堕落者21
私達の追いかけっこは終わらなかった。私は頻繁に、ビビットな二人と出会う。けれど、彼らは別に、私だけを相手にしているわけじゃない。様子を見てみれば、他の子も追い掛け回していたので、相手は不特定多数らしかった。しかし、彼らの遊びのサイクルに、私は、見事組み込まれてしまっているのだ。
むーちゃんとひよちゃんは、訳を話せば聞き入れた。私のいない時は、遠慮から出た私の言葉に従って、二人で遊んでくれているようだった。素直な二人は、私の心境を知らない。追いかけっこから解放され、二人の元へ行ったとき、二人が遊んでいる姿を見て、私が、どんな我侭な気持ちを抱いているのかを知らない。
自由遊びの時間は、絶対に、可愛い彼ら二人と遊んでいたいのだ。それを邪魔しているのは他でもない、
「さきにタッチしたほうがまけな!」
「おれタッチしちゃったよー」
「じゃあ、まけだな」
彼ら。それなら終わらせろ、と叫びたい。追いかけっこは終わっているはずなのに、まだ走り続ける私達。
彼らは、私が立ち止まっても、飽きずに周りで騒ぎ続ける。前に絵本コーナーに駆け込み、座り込んでいたら、教諭に、うるさいからと私ごと追い出された事もあった。追いかける対象に決められてしまったら、かまってもかまわなくても、彼らはずっと付きまとう。この頃では、立ち止まって傍で騒がれるぐらいならと、走って後ろ離れたところで騒がれる方を選び始めていた。彼らはとても楽しげで、私をからかって遊んでいる。
「一緒に遊んでくれていたのか」
迎えに来た鈴は、私の両肩を持って、向き合った二人組みに微笑みかけた。
「ああ!そうだぜ」
「そうか、ありがとう」
彼らは照れたように笑うと、二人揃ってずらかる。私は、彼らの姿が消えるまで、自分の体が彼らに殴りかかろうとしているのを、鈴の手を借りて押さえ込んでいた。
「遊んでた訳、ないでしょう」
思っていたよりも荒々しい声が出た。そして、鈴に苦笑して、おどけてみせる。
「私、こんなに短気だったかな」
「まだコントロールがきかないだけだ」
私はため息を吐いた。
からかって遊ばれる事に、怒っても、おかしくないじゃないか。私の中の子供は、そう言ってわめいた。しかし私は、それが間違いであると知っている。どんな理由があったところで、彼らは子供なのだ。それに、楽しんでいる子供を邪魔するなんて、そんな事はしたくない。まさかこれは虐めではないし、いくらこちらにとって迷惑だとしても、その悪気の無さを、怒るには不適切で、そして、子供を子供の私が叱る事は、何よりおかしい。
鈴に手を引かれ歩く。道路には自動車が行き交っている。
「鈴」
「なんだ」
「私の足、世界一速くしてよ」
鈴は、静かにこちらを見つめる。
「今のあなたの体では不自然だ」
「じゃあさ、私と同い年の中で、一番にしてよ。世界中の、私と同い年の子達の中で、私の足を一番速くしてよ」
「今すぐか」
「今すぐだと、どうなるの?」
「精確な走りの動きを刷り込みする。筋肉の量を調節する。そうして生じる弊害は……」
「こうして身体を幼くした時のように、慣れるまで時間がかかるのか」
「ああ。そして、その前に、一度あなたの意識を私の手で失くさなければならない」
「うーん、それは嫌だから、今日、寝てる時にして」
「御意」
その突飛さに気付いたのは、寝て起きた後だった。
軽く力を入れたぐらいなのに、体がばねのように起き上がり、布団を除けようと足を動かそうとすれば、何かが、頭に勢いよくぶつかった。見ればそれは右脚で、膝が丁度当たったらしい。垂直に上がった脚を眺め、これ以上動くのは危ないと悟って、私は真っ先に鈴を呼ぶ。駆けつけた鈴の目には、片足を宙に上げ身体を奇妙に折り曲げた、可笑しな少女が映ったことだろう。
