた。それがあれば、いま少しできることもあろう、と。
「……欲しいとは思いませんか?」
いや、と彼は否定し、人の世は人の力で治めるものだ、と言い切った。望美は僅かに笑い――神の力を用いた自分を思ったため少し自嘲気味だった――、そうですね、と答える。
そうして、見ていてください、と告げた。
――床に置いて、剣を突き立てた。光が小さく弾ける。
その砕けた欠片を拾い上げると、それを、吹く風に散らす。不可思議なことに、それは大気の中に溶けるように消えた。
「もう、終わり」
小さく口にすると、ふいに切ない想いが溢れた。
全ての役目を終えたなら、龍神の神子――白龍の神子は、己の世界へ帰らねばならないのだから。
望美は、ふと口にしていた。
「泰衡さん、私、――あなたのこと、好きです」
***