『ごめんなさい。これが最後の愛し方だったから』
最近、常々思うのだが、お姉様と咲夜の仲が良すぎる。
悪魔の妹。破壊の申し子こと、フランドール・スカーレットは、ヴワル図書館にて何度となく読み返した推理小説を片手に、何気なく気付いたわだかまりに首をかしげていた。
確かに、レミリア・スカーレットと十六夜咲夜は固い絆で結ばれた主従関係だ。
だが、咲夜もレミリアも、最近どうもお互いの距離が近すぎる気がする。
咲夜が吸血鬼姉妹に血を提供するとき、フランの場合は紅茶に混ぜたりとか、そういった加工が施されるものなのだが、レミリアに限ってはなんと直接。そう、レミリアの吐息と犬歯の鋭さを感じながら、咲夜は自分の血液が失われていくのを恍惚の表情で受け入れているのだ。それにどう見てもお互いを見る目が違う。特に咲夜に関しては完全に桃色で、主に向けるものでは決してない。レミリアにしては誘うような流し目がフランにはたまらなく色っぽく見えたのである。
そもそも、女同士である。いや、レミリアが男に靡くことなど、この地の幻想がすべて潰えたとてあり得ないのだが。
そして、フランにはもう一つ疑問が提唱される。何故そうまで二人の関係に気をもむ必要があるのか。別に二人が恋仲であろうと自分には関係ないはずでは。
だが、この感情は何か。そもそも感情と呼ぶべきなのか。こんなものは知らない。
レミリアのことは姉として敬愛しているし、咲夜のことは従者として信頼している。
それに気狂いの自分の事を理解してくれる数少ない、というか唯一の人物だ。
この関係はたとえフランの能力を持ってしても壊しきれるものではないと思っていたのだが。
「お姉様」
口ずさむ。唯一人の姉で唯一尊敬する非人(ひと)
「咲夜ぁ……」
呟く。そこでフランの掌に血が滴った。
血?
いや、紅くない。
フランは何故自分が泣いているのか解らなかった。
自分が狂っているのは知っているが、どうせ感情があるならその理由ぐらい教えてくれ。
咲夜。フランに取って初めて人として接した人。
自分は咲夜のことが――。
十六夜咲夜。
あれは十年かそこら前のことだろうか。地下室の分厚い扉越しにその幼い声を聞いたのは。
フランにとってもう少しで五百年に達する記憶。その中のほとんどは、彼女にとってどうでも良いことで構成されていた為、覚えていることをすべて積み重ねても数十年いくかいかないか。それでも、その時の出来事が鮮明に記憶されている。
ある冬の日。冬と言っても、フランに景色を見て季節を判断する術はない。
ただ、外の寒気が地下室にまで及び、室内がさながら氷室のようになるからである。
それを彼女は何となく冬と定義していた。
かじかむ手足に苛立ちを覚えながらも、ベッドで毛布にくるまって、暇つぶしに即興の歌を口ずさんでいたのだ。
ガン、ゴン、と響くノックの音を憎々しげに見つめると、そこには久々に会う姉と、見慣れぬ人間の少女が居た。少女の容姿はだいぶ幼く、十に満たない幼女の姿をとったレミリアよりも一回り小さいぐらいだ。姉のそれに似た銀髪が、外の世界では比較的珍しいものだと知ったのはだいぶ後になってからだった。
少女はレミリアの背に隠れ、不安そうにしがみついていた。その姿がフランのかんに障ったのは言うまでもない。
「お姉様、何それ? 私まだお腹すいてない」
口ではそう言っても、フランは姉の差し入れを無下に突き返すことは滅多にしない。
吸血鬼的に素材は上々、量もおやつにぴったりである。
ありがたく頂くことにしよう。
なるべく原形を残すべく、少女の心臓の『目』のみを局所的に補足する。それでも、加減は難しいものである。血煙になっても仕方ないか。
「駄目よフラン」
しかし、握りつぶそうとした掌をレミリアの威厳たっぷりな一言が遮った。
そうか、駄目なのか。
あまり納得しきれなかったが、レミリアの洋服を汚さずにすんで良かったかもしれない。無生物ならうまく壊せるが、人間を壊すのは慣れていないため、目論見通りにはいかないことをフランは感覚で理解していた。
だが、今更能力を自制できるほど、フランは器用ではなかった。
それができるなら、生まれてこのかたこんな所に閉じ込められてはいない。
掌は握り潰され、無慈悲にも少女の肉体は崩壊する。
はずなのだ。
おかしい。フランは生まれて初めて戸惑いを覚えた。