鈴に体勢を立て直してもらう。関節を曲げたり伸ばしたりされて、ベッドに腰掛けさせられる。何故だか、鈴に触れられる肌が、普段と違ったように感じて気味悪かった。
「精確な走りのために、神経伝達速度を速めた」
「……つまり?」
ふと、私はベッドに突っ伏していた。訳が分からず横目に見上げると、鈴が拳を突き出している。頬に触れる布団が、やけにざらついて感じる。
「運動神経、感覚神経共に、鋭敏になった」
なるほど、今までずっと使ってきた布団が、まるで別物のようだ。
鈴は拳を戻すと、すまなかったと一言述べ、私の体を起こす。
「神経と肉体の変化に、脳が慣れるまで約一ヶ月だ」
「ええ!?」
自分の思わぬ大声にびっくりし、ぐわんぐわんと頭が鳴った。
「……ごめん、いきなり大声出して」
「いや、副作用だ」
「……そう」
自分の考えの無さに、頭を抱える。
けれど、あって困る事は無いと、思い留まった。今更元に戻る方こそ馬鹿らしい。用は慣れさえすればいいのだ。ただ、一ヶ月も幼稚舎を休むような理由が思い浮かばない。
「一ヶ月といえば、また骨折ったってことにすれば……いや、だけど幼稚園通ってたしなぁ」
「それを理由にして休むとしても、誰も怪しまない。親である私が休ませると言えば、そうする他無い。そして、後二週間経てば、夏期休業だ」
それは、突如舞い込んだ幸運だった。
「そっか、そういえばもう、そんな時期か」
しかし、どこか腑に落ちない。そして私は思い出した。
「そうだ。むーちゃんとひよちゃん」
ぽつりと呟かれた言葉に、しかし、ふと気付かされる。私がずっと休んだところで、彼らは彼らなりに楽しく過ごすのだろう。漏れてしまった声が気恥ずかしい。自分には、いい加減にして欲しいものだ。
私の生活は退化した。移動は鈴に抱っこされ、食事は、口を開いて鈴の手からもらった。風呂やトイレは流石に念力を使ってもらったが、生活に関する一切は、鈴に頼った。それほどに、体は中々、慣れてはくれなかった。
幼児の身体に戻った時と同様と考えていたが、思ってみれば、あの時と今回は違う。幼児の身体といえど、それが私の体だという事に、なんら変わりなかった。慣れるのが早かったのは、幼児だからと思っていたが、単に、体が遠い昔の自分を思い出したのだろう。しかし、今回は、最早私の体では無い。鈴によって作り変えられた、尋常じゃない身体だ。目を作り変えたり、脳を作り変えたりというのは、感覚の領域であり、実感し難かっただけで、本来はここまでの変異だったのだ。その事に気付いた時、私は血の気が引いた。
けれど、おちおち戸惑っている訳にも行かなかった。数日経った頃、意外にも、跡部たちがお見舞いに来たのだった。
むーちゃんとひよちゃんは、訳を話せば聞き入れた。私のいない時は、遠慮から出た私の言葉に従って、二人で遊んでくれているようだった。素直な二人は、私の心境を知らない。追いかけっこから解放され、二人の元へ行ったとき、二人が遊んでいる姿を見て、私が、どんな我侭な気持ちを抱いているのかを知らない。
自由遊びの時間は、絶対に、可愛い彼ら二人と遊んでいたいのだ。それを邪魔しているのは他でもない、
「さきにタッチしたほうがまけな!」
「おれタッチしちゃったよー」
「じゃあ、まけだな」
彼ら。それなら終わらせろ、と叫びたい。追いかけっこは終わっているはずなのに、まだ走り続ける私達。
彼らは、私が立ち止まっても、飽きずに周りで騒ぎ続ける。前に絵本コーナーに駆け込み、座り込んでいたら、教諭に、うるさいからと私ごと追い出された事もあった。追いかける対象に決められてしまったら、かまってもかまわなくても、彼らはずっと付きまとう。この頃では、立ち止まって傍で騒がれるぐらいならと、走って後ろ離れたところで騒がれる方を選び始めていた。彼らはとても楽しげで、私をからかって遊んでいる。
「一緒に遊んでくれていたのか」
迎えに来た鈴は、私の両肩を持って、向き合った二人組みに微笑みかけた。
「ああ!そうだぜ」
「そうか、ありがとう」
彼らは照れたように笑うと、二人揃ってずらかる。私は、彼らの姿が消えるまで、自分の体が彼らに殴りかかろうとしているのを、鈴の手を借りて押さえ込んでいた。
「遊んでた訳、ないでしょう」
思っていたよりも荒々しい声が出た。そして、鈴に苦笑して、おどけてみせる。
「私、こんなに短気だったかな」
「まだコントロールがきかないだけだ」
私はため息を吐いた。
からかって遊ばれる事に、怒っても、おかしくないじゃないか。私の中の子供は、そう言ってわめいた。しかし私は、それが間違いであると知っている。どんな理由があったところで、彼らは子供なのだ。それに、楽しんでいる子供を邪魔するなんて、そんな事はしたくない。まさかこれは虐めではないし、いくらこちらにとって迷惑だとしても、その悪気の無さを、怒るには不適切で、そして、子供を子供の私が叱る事は、何よりおかしい。
鈴に手を引かれ歩く。道路には自動車が行き交っている。
「鈴」
「なんだ」
「私の足、世界一速くしてよ」
鈴は、静かにこちらを見つめる。
「今のあなたの体では不自然だ」
「じゃあさ、私と同い年の中で、一番にしてよ。世界中の、私と同い年の子達の中で、私の足を一番速くしてよ」
「今すぐか」
「今すぐだと、どうなるの?」
「精確な走りの動きを刷り込みする。筋肉の量を調節する。そうして生じる弊害は……」
「こうして身体を幼くした時のように、慣れるまで時間がかかるのか」
「ああ。そして、その前に、一度あなたの意識を私の手で失くさなければならない」
「うーん、それは嫌だから、今日、寝てる時にして」
「御意」
その突飛さに気付いたのは、寝て起きた後だった。
軽く力を入れたぐらいなのに、体がばねのように起き上がり、布団を除けようと足を動かそうとすれば、何かが、頭に勢いよくぶつかった。見ればそれは右脚で、膝が丁度当たったらしい。垂直に上がった脚を眺め、これ以上動くのは危ないと悟って、私は真っ先に鈴を呼ぶ。駆けつけた鈴の目には、片足を宙に上げ身体を奇妙に折り曲げた、可笑しな少女が映ったことだろう。
鈴に体勢を立て直してもらう。関節を曲げたり伸ばしたりされて、ベッドに腰掛けさせられる。何故だか、鈴に触れられる肌が、普段と違ったように感じて気味悪かった。
「精確な走りのために、神経伝達速度を速めた」
「……つまり?」
ふと、私はベッドに突っ伏していた。訳が分からず横目に見上げると、鈴が拳を突き出している。頬に触れる布団が、やけにざらついて感じる。
「運動神経、感覚神経共に、鋭敏になった」
なるほど、今までずっと使ってきた布団が、まるで別物のようだ。
鈴は拳を戻すと、すまなかったと一言述べ、私の体を起こす。
「神経と肉体の変化に、脳が慣れるまで約一ヶ月だ」
「ええ!?」
自分の思わぬ大声にびっくりし、ぐわんぐわんと頭が鳴った。
「……ごめん、いきなり大声出して」
「いや、副作用だ」
「……そう」
自分の考えの無さに、頭を抱える。
けれど、あって困る事は無いと、思い留まった。今更元に戻る方こそ馬鹿らしい。用は慣れさえすればいいのだ。ただ、一ヶ月も幼稚舎を休むような理由が思い浮かばない。
「一ヶ月といえば、また骨折ったってことにすれば……いや、だけど幼稚園通ってたしなