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『ごめんなさい。これが最後の愛し方だったから』

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 だが、フランには魔法に対する天性の才能があった。こればかりはレミリアを持ってしても敵わない。フランは感覚でほぼすべての術式を解析してしまっていて、ある一点を破壊すればすべて連鎖して機能停止することを熟知していた。
 だが、自分にあてがわれた檻を破壊すれば、姉の心証を絶対に悪くする。
 そうまでして、フランは外に出たいとも思わなかったのだ。
「何だったのあれは? お姉様は私をからかいに来たのかな」
 何度となく繰り返された独り言は、見慣れた暗い天井に吸い込まれて消えた。


 あれ以来、咲夜は甲斐甲斐しくフランの世話を焼いた。
 手作りの料理を毎食運び、お茶の時間を設けては紅茶を淹れる。いつも自らの血に塗れている彼女の体を綺麗にし、ひどく壊れていた家具や、ぬいぐるみを完璧に修繕して見せた。たまに図書館から本を持ってきては、フランに読み聞かせた。最初は子供向けの絵本だったが、徐々に内容が高度になっていき、最後には数百頁に及ぶ冒険小説や推理小説になった。
 それに咲夜は、積極的にフランと会話しようとしていた。
 それは、紅魔館で繰り返される何気ない日常。妖精メイドたちはみんな自分勝手で基本的に仕事をしない事。パチュリーという名の魔女はいつも図書館にいて、彼女の周りにはうずたかく本が積み重なっている事。そして、それを掃除しようとするとひどく怒られる事。咲夜が最近髪を結うようになったのは、めーりんという門番のまねをしたのだとか。
 投げかけた言葉の殆どは無視されたが、続けているうちにフランは一言、二言と相づちを打つようになった。意地悪にも、解りづらい詩的な比喩表現を多用してみたり、日本語をローマ字にばらして逆からしゃべったりしたが、咲夜は的確にフランの意志を汲み取った。
 咲夜が成長していくにつれて、フランは咲夜が部屋に居ることに苛立ちを覚えなくなっていった。自分が姉以外人物に心許し始めていることに気がついた。
 人間に? 食料や玩具。そう言った単語しか連想できなかったものに。
 いや、自分の破壊が及ばないものを人間と言っていいのか。もはや疑問だったが。
 それは彼女に取ってどうでも良いことであった。フランの小さな世界は、九割方がどうでも良いことにあふれていたのだから。
「なんで咲夜は、私なんかの世話するの?」
 いつか、そう問いかけた。
「レミリアお嬢様の申しつけですから」
 そう言って、瀟洒に答える咲夜にフランの中で何かが生まれた。
 理由は解らなかったが、どうしてか寂しかった。
 それは一人で居るという孤独とはどうしても違う物だった。


 ――ああ、そうか。
 フランは自らの過去を振り返り、自分の感情に理由を見つけた。
「私は……咲夜の事が好きだったのか……」
 確認するように呟くと、急に頭が重くなって机に突っ伏した。
 その衝撃で、無造作に積み重ねた本が、さながらバベルの塔のように倒壊し、フランの上に降り注いだ。
 何だこれは。
 フランは自分の感情がまるで借り物のような違和感を感じた。
 そう、それは小説の登場人物のように、現実味を感じさせない。記号で表せてしまうほど稚拙な思考体系。
 そう、フランは埃の被った記憶を読みあさって、ようやくこの結論に至った。それは、自分の想いに立証できる確かな物があるのか疑問だったから。だから、今まで触れた物語を参考にした。
 思えば、咲夜はフランにとって、初めての『友達』だった。
 自分の能力を持ってしても壊れない、壊せない人間という存在に驚きを覚えた。
 正直なところ、初めは自分の領域に踏み込んでくる咲夜には煩わしさしか覚えては居なかった。だが、しだいに、子供がお気に入りの玩具に抱くような、『興味』と『愛着』が沸いてきた。そして、『支配欲』も。フランはそれを『愛』と形容するに至った。
 だが、この欲求をどのように実行したら自分は満足するのだろうか。
 咲夜の肉体をこの五指で蹂躙し、喰らい尽くして血肉とすれば満足か?
「違う、違うの……!」
 頭が痛い。フランの悲痛な否定が薄暗い図書館に吸い込まれて消える。
 何が違うのだ?
 狂っているのか?
 心壊れているの?
 壊したら、どうなるのか?
 彼女を……。
 何も纏わぬ人の姿で、震える瞳を。
 この手で紅に染める。
 紅い。朱い。赤い。甘い?
 甘い……。乾きに疼き、転がした舌に幻味が走る。
「やめて、やめて、やめてっ!」
 何を? おまえは私だ。
 フランドール・スカーレットはここに居る。
 自分から逃げ続けて逃げ続けて逃げ続けて。
 それを肯定して。
 逃げ切った果てに、もう自分は亡い。
「あ゛ぁあ゛ぁぁ゛ぁあぁぁ゛ぁぁぁ――!」
 フランは自分を壊した。
 狂ったように泣き叫びながら。
 心が壊れないように。
 本当に壊したくないモノだけを守るために。
 床を、壁を、天井を、林立する書架を、極彩に咲いた朱が埋め尽くす。
 何で? 何で? 何でっ!
 脳髄を破壊しても思考が残る?
 この眼を潰しても、彼女の姿が瞳に映る?
 四肢を切り裂いても、この身はまだ動く?
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 荒い息をついてフランは忌々しげに胸を鷲掴み、自分を押さえ込んだ。
 収まれ。収まれ。
 気管から血を追い出して、ゆっくりと深呼吸をしたら、ようやく発作は落ち着いてきた。
「どうかしたのフラン?」
 フランはこちらに近づく足音に気がついた。
「っ――!」
 フランは呪式を高速詠唱し、瞬時の内に魔力を行使していく。
 あたりに飛び散りまくった自分の血と肉片を綺麗に消し去り、千切れ飛んだ衣服を元通りにする。
 本棚の陰から顔を出したのは、分厚い魔術書を重たそうに抱えたパチュリーだった。
「な、何でもないわ!」
 跳ね上がる再生したばかりの心臓を何とか飲み込んで、フランは先ほどまでの狂狂とした自傷行為が無かったかのように平然を装った。
「……? まぁ、いいわ。ところでフラン。この術式、どう思う?」
 そう言って彼女は魔術書を開いてフランに指し示した。
「うん……、どれどれ……。ああ、これは式の末端に乱数を掛けて暗号化した方が実用性が増すよ。円周率演算に使う数式を数通り掛け合わせて百四万桁ぐらいまで使用すれば確実だと思う」
 それを見てフランはまるで詩を紡ぐように朗々と助言をした。実のところは直感を口にしただけなのだが、フランに魔術の知識がないわけではない。
「驚いたわ……。流石ね。その辺は失念していたわ。これでまた精度が上がった。ありがとう」
 パチュリーは羽ペンを走らせて魔術書に新たな項目を追記していく。
「それで、その呪式は何に使うの?」
 そこでフランは率直な疑問を述べた。その言葉にパチュリーは先ほど以上に驚嘆を漏らした。
「貴女、これの用途を知らない状態でさっきの追加式を導いたの?」
「……? そうだよ?」
「はぁ……、存在するのね、天才って奴は。……前々から思っていたのだけれど、もしかしたら貴女は魔女の生まれ変わりかもしれないわね。それも私なんかよりよほど高位の……」
 狂人と天才は紙一重か。フランは何となくそう思って、自嘲的な笑みを零した。
「それで、結局なんなのそれ?」