優しさの揺り篭
ひとり残されたデュオの胸にはふつふつと煮え立つように怒りが溢れるばかりで、どうすることも出来ないその感情を今は持て余すしかなかった。
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カトルが医務室に運ばれて、もう数時間が経つ。
未だに治療は続いているようで、時折室内からはサリィの忙しない足音が聞こえてくる。
アストロスーツを脱いで、いつものように牧師の服に着替えたデュオは……医務室前の廊下で、静かに静かにカトルが起きる時を待っていた。
『貴様は、何も分かっていないんだな』
五飛から言われたことを思い出して、デュオは悔しそうに唇を噛んだ。
一体何が、俺は何が分かってないって言うんだ……怒りで冷静さを失いかけている自分の頭で考えても分からない。
それが余計にデュオの心を苛立たせる。
「ちくしょう……カトル……」
こんな怒りも、きっとカトルの笑顔さえ見れれば一瞬にして消え去るだろう。
あの優しい笑顔で、自分のことを見つめて欲しい。
あの綺麗な声で、自分の名前を呼んで欲しい。
頭の中ではカトルの笑顔ばかりが思い浮かぶが、今そのカトルはドアの向こうの医務室で生死をさ迷っている。
こんな時、何も出来ない自分が歯痒くて悔しくて堪らない。
神様なんか信じちゃいない、奇跡なんか願わない、けれど今だけは神に願う。
あの優しい少年を、俺の元に戻してくれと。
知らず知らずのうちに、デュオは祈るように両手を握って願っていた。
そんな時だった、静寂に支配された長い廊下に足音が響いてきた。
音のする方向へと顔をやると……ヒイロがこちらに向かって歩いてくる姿が見えた。
「……何しに来たんだよ」
「カトルの様子を聞きにきただけだ」
「…はっ!何言ってやがる!カトルの機体にゼロシステム埋め込んだのはお前なんだろ?ハワードから聞いたぜ……カトルがこうなった原因を作ったお前がカトルの心配だと?笑わせんじゃねぇよ」
吐き捨てるように言うと、ヒイロの眉がピクリと上がった。
挑発するような言葉が気に入らなかったのか、ヒイロは冷ややかながらも鋭い目をデュオに向ける。
デュオは更に煽るように言葉を続けた。
「お前だって、カトルがゼロシステムを使って過去にどんだけ辛い思いしたのか知ってんだろ?それなのに何で…あの優しいカトルにあんなもん使わせたんだ。答えろよ…!」
「………優しい、優しい、お前は、そればかりだな。戦場に優しさなど必要ない」
「だからって勝つためにどんな手段でも使うってのか!?カトルの命がかかってんだぞ!」
デュオはヒイロの肩を掴んで壁に背中を思い切り叩き付けた。
「勝つにしたって何か他に方法があるはずだろ!?これ以上あいつにゼロシステムを使わすんじゃねぇよ…これ以上やったら、優しいあいつが壊れちまう…」
悲痛にも聞こえる声音でデュオは言葉を漏らす。
もし、カトルが壊れてしまったら、もし……カトルの心が崩壊して、二度と笑えなくなったら。
それが怖くて怖くて堪らない、あの優しいカトルを失いたくない。
心は焦るばかりで、ヒイロの肩を押え付けるデュオの手は惨めなくらいに震えていた。
「………お前は何も分かっていない。これはカトル自身が決断したことだ……お前はただ、優しいカトルを失いたくない、優しいままのカトルでいて欲しい、その理想をあいつに押し付けているだけだ」
ヒイロの言葉がデュオの心を抉っていく。
覚悟がなければ戦えない、いつかトロワが言っていた言葉をデュオは思い出した。
そう、覚悟がなければ戦えはしない。
戦場では優しさや躊躇いなどは必要ないのだから。
『貴様は何も分かっていないんだな』
分かっていないのが、本当に自分だとしたら。
「お前はカトルが決断したことも受け入れられず、ただ理想を無意味に口に出して駄々を捏ねている子どもと同じだ」
確信をつくヒイロの言葉に、デュオは反論することさえも出来なかった。
一気に怒りが引いていく、そして同時に悔しさが込み上げてきて、デュオはぐっと歯を食縛った。
口の中に鉄の味が広がっていく、それでもデュオは唇を噛み締めるのを止めはしなかった。
否、止めることが出来なかった。
分かっていないのが、カトルの気持ちを理解していないのが、自分だとしたら。
カトルがどんな思いでゼロシステムを使うことを決断したのかすらも、考えようとせず。
ただ、カトルに優しくあって欲しい、そればかりを自分は願って。
自分の理想を、カトルに押し付けるだけで。
そんな自分が、ひどく惨めで情けなく思えてくる。
だけど、それでも、自分は。
「……それでも……俺は、俺は……カトルには優しくあって欲しいんだよ……理想持っちゃいけねぇのかよ!なあ、ヒイロ、教えてくれ……」
それでも、カトルだけは守りたい。
あの優しさを守れるのなら、自分がどんなに勝手な人間だと思われても構わない。
それほどまでに、デュオはカトルの優しさに囚われていた。
「なあ、教えてくれ……ヒイロ、俺はカトルのために、何をしてやりゃいいんだ……」
泣きそうになりながら、デュオはヒイロの肩に額を押し付けていった。
あまりに大きすぎる優しさを、あなたからもらった。
だから、いつまでもその揺り篭の中で眠っていたかったんだ。