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目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる

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墓へ至る途中だった。屋敷からまっすぐに歩き、廃屋街を抜け、宿舎方面に向かう。丁度、廃屋街の中ほどにさしかかったところだった。
 闇が人影を生み出した。
 まるで、いきなりその場に人が現れたかのようだった。
 無人の野を行くようだった。二着いくらで売っていそうな安物の背広姿が、辺りを窺うでもなく、ごくあたりまえの顔で歩いてくる。
 あまりに堂々としたその姿に、一瞬、阿門帝等は言葉を失った。
 脳内の記憶を走査する。
 もし、その人物が十代であれば、いささかの難事業だっただろう。優秀な彼の頭脳とて、一瞬にして目の前の人物が、天香学園の生徒かどうか判別するは難い。だが、月光の下を悠々と歩く人物の年齢は、どう見ても高校生のものではなかった。
 一瞬にして認識は完了した。確かにその人物は、天香学園の関係者ではない。
 もっとも、天香の関係者であったとしても、誰何の声をかけるに十分な時刻だ。だが、学内関係者でないとなれば、理由はより強くなる。
「待て」
 阿門はその人物に声をかけた。
 足は止まらない。
 進路に回る。
 止まった。
 総体としては、しょぼくれた中年男だった。
 だが。
 どこかが違った。十年以上前のものではないかと思われるような眼鏡の奥で、熾火のような目が彼を見据えていた。
「こんな場所(ところ)で何をしている。見たところ、物取りの類とも思えんが」
 阿門は目を細めた。
 本能が警鐘を鳴らす。この男は危険だ。自分が墓の番犬なら、彼は野を行く――。
 つまらない考えを、頭を振って追い払う。
「フン」
 しばらく阿門を観察していたらしい男は、面白くもなさそうに、微妙に進路を変えた。
「待て」
 阿門の声が低くなる。
 二人の間に、緊張感という名の冷たい糸が張る。いや、張ったと思ったは阿門だけか?
 それを断ち切ったのは、どちらの動きでもなかった。
 他方から現れた第三者が、能天気な気配と声を夜闇にふりまき、場を変えた。
「あ、せんせー、はやいっすねー。待ったっすか?」
 男の表情が揺れた。無愛想な顔を、人間くさい微苦笑がかすめる。
「――どういうつもりだ」
「いやー、頼りになります」
 へらへらと笑いながら、低い声も気にせず、三人目――この九月の転校生、緋勇龍麻は、侵入者に近づいた。そして、無言で差し出された袋を受け取り、小さく頭を下げる。
「ども」
 軽く言い、ちらりと阿門を見る。
 右手を上げると、何度か握ったり開いたりを繰り返した。挨拶らしい。
「緋勇」
「はいな」
 阿門はじっと二人を見た。
 そんな様子に頓着せず、侵入者は緋勇に近づいた。
 片方の手を緋勇の髪に潜りこませる。そのまま、引き寄せて、彼の耳元に口を寄せた。
 月明かりで、鋭い牙が見えた気がした。
「《天香(ここ)》は空気が悪い。――はやく帰って来い」
 緋勇は目を細めた。
 侵入者の方が、少し背が高い。
 顔を上げる。吐息が絡む距離だ。
 微かに開いた唇が、今にも重なるかと思えた。
 だが、そうはならなかった。
 緋勇が片手をあげる。眼鏡のつるを辿り、即頭部に辿りつく。
 阿門の向きからは見えないが、相手の耳元に顔を寄せたらしい。
 何か囁いたのだろうか?
