堕落者15
ギプスを外した姿で登舎すると、跡部とむーちゃんは仰天して、あんぐりと口をあけて突っ立った。私をここまで送ってきた鈴は、気を利かせて二人に声を掛ける。
「もう骨はくっついたんだが、まだ十分に動かせないんだ。今まで通り、凜をよろしく頼むね」
跡部は勢いよく鈴を見上げた。
「とうぜんだぞ。ちゃんと僕たちでめんどうみるんだぞ」
「ありがとう」
そして鈴は、近くの教諭にいくつか腕について伝えると、医者に言われたのは以上です、と最後に嘘を吐き、帰って行った。その教諭は私の元に来て、身を屈ませて私と目線を合わせる。ちらりと、私の名札を見て言った。
「おめでとう、りんちゃん。まだしばらく自由に出来ないらしいけど、私たちはいつでも見守ってるから、何かあったら言うのよ」
「はい」
「七夕の願い事は書けるのかしら?」
「左手で書けます」
「そう、良かった」
彼女はにっこり笑って立ち上がると、私をもう一度見て、すぐに何処かへ行ってしまった。きっと、私の教室の担任へ私の腕の事を伝えに行ったのだろう。念入りに私の首元のリボンと、胸元のバッジの色を確認していた風だった。
「君が右うでを下ろしているなんて、なんて久しぶりだろう!」
そう言って、跡部は満面の笑みを浮かべてくれた。むーちゃんも嬉しそうに頷いてくれている。そんな二人を見て、私も頬が緩む。
「それにしても、どのていどうごかないんだい」
「んー、物は握れるけど、肘の動きはまだまだぎこちないかな」
「うごかしてみせてよ」
私は腕を前に伸ばしてみせると、昨日のお風呂場でのリハビリを思い出しながら、ゆっくりと曲げていく。腕は、お湯に浸かりながら動かした時のようにはいかず、すぐに筋肉が痛み出した。
「このぐらいかな」
「まだそれしかうごかせないのかい、ほんとうになおったのかい?」
「骨はね。これまで動かさなかった分、筋肉が弱くなってるって、医者に言われた」
医者と言うのは嘘で、鈴の受売りだ。
「じゃあ、きんにくがもとどおりになれば、またうごくんだな」
「うん。それでやっと完治だよ」
「かんち!」
六月の内は、不便は無かったとはいえ、夏も迫り、梅雨に入って、外に出れば腕の中が湿っぽくなったものだ。ただでさえ、長年北海道に住んでいた私にとって、東京の夏は未知の体験だ。それでも、暑さや湿気があまり印象に残らないのは、幼稚舎の空調が行き届いていて、家では鈴が念力で空調を整え、私を不快にさせないようにしてくれているからだろう。外に出るのは、幼稚舎を行き来する時と、ピアノに通う時ぐらいだから、そもそも、外気に身を晒す機会が少なかった。私が腕の不快さを訴えれば、鈴はすぐに念力を使って湿気を拭ってくれていたのもあり、快適に過ごせていた。
骨が付いた事よりも、そういった煩いから解放された事が、何より嬉しかった。まだ七月の初めなので、梅雨が終わったわけでは無いけれど、ギプスが有るのと無いのとでは、その差は大きい。
六月の終わり頃から、幼稚舎ではプール開きがあった。今までの私なら、ギプスをしている以上、水の中に入るための理由がなかったのだけれど。
「りんもやっと入れるようになったね」
「たいいく」の時間に跡部といるというのは、随分久しぶりだ。
「わがまま言ってね。皆みたくビーチボール使って遊ぶ事が出来ないのが悔しいよ」
担任には、無理せず水の中に体を入れるぐらいにしろ、と要約すればそのような事を言いつけられていた。プールの端で、私たちは楽しそうに動き回る子達を眺めている。
「跡部もあっち行ったら?私なんかの所にいないで」
私は水の中に入れたものの、見学者に過ぎない。このまま私と一緒にいれば、いずれ教諭に注意を受けるだろう。
顔に水が掛かった。
一瞬何をされたか分からなくて、左手で顔を拭いながら、跡部を見ると得意げに笑っていた。
「ゆだんしたな」
そう言って、私から距離を取った。もう一度、こちらに水を掛けてくる。彼の意図が分かった私は、彼のその優しさを汲み取って、微力ながらも、左手だけで水の掛け合いに応戦した。
「もう骨はくっついたんだが、まだ十分に動かせないんだ。今まで通り、凜をよろしく頼むね」
跡部は勢いよく鈴を見上げた。
「とうぜんだぞ。ちゃんと僕たちでめんどうみるんだぞ」
「ありがとう」
そして鈴は、近くの教諭にいくつか腕について伝えると、医者に言われたのは以上です、と最後に嘘を吐き、帰って行った。その教諭は私の元に来て、身を屈ませて私と目線を合わせる。ちらりと、私の名札を見て言った。
「おめでとう、りんちゃん。まだしばらく自由に出来ないらしいけど、私たちはいつでも見守ってるから、何かあったら言うのよ」
「はい」
「七夕の願い事は書けるのかしら?」
「左手で書けます」
「そう、良かった」
彼女はにっこり笑って立ち上がると、私をもう一度見て、すぐに何処かへ行ってしまった。きっと、私の教室の担任へ私の腕の事を伝えに行ったのだろう。念入りに私の首元のリボンと、胸元のバッジの色を確認していた風だった。
「君が右うでを下ろしているなんて、なんて久しぶりだろう!」
そう言って、跡部は満面の笑みを浮かべてくれた。むーちゃんも嬉しそうに頷いてくれている。そんな二人を見て、私も頬が緩む。
「それにしても、どのていどうごかないんだい」
「んー、物は握れるけど、肘の動きはまだまだぎこちないかな」
「うごかしてみせてよ」
私は腕を前に伸ばしてみせると、昨日のお風呂場でのリハビリを思い出しながら、ゆっくりと曲げていく。腕は、お湯に浸かりながら動かした時のようにはいかず、すぐに筋肉が痛み出した。
「このぐらいかな」
「まだそれしかうごかせないのかい、ほんとうになおったのかい?」
「骨はね。これまで動かさなかった分、筋肉が弱くなってるって、医者に言われた」
医者と言うのは嘘で、鈴の受売りだ。
「じゃあ、きんにくがもとどおりになれば、またうごくんだな」
「うん。それでやっと完治だよ」
「かんち!」
六月の内は、不便は無かったとはいえ、夏も迫り、梅雨に入って、外に出れば腕の中が湿っぽくなったものだ。ただでさえ、長年北海道に住んでいた私にとって、東京の夏は未知の体験だ。それでも、暑さや湿気があまり印象に残らないのは、幼稚舎の空調が行き届いていて、家では鈴が念力で空調を整え、私を不快にさせないようにしてくれているからだろう。外に出るのは、幼稚舎を行き来する時と、ピアノに通う時ぐらいだから、そもそも、外気に身を晒す機会が少なかった。私が腕の不快さを訴えれば、鈴はすぐに念力を使って湿気を拭ってくれていたのもあり、快適に過ごせていた。
骨が付いた事よりも、そういった煩いから解放された事が、何より嬉しかった。まだ七月の初めなので、梅雨が終わったわけでは無いけれど、ギプスが有るのと無いのとでは、その差は大きい。
六月の終わり頃から、幼稚舎ではプール開きがあった。今までの私なら、ギプスをしている以上、水の中に入るための理由がなかったのだけれど。
「りんもやっと入れるようになったね」
「たいいく」の時間に跡部といるというのは、随分久しぶりだ。
「わがまま言ってね。皆みたくビーチボール使って遊ぶ事が出来ないのが悔しいよ」
担任には、無理せず水の中に体を入れるぐらいにしろ、と要約すればそのような事を言いつけられていた。プールの端で、私たちは楽しそうに動き回る子達を眺めている。
「跡部もあっち行ったら?私なんかの所にいないで」
私は水の中に入れたものの、見学者に過ぎない。このまま私と一緒にいれば、いずれ教諭に注意を受けるだろう。
顔に水が掛かった。
一瞬何をされたか分からなくて、左手で顔を拭いながら、跡部を見ると得意げに笑っていた。
「ゆだんしたな」
そう言って、私から距離を取った。もう一度、こちらに水を掛けてくる。彼の意図が分かった私は、彼のその優しさを汲み取って、微力ながらも、左手だけで水の掛け合いに応戦した。