瞬きをする。姉の後ろでおびえていた少女の姿がない。
フランの拙い未来予想図は、とてもグロテスクだったのだが。
レミリアを見やる。いつも通り不敵な微笑を称えている。
嗚呼、いつ見ても見目麗しい我が最愛の姉上よ。
握ったはずの手に、触れる感触。先にこっちに視線をやるべきだったか。
そこには、不安そうな上目遣いの少女が、かしずいてフランの手を取っていた。
「フランお嬢様、御手が汚れておいでです」
抑揚に欠けていると、フランにも解る声で少女が告げる。そして、フランの手を取りだしたハンカチで優しく拭いた。
そうだった。
フランは今の自分の見てくれを思い出す。いや、吸血鬼は鏡に映らないため、自分がどんな容姿をしているのか知らないが。レミリアはフランの容姿を褒め称えることしかしないため、やはり実際の所はひどい物なんだろうと予想は立てていたが。自分でもこの姉とは違う奇異な翼を好きになれなかったし。
もとい、今のフランは、手だけと言わずに全身血まみれだった。
先ほど、寒さに耐えかねて自分の肉体を圧壊させ、吹き出した血液で暖を取ったのだった。現在は完璧に治癒しているが、体の節々が痛むのはそのせいだったのか。
「おまえ、何?」
「十六夜咲夜と申します。フランお嬢様のお世話を仰せつかりました。よろしくお願い申し上げます」
咲夜と名乗った少女は、おどおどしながらも淀みなく答えた。
「はい、良くできました咲夜。さすが私の従者ね。やはり、こうでなくては」
その一言に、フランは再三の衝撃を味わった。自分の躯をすりつぶしたときより、よほど衝撃的だった。
あの自尊心が紅い衣を纏って夜空を駆けているようなあの姉が人間の従者だと?!
「何のつもりなのお姉様?」
「ちょっとした余興よ。今し方その子が言ったとおり、しばらく貴女の世話をさせるわ。なぁに、長くてもほんの百年未満よ。いくら貴女でも、その子は壊せないだろうし、ね」
うふふ、と、口元に手を当てて優雅に笑みを零すレミリア。どうみても、見てくれ相応の幼女の仕草ではない。百年では到底すまない齢を重ねた、吸血鬼始祖(No Life Queen)の威厳というものだろうか。
またね、それだけ言うとレミリアは咲夜を連れて踵を返してしまった。
拒絶するように鋼鉄の扉が閉まり、幾多の錠の音が盛大な交響曲を奏でる。
フランにとって、その扉も錠も、障壁のうちには入らない。それらのすべてを瞬時に破壊することは造作もないことだ。
だが、この地下室も、扉も、鍵も、それらすべてに強力な魔術式が幾重にも施されていて、壊しても壊しても瞬時に再生してしまう。
悪魔の妹。破壊の申し子こと、フランドール・スカーレットは、ヴワル図書館にて何度となく読み返した推理小説を片手に、何気なく気付いたわだかまりに首をかしげていた。
確かに、レミリア・スカーレットと十六夜咲夜は固い絆で結ばれた主従関係だ。
だが、咲夜もレミリアも、最近どうもお互いの距離が近すぎる気がする。
咲夜が吸血鬼姉妹に血を提供するとき、フランの場合は紅茶に混ぜたりとか、そういった加工が施されるものなのだが、レミリアに限ってはなんと直接。そう、レミリアの吐息と犬歯の鋭さを感じながら、咲夜は自分の血液が失われていくのを恍惚の表情で受け入れているのだ。それにどう見てもお互いを見る目が違う。特に咲夜に関しては完全に桃色で、主に向けるものでは決してない。レミリアにしては誘うような流し目がフランにはたまらなく色っぽく見えたのである。
そもそも、女同士である。いや、レミリアが男に靡くことなど、この地の幻想がすべて潰えたとてあり得ないのだが。
そして、フランにはもう一つ疑問が提唱される。何故そうまで二人の関係に気をもむ必要があるのか。別に二人が恋仲であろうと自分には関係ないはずでは。
だが、この感情は何か。そもそも感情と呼ぶべきなのか。こんなものは知らない。
レミリアのことは姉として敬愛しているし、咲夜のことは従者として信頼している。
それに気狂いの自分の事を理解してくれる数少ない、というか唯一の人物だ。
この関係はたとえフランの能力を持ってしても壊しきれるものではないと思っていたのだが。
「お姉様」
口ずさむ。唯一人の姉で唯一尊敬する非人(ひと)
「咲夜ぁ……」
呟く。そこでフランの掌に血が滴った。
血?
いや、紅くない。
フランは何故自分が泣いているのか解らなかった。
自分が狂っているのは知っているが、どうせ感情があるならその理由ぐらい教えてくれ。
咲夜。フランに取って初めて人として接した人。
自分は咲夜のことが――。
十六夜咲夜。
あれは十年かそこら前のことだろうか。地下室の分厚い扉越しにその幼い声を聞いたのは。
フランにとってもう少しで五百年に達する記憶。その中のほとんどは、彼女にとってどうでも良いことで構成されていた為、覚えていることをすべて積み重ねても数十年いくかいかないか。それでも、その時の出来事が鮮明に記憶されている。
ある冬の日。冬と言っても、フランに景色を見て季節を判断する術はない。
ただ、外の寒気が地下室にまで及び、室内がさながら氷室のようになるからである。
それを彼女は何となく冬と定義していた。
かじかむ手足に苛立ちを覚えながらも、ベッドで毛布にくるまって、暇つぶしに即興の歌を口ずさんでいたのだ。
ガン、ゴン、と響くノックの音を憎々しげに見つめると、そこには久々に会う姉と、見慣れぬ人間の少女が居た。少女の容姿はだいぶ幼く、十に満たない幼女の姿をとったレミリアよりも一回り小さいぐらいだ。姉のそれに似た銀髪が、外の世界では比較的珍しいものだと知ったのはだいぶ後になってからだった。
少女はレミリアの背に隠れ、不安そうにしがみついていた。その姿がフランのかんに障ったのは言うまでもない。
「お姉様、何それ? 私まだお腹すいてない」
口ではそう言っても、フランは姉の差し入れを無下に突き返すことは滅多にしない。
吸血鬼的に素材は上々、量もおやつにぴったりである。
ありがたく頂くことにしよう。
なるべく原形を残すべく、少女の心臓の『目』のみを局所的に補足する。それでも、加減は難しいものである。血煙になっても仕方ないか。
「駄目よフラン」
しかし、握りつぶそうとした掌をレミリアの威厳たっぷりな一言が遮った。
そうか、駄目なのか。
あまり納得しきれなかったが、レミリアの洋服を汚さずにすんで良かったかもしれない。無生物ならうまく壊せるが、人間を壊すのは慣れていないため、目論見通りにはいかないことをフランは感覚で理解していた。
だが、今更能力を自制できるほど、フランは器用ではなかった。
それができるなら、生まれてこのかたこんな所に閉じ込められてはいない。
掌は握り潰され、無慈悲にも少女の肉体は崩壊する。
はずなのだ。
おかしい。フランは生まれて初めて戸惑いを覚えた。
瞬きをする。姉の後ろでおびえていた少女の姿がない。
フランの拙い未来予想図は、とてもグロテスクだったのだが。
レミリアを見やる。いつも通り不敵な微笑を称えている。
嗚呼、いつ見ても見目麗しい我が最愛の姉上よ。
握ったはずの手に、触れる感触。先にこっちに視線をやるべきだったか。
そこには、不安そうな上目遣いの少女が、かしずいてフランの手を取っていた。
「フランお嬢様、御手が汚れておいでです」
抑揚に欠けていると、フランにも解る声で少女が告げる。そして、フランの手を取りだしたハンカチで優しく拭いた。
そうだった。
フランは今の自分の見てくれを思い出す。いや、吸血鬼は鏡に映らないため、自分がどんな容姿をしているのか知らないが。レミリアはフランの容姿を褒め称えることしかしないため、やはり実際の所はひどい物なんだろうと予想は立てていたが。自分でもこの姉とは違う奇異な翼を好きになれなかったし。
もとい、今のフランは、手だけと言わずに全身血まみれだった。
先ほど、寒さに耐えかねて自分の肉体を圧壊させ、吹き出した血液で暖を取ったのだった。現在は完璧に治癒しているが、体の節々が痛むのはそのせいだったのか。
「おまえ、何?」
「十六夜咲夜と申します。フランお嬢様のお世話を仰せつかりました。よろしくお願い申し上げます」
咲夜と名乗った少女は、おどおどしながらも淀みなく答えた。
「はい、良くできました咲夜。さすが私の従者ね。やはり、こうでなくては」
その一言に、フランは再三の衝撃を味わった。自分の躯をすりつぶしたときより、よほど衝撃的だった。
あの自尊心が紅い衣を纏って夜空を駆けているようなあの姉が人間の従者だと?!
「何のつもりなのお姉様?」
「ちょっとした余興よ。今し方その子が言ったとおり、しばらく貴女の世話をさせるわ。なぁに、長くてもほんの百年未満よ。いくら貴女でも、その子は壊せないだろうし、ね」
うふふ、と、口元に手を当てて優雅に笑みを零すレミリア。どうみても、見てくれ相応の幼女の仕草ではない。百年では到底すまない齢を重ねた、吸血鬼始祖(No Life Queen)の威厳というものだろうか。
またね、それだけ言うとレミリアは咲夜を連れて踵を返してしまった。
拒絶するように鋼鉄の扉が閉まり、幾多の錠の音が盛大な交響曲を奏でる。
フランにとって、その扉も錠も、障壁のうちには入らない。それらのすべてを瞬時に破壊することは造作もないことだ。
だが、この地下室も、扉も、鍵も、それらすべてに強力な魔術式が幾重にも施されていて、壊しても壊しても瞬時に再生してしまう。
作品名:『ごめんなさい。これが最後の愛し方だったから』 作家名:清明@