 侵入者は目を細めた。口元が緩やかな弧を描き、微かな笑いの吐息が漏れる。
 互いに、空いた手を相手の背に回すこともなく、そのまま身体を離す。
 立ち去ろうとする侵入者の背に、阿門は我に返った。
 小さく舌打ちし、転校生はそのままに、相手を追う。
 だが。
 消えた。
 ほんのしばらくだった。月に照らされた明るい通りから、廃屋の間の暗がりに足を踏み入れる。ただそれだけの間だった。
「……な……」
 小さく声が漏れた。動揺が面(おもて)を覆う。
 一陣の風が舞い、彼のコートをはためかせた。
 男の姿はない。まるで、煙か何かのように、姿が消えていた。
 左右、そして、上。近くの廃屋の内部の気配。総てが静かだった。総てが不在を伝えていた。
 阿門は拳を握る。
 踵を返し、元の場所にとってかえる。
 転校生はいた。何が楽しいのか、目を細め、幸せそうな笑みで冴え冴えとした満月を見上げている。
 阿門の靴の下で、砂が音を立てる。
「おかえり」
 緋勇は、面白そうに言った。
「――っ!」
 ん? と、首をかしげ、阿門の様子を見守る。
 ひらひらと、手を振る。反対の手には、先ほど受け取っていた袋がさげられていた。
「……何者だ」
「ひゆうたつまくんです」
 真面目くさった返答に、阿門の目が殺気を宿す。
「ひみつです」
 唇の前で、人差し指を立て、にっこりと笑う。
「先生と、言っていたな」
 緋勇は首をかしげた。何もおぼえていないと言いたげな表情だ。
「受け取ったものは何だ」
「参考書」
 悪びれもせず、彼は袋に手をつっこみ、一冊取り出した。確かに、ありふれた参考書だった。表紙には、チャート式の文字がある。
「他のも見ます?」
「何故、消えた」
 緋勇は参考書を振りながら、笑みを浮かべている。
「貴様とはどういう関係だ」
「仲良し」
 少し考えてから答える。剣呑な阿門の雰囲気に押されたわけでもないだろうが、緋勇は再び口を開いた。
「いやー、年寄りは気がなぎゃーでいかんわ。おみゃーさんにあーせとーたら、あっちゅーまに、じーさんちゃーゆーとうににゃー。聞きゃーせん」
 白状したわけではなかった。参考書を丁寧に袋にしまいながら、あやしげなイントネーションでまくしたて、わざとらしくためいきをつく。
「……ふざけるな」
 緋勇は、アメリカンコメディーの役者のように、両の手のひらを上に向けて肩をすくめた。
「何も取ってない。おいてったものは、学生に必須の参考書。不問になんないっすか?」
 幾分か真面目な声色だった。
「――侵入してきたことそのものが問題だ」
 その言葉に、苦笑を浮かべ髪をかき回す。口中でなにやら呟いている。阿門は、かろうじて「満月」の言葉だけを聞き取った。
「何が言いたいのだ貴様」
「みなかったっていうのは、どうかなぁ?」
 今度は、小首をかしげ、顔の横で合掌だ。
「門は閉まっている。見回りもある。場所によっては、監視カメラもある」
「うっわ、チェキラー」
「なのに何故。奴は何者だ。貴様とはどういう関係だ」
「だから、年よりは気がにゃぎゃーで……っと!」
 緋勇は地面を蹴った。ほんの数センチ背後に飛ぶ。
 たったそれだけの動きにしては、不自然なほどの土煙が上がった。
「ふざけるなと言った」
「うーん」
 頭をかきながら、目をそらす。一つため息をつくと、緋勇は阿門に向き直った。
「監視カメラも見回りも、多分鉄条網があっても、ことによったら地雷があっても。ぜんぜん関係ないって種が、いたりするんすよ、実は」
「……奴もまた、墓守のごとき力を持っていると言うのか。ばかな」
「うんにゃ」
 あっさりと緋勇は首を横に振る。
「世の中、ひろいんすよ」
 阿門は目を細める。
「世の中」
 そう言って、緋勇は阿門の目を見た。
 奇妙な表情が浮かんでいた。少なくとも、笑っているのは分かる。ただ、どことなく哀しそうにも見えた。幼子(おさなご)に向ける優しい眼差しでもあった。