花と桃と紺碧
「いい加減にしろ伏犠。あれからどのぐらい時が経ったと思っている」
「…仙界で時の流れなぞ無意味じゃろ?」
「今度は屁理屈か?つくづく腹の立つ男だな。それほど悔やむぐらいなら何故あの時に攫って来なかった」
「物騒なことを言いおるのう…いくらわしといえど望まぬ者を拉致まではせんわ」
「ならばさっさと諦めろ鬱陶しい。お前のその陰気せいでこの一帯悪天候続きではないか」
そこは時の流れとは関わらず、いつでも花が咲き乱れ、鳥が歌い、美しい仙女と仙人が暮らす仙界…のはずが、その庵の周囲には暗雲が立ち込め今にも雨が降らんばかりの天候だった。
銀の髪を結い上げた女が庵に寝そべる黒髪の男に向かって仁王立ちになり、呆れと苛立ちの混ざった面持ちで睨みつけている。
男の方はそんな相手の事などどこ吹く風といった態度で庵の床に寝そべり、肩肘で頭を支えながら欠伸などをしている。
「…まあ、私が何か言って立ち直れるようであればとっくの昔に立ち直っていような」
ため息を吐き、銀髪の女・女カは黒髪の男・伏犠の枕元に腰を下ろす。
「…石田三成が関ヶ原で東軍を破り、西軍が勝利したそうだ」
ここではじめて伏犠の目が女カを見る。
「あの男も悪運強く生き残ったらしいぞ?良かったなぁ、伏犠」
「…そうか…」
一言呟いて、伏犠は寝そべっていた床から体を起こして胡座をかき、伸びを一つ。
「まあ、礼を言うわ。これでわしも諦められるかのう」
「何だ、徹底的に振られるのを待っていただけか。変態め」
「お主には恋に敗れた兄神を労ろうという優しさはないのか?」
「誰が兄だ胸糞の悪い。優しさというのであればわざわざ知らせに来てやった時点で十分だろう?」
「ああわかったわかった。…感謝しとる」
「…ならばさっさと立ち直れ。そろそろここら一帯の花が枯れてしまう」
立ち上がった女カにつられるように外を見れば、連日の曇り空のせいで視界に入る花々はすっかり色彩を失っている。
「そんなに時が経っておったか…」
「さっきから言っていただろう。馬鹿が」
少しは立ち直る様子を見せた伏犠にかける女カの声は、先程よりは幾分柔らかく。
伏犠が空を見あげれば、先ほどまで厚く垂れこめていた暗雲も幾ばくが薄くなっていて。
単純過ぎる、と小さく呟く声に、伏犠も久方ぶりに笑みを見せていた。
始めは単なる好奇心だった。
人の中にあって一際美しい魂が見えたため、興味に駆られて近付いた。
口は軽いものの良く人を見、人を立て、適正を見抜く慧眼。
人を集め、繋ぎ、束ねられるだけの人望。
世が世なら王ともなれる程の器を持ちながら、一介の流れ軍師に身を窶して飄々と異界を渡り歩いていた男。
面白い男だ、と思った。
飄々とした態度で腹の底は見せないが、酒と女のことになれば素直に興じる。
軍略が破られれば力づくで押し通る。
軍略家なのだから後衛で待機しておけばいいものを、自分の立てた策を自分で成功させねば気が済まないのか最前線に突撃する始末。
呆れて助けに向かえば破顔一笑。
『待ちかねましたよ、伏犠さん!』
自分の心情からの助勢すら奴の軍略の一つだったということか。
呆れた軍師だと思い、その瞬間に恋に落ちた。
仙界の上層に住む者の魂は美しいが、それは表面の滑らかな玉石のようなもの。
対して人の魂は表面を荒く削られた石のようなもの。
大抵の場合は削られていく内に輝きを失うものだが、中にはより一層輝き出す魂もある。
その魂の煌きは仙界の住人の魂の美しさとは比にならない。
島左近という男の魂は、そういった美しさを持っていた。
左近は美しいのう、と思わず漏らすと当の左近は心底嫌そうな顔をする。
そうした所も愛らしいと思ってしまう程には、盲目になっていた。
思い返すだけで胸の内が苦くなる。
遠呂智の作った世界もあの世界での記憶も消え、あの者は人の世に帰った。
後は、この瞼に焼き付いたあの煌きが色褪せるのを待つのみだと、そう思っていた。
「…仙界で時の流れなぞ無意味じゃろ?」
「今度は屁理屈か?つくづく腹の立つ男だな。それほど悔やむぐらいなら何故あの時に攫って来なかった」
「物騒なことを言いおるのう…いくらわしといえど望まぬ者を拉致まではせんわ」
「ならばさっさと諦めろ鬱陶しい。お前のその陰気せいでこの一帯悪天候続きではないか」
そこは時の流れとは関わらず、いつでも花が咲き乱れ、鳥が歌い、美しい仙女と仙人が暮らす仙界…のはずが、その庵の周囲には暗雲が立ち込め今にも雨が降らんばかりの天候だった。
銀の髪を結い上げた女が庵に寝そべる黒髪の男に向かって仁王立ちになり、呆れと苛立ちの混ざった面持ちで睨みつけている。
男の方はそんな相手の事などどこ吹く風といった態度で庵の床に寝そべり、肩肘で頭を支えながら欠伸などをしている。
「…まあ、私が何か言って立ち直れるようであればとっくの昔に立ち直っていような」
ため息を吐き、銀髪の女・女カは黒髪の男・伏犠の枕元に腰を下ろす。
「…石田三成が関ヶ原で東軍を破り、西軍が勝利したそうだ」
ここではじめて伏犠の目が女カを見る。
「あの男も悪運強く生き残ったらしいぞ?良かったなぁ、伏犠」
「…そうか…」
一言呟いて、伏犠は寝そべっていた床から体を起こして胡座をかき、伸びを一つ。
「まあ、礼を言うわ。これでわしも諦められるかのう」
「何だ、徹底的に振られるのを待っていただけか。変態め」
「お主には恋に敗れた兄神を労ろうという優しさはないのか?」
「誰が兄だ胸糞の悪い。優しさというのであればわざわざ知らせに来てやった時点で十分だろう?」
「ああわかったわかった。…感謝しとる」
「…ならばさっさと立ち直れ。そろそろここら一帯の花が枯れてしまう」
立ち上がった女カにつられるように外を見れば、連日の曇り空のせいで視界に入る花々はすっかり色彩を失っている。
「そんなに時が経っておったか…」
「さっきから言っていただろう。馬鹿が」
少しは立ち直る様子を見せた伏犠にかける女カの声は、先程よりは幾分柔らかく。
伏犠が空を見あげれば、先ほどまで厚く垂れこめていた暗雲も幾ばくが薄くなっていて。
単純過ぎる、と小さく呟く声に、伏犠も久方ぶりに笑みを見せていた。
始めは単なる好奇心だった。
人の中にあって一際美しい魂が見えたため、興味に駆られて近付いた。
口は軽いものの良く人を見、人を立て、適正を見抜く慧眼。
人を集め、繋ぎ、束ねられるだけの人望。
世が世なら王ともなれる程の器を持ちながら、一介の流れ軍師に身を窶して飄々と異界を渡り歩いていた男。
面白い男だ、と思った。
飄々とした態度で腹の底は見せないが、酒と女のことになれば素直に興じる。
軍略が破られれば力づくで押し通る。
軍略家なのだから後衛で待機しておけばいいものを、自分の立てた策を自分で成功させねば気が済まないのか最前線に突撃する始末。
呆れて助けに向かえば破顔一笑。
『待ちかねましたよ、伏犠さん!』
自分の心情からの助勢すら奴の軍略の一つだったということか。
呆れた軍師だと思い、その瞬間に恋に落ちた。
仙界の上層に住む者の魂は美しいが、それは表面の滑らかな玉石のようなもの。
対して人の魂は表面を荒く削られた石のようなもの。
大抵の場合は削られていく内に輝きを失うものだが、中にはより一層輝き出す魂もある。
その魂の煌きは仙界の住人の魂の美しさとは比にならない。
島左近という男の魂は、そういった美しさを持っていた。
左近は美しいのう、と思わず漏らすと当の左近は心底嫌そうな顔をする。
そうした所も愛らしいと思ってしまう程には、盲目になっていた。
思い返すだけで胸の内が苦くなる。
遠呂智の作った世界もあの世界での記憶も消え、あの者は人の世に帰った。
後は、この瞼に焼き付いたあの煌きが色褪せるのを待つのみだと、そう思っていた。
作品名:花と桃と紺碧 作家名:諸星JIN(旧:mo6)