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マイスタンダード

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(ねぇ、だから、わたしのこと許してもいいし、許さなくてもいいよ)




マイスタンダード




考えるより先に体が動く。
理性より本能が強いと思うのはこういう直感の所為だと思う。
撮影の順番が来たと聞いて腰を上げたトキヤが、雑誌をテーブルに置く。隣で一連の動作を見ていた音也は、突然その前だけを見つめ扉を目指す背中に途方も無い孤独を感じ、気付けばトキヤの衣装の袖口を、決して強くはない力で掴んでいた。
「…音也?」
怪訝そうなトキヤの声音を理解すると共に、縋った袖に今更酷い後悔を覚えたが、それでもこの手は到底離せそうにない。
(捨てないで)
雨の日に捨てられた猫か犬みたいな気分だ。捨てられてないのに、付き合いだって全然順調なのに、それでもこの突き上げるような不安はなんだろう。いや、これは最早不安というよりも、不信感に近いかもしれない。唐突に陥った恐怖は、今までだって常にそこにあったのだろうか。それも今生まれたのか。
「何です」
「…え…?」
「え、ではありません。何もないのなら放してください」
瞬きも忘れ、自分のとった行動に驚きを隠せない様子の音也の耳に温度の無いトキヤの声が響く。そこで初めて指の力を緩める事ができた音也は、力無く、ア・ごめん、と呟き、不審そうに一瞥した後部屋を出て行ったトキヤを意識することなく、ただ、自分の手が僅かに震えているのを真っ白な頭で見つめた。
そして、気付けばなんとなく仕事を終え、トキヤとも何でもなかったように言葉を交わし、一人帰宅した音也はいつの間にか明後日の台本を無くしていることに気付く。
ついてない。
どこで無くしたのか全く見当もつかないが、明日スタジオに行って探すしかないと息をつきながら、さっさと隠れるように自室のベッドに潜り込んだ。こんな日はこうするに限る。
ベッドのやわらかな感覚に意識を細くしながら、吸い込んだ空気はどこまでも冬のように厳しく冷たい。けれどそれは幸せなのか不幸せなのかよくわからない。凍りつきそうな季節は寂しい気もするし、これからくる春が期待を運びそうな気もする。だからどうしても不安を隠しきれずに、最後は心許ない揺らぎを胸に眠った。
(忙しさと比例する距離に我侭が言えない今、我慢すべきなのか振り回せばいいのかいつも迷ってしまう。捨てられたくないし、捨てたくない。期待に答えたいし、裏切りたくない。考えすぎだといわれればそれまでかもしれないが、今日だって別れ際最後に言葉もなく振り返ったトキヤは、まるで真冬のように酷薄だったんだから、判断なんてつきっこないじゃん)

   *

そんな冷たい眠りに落ちた先で音也は夢を見た。
それは夢だったが、現実で、過去の記憶に違いなかった。
邂逅した記憶は、玄関のドアを開けた途端、せり上がってくる熱気でドアを閉めたくなったくらい暑かったその日のことで、音也とトキヤは偶然の休日を何をするでもなく過ごしていた。
クーラーに浸っているのも飽き、思いつきで二人で出かけたら、あまりの暑さと太陽にトキヤは眉を顰めて陰鬱そうに、
「…地獄だ…」
と遺言のように呟いた。演技がかったそれを、大袈裟なと笑っても、トキヤはそれすら大切そうに口の端を緩めるから、その睫毛が落とした深い影に思わず見蕩れたことを良く覚えている。
(うわ、どうしよう、しあわせすぎて死にそう)
確かにおかしいほど噴出す汗とぎらつく太陽は、不快指数を最高値にまで引き上げるには十分で、別段音也も地獄ってのはあながち嘘じゃないのかも、とか思わなかったわけじゃない。けれど負けん気だけで、一度外に出たら今度は何もせずに帰るのがもったいなくて(その時も冷静で冒険をしないトキヤは、大人しくクーラーに浸った方が賢明だとかなんとか如何にも正論めいたことを言ってたけど)、意気揚揚と嫌がるトキヤの手を引っ掴んで人気の無い炎天下の住宅街を歩いた。
強い夏の日差し。白い雲と自分たちの黒い影のコントラストは目がくらむかと思う程で。それでも、その時間、確かに音也はしあわせだった。
もちろん繋いだ手は熱く、熱いっていうか、繋いだとこからいっそ一緒くたになって溶けそうなくらいで。溶けてまたクーラーで固まる。そしたら今度は何がどっちでどっちが誰のかなんてもう混ざりきってわからないような、そんな錯覚すら覚えそうな感じ。
それでもなんとなく手を繋いだ途端心が弾んで、汗をだらだらかきながらもトキヤの手を引いて歩くのはとても楽しい。平日の真昼間でよかったと今は思う。だから、そこの角を曲がったコンビニで冷たいものを買ったらすぐ引き返そうと思っていたのだ。どうせこの裏道なら誰にも出会わないだろうから、その角まで手を繋いでいようと。
(けれどげんじつはそうあまくない)
丁度角を曲がろうとしたところで、時々すれ違う人好きそうな近所のおばちゃんが大きな買い物袋から葱の頭を出して、音也を見つけるといつもの様子で声を掛けてきた。
「毎日あついわねぇ」
「そうですね」
第三者の出現で瞬間的に手を離した音也は、その場をなんとか遣り過したものの、一度手放したトキヤのことを思うとその後はあんまり決まりが悪くて、もう一度その手を取ることはできなかった。しかし、なにより外聞を憚るトキヤも当然そんなことは気にせず半歩後ろで暑さに辟易としているのだろうと振り返ると、そうではなかった。
そうではなかった。
怒ってるような悲しんでるような、とにかく理解しがたい表情で(元々トキヤはそんなに感情をストレートに表に出すタイプではないし、むしろほとんど怒ったような顔だけどその時はなんというか本当に特別で)、音也はなんと言っていいかわからなくなった。
ただ、後悔とか裏切りとかそんな言葉ばかり浮かんで、肝心なことを何ひとつ言葉にできそうにない。
「ごめん、トキヤ」
やけに不安に駆られる表情に衝いて出た言葉はあまりに陳腐で、音也は悲しくなった。
「何を謝ることがあるんです」
(何って)
それ以上に傷付いたようなトキヤを見つめていると、頭がくらくらして熱中症になってしまったのかと思うほど血の気が引いていく。心臓を冷たい手でじわりと握られているような感覚に、暑いのも寒いのも忘れたように何も感じない。ただ焦るだけだ。首筋がチリチリと焼けて、鈍く痛みが走る。それすら耐えなければいけない罰のように思える。
ただ、この暑いのにすっかり冷え切ってしまったの音也の手は、もうトキヤの手を握るに相応しくないように思えた。
ただそれだけ。
だけど忘れられない。いや、忘れたいのに肝心な時になると思い出す。
トキヤの目も、自分のぞっとするほど冷えたあの手の感覚も。

   *

そこまで思い出し、音也はつと目を覚ました。
夢で過去を思い出す羽目になるとは思わなかったが、この胸に甦った記憶が、ゆっくりと重みを増す。
「……ゆめ」
寝起きの掠れた声が、天井を呆然と見つめる視線と共に部屋の暗闇に溶ける。
返って来た静寂が耳にうるさくて、音也はその居心地の悪さに硬く目を閉じ乱暴に寝返りを打ったが、それくらいで凝った感情は消えそうにない。ああ、何でよりによってこんな夢を、現実を蒸し返すようなことを思い出してしまったのか。苛立ちにも似た不快感に眉を顰めたときだ。
作品名:マイスタンダード 作家名:yum