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百合の花束

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 茶色い紙袋をふたつ抱え、ウォルターは扉の前に突っ立つ。
 しばし黙って扉の向こうの様子を窺い、それからおもむろに片足で扉の下の方を蹴った。
 ガンッガンッガンッ!
「おーい、アンディ、いるんだろー? 開けろーッ!!」
 カチャッ、キィッ……と静かに微かな金属音だけを響かせて、わずかに開いたすきまからアンディが顔を覗かせる。用心深くいつでも引っ込めるようにというように、ドアノブを握りしめている。大きな目は疑うように細められている。
「ウォルター……」
 ウォルターのきょとんとした顔をジトッとした目で見て、アンディはむすっとして言った。
「ノックって普通手でやるもんじゃないの……?」
「両手ふさがってんだよ。見ろ、コレ」
 当然のことと言って肩をすくめ、荷物を見せる。抱えた大きな紙袋ふたつだ。
 アンディが大きなため息を吐いた。
「……で? ボクはウォルターの部屋のドアを開ければいいの?」
「いや、そーじゃなくて。おすそわけ。おまえの分も買ってきた」
「頼んでないけど……?」
「まあ、そー言わずに、受け取れよ。うまいぜ、ブリオッシュ。色々たくさん買ってきたからさ」
 『よっ』と足をドアのすきまに入れて開け……アンディがすでにドアから手を放していたため簡単に開いた……紙袋のひとつを突き付ける。少し下げて、中がよく見えるようにして。
 形も中身も様々だが、だいたい丸っこくて、バターたっぷりの、少し甘いパン。
「遠慮なく好きなの選べよ」
「……」
 アンディは何も答えず、うつむいている。
 『ありゃ?』と首を傾げ、『ああ、そっか』とすぐに気付く。
 選ぶほど知らないのだ。
 ウォルターは紙袋のひとつ……同じ市場で仕入れてきた果物やジュース入り……を足元におろして、もうひとつの紙袋の中から、『これはクリーム入り、これはジャム入り……』と説明しながら、半透明の紙に包まれたブリオッシュを次々にアンディに手渡す。
「こんなに……」
「育ち盛りなんだから食え!!」
 半ば強引に押し付ける。
 腕にブリオッシュの山を抱えたアンディは、何やら納得のいかない様子で首を傾げていたものの、一応『ありがとう』と言って部屋に引っ込もうとした。
「待て!!」
 ウォルターは慌ててアンディの肩をつかんで止める。振り向いたアンディは、きょとんとして言う。
「なに? お金?」
 その言葉にウォルターはがっくりしかけたが、思いついてニヤッと笑う。
「俺と食うなら無料(タダ)にしてやる」
 アンディが唖然とした。
「……何それ……」
 ウォルターは強引に部屋の中に踏み込む。足元の紙袋も持ち上げて。そうしながら言う。
「なんだかひとりで飯とか食いたくない気分なんだよ。ちょっと付き合え」
 ぼんやりしている部屋の主そっちのけでベッドに近付いて紙袋を置いて座る。
 アンディもしぶしぶといった様子で近付いて来た。それでも、ウォルターの前に立ち、にらみつけるように大きな目でじっとウォルターを見つめ、動かない。
「……仕事帰り?」
 ウォルターがなんだろうと思っていると、ポツリとそう尋ねる。
 ちょっとだけ口を開いてそう尋ね、後は無表情にウォルターの答えを待っている。
 ウォルターはニッと笑った。
「いや?」
 否定してポンポンと自分の隣のスペースを軽く叩いて座るように促す。
「来いよ。しぼりたてのジュースもあるからさ。一緒に食べようぜ」
 アンディがふうっと小さくため息をついて隣にやってくる。腕の中のブリオッシュをベッドの上に投げ出し、ウォルターの隣に腰かける。
「別にいいけど……」
 言いかけてアンディは口を閉じ、くん……と空気のにおいを嗅いだ。
「……ウォルター、香水くさい……」
「えっ」
 驚いて隣を見るとアンディが目を据わらせている。
 ウォルターは、くんくん、と自分のにおいを嗅いでみる。
 微かに漂う百合の香り。
 そう、先ほどの花束だ。香水じゃない。それなのに。
 アンディの目が冷たい。
 誤解されていることを悟ってウォルターは慌てた。
「いやいや、違うから! 別に、女のとこ行った帰りとかでもないからな!? これはその……」
「……別に、ボクに言い訳しなくたっていいよ」
「違うんだって!! 誤解だから嫌なんだよ!! これは花束をさっき買って……」
「その花束はどうしたの?」
「えっ……あげた……?」
 まさか川に投げたとは言えず、ついそう答える。
 すると、アンディがウォルターから距離を取る。
 花束を『あげる』相手は女の人が多いわけで。
「……いくら面倒くさくても、シャワーくらい浴びなよ」
「だから違うんだって!! アンディ、聞けよ、人の話!!」
 慌てているウォルターを放っておいて、アンディはベッドの隅っこに腰かけてブリオッシュにかぶりついている。
 わあわあ騒いでいるウォルターは、それでも沈んでいた心があの夢を見た朝から変わって穏やかになっていくのを感じていた。






(おしまい)



作品名:百合の花束 作家名:野村弥広