百合の花束
青く青く澄んだ空の下。
市場が開かれていた。
布が張られたその下に、たくさんの木箱が所せましと並べられ、その上にあふれ返りそうな野菜や果物を載せた小さな店々。細長いパンが突き出したのが目立つパンを売る店。しぼりたてのジュースを売る店。細々とした雑貨を売る店。洋服などをつるしている店もある。
どこもにぎやかだった。
「お兄さん」
呼ばれてウォルターは振り向いた。
ちょうど横を通ってその鮮やかな色彩が目についたところだ。普通なら必要のないものを売りつけられるのは面倒なので足を止めないが、声をかけてきたのが優しそうなご婦人だったので、無視をしにくかった。
口の端を持ち上げて笑みを形作り、目元を和ませて、断りの準備をしながら、『ん?』と声をかけた相手を見つめる。
ふっくらとした中年のニコニコ笑顔の女性が花束を売っていた。
「お兄さん、花買ってかない? うちの花は長持ちするよ!」
摘んだばかりだし、と言って赤い薔薇を選んで掲げて見せる。
その勢いにとっさに断り損ね、ウォルターは笑顔のまま、『んー……』と考えるフリをする。
でも、花を買いに来たわけじゃないし。
持って帰っても花瓶なんてあったかな。
まあ、誰かに押しつけてもいいんだけれど。
カルロの仕事場を想像し、ひっそりと笑みを濃くする。
自分が薔薇の花をプレゼントしたら、カルロはさぞかし困惑するだろうな、と思って。
ちょっとした悪戯心もわいたが、結局買い物の邪魔になることを思うと、笑みを苦笑に変えて、『いやー……』と首を振った。
「今日は残念だけど……」
ウォルターが断りの文句を口に出し、去ろうとすると、女性が笑顔のままで言った。
「買ってかない? カノジョにあげると喜ぶよ」
ぴたっと足が止まる。
ウォルターの耳から音が消える。
世界が真っ白になる。
よみがえるのは、……夢。いや、過去。
一瞬意味をなくした瞳を閉じて、再び開く時には、自分のいる場所も目に映り、耳に音も届いていた。
「いるんだろ? 好きな娘くらい」
重ねて問われて、ウォルターはあいまいな笑みを返す。
さっき、イタズラを思いついて笑ってしまった、その笑みで勘違いされたのだろう。
女性はウォルターに好きな人がいると疑わない様子だった。
「この花束プレゼントして思い切って告白してごらんよ。きっとうまくいくよ!」
花売りの女性は、赤い薔薇を中心にしてピンクのカーネーションや白いカスミ草の入った、小さく可愛らしい、けれども情熱的な花束をすすめる。
確かに、女性にプレゼントするにはいい品だろう。
『さあ、ほら』と笑顔ですすめる女性に、ウォルターは困惑の笑みを返し、やがてあきらめて言った。
「じゃあ……そっちの百合の花をちょうだい」
「百合?」
「そう。白いやつ」
真顔で指を差して言う。
怪訝な顔をする女性に、明るく笑って言う。
「似合わないんだ、赤い花。カノジョは」
花束を包みながら首を傾げてしきりに相手のことを尋ねたり、考え直すように促したりする少しお節介な相手に、適当なことを言ってごまかしつつ、やり過ごして、白い百合の花束を持ってウォルターは店を離れた。
橋の真ん中で、頬杖をついて、眼下の川を眺める。
この川の水は、どこに流れていくのだろうか。
『喜ぶよ』……あの女性はそう言っていた。
けれど。
……エミリーは死んだんだ。
しばらく川面を眺めた後、川に向かって白い百合の花束を放り投げた。
ぽちゃん、という音を背に、さっさと歩き出す。
『うーん』とのびをして、青い空に向かってつぶやく。
「さーて、買い物、買い物」
何事もなかったかのように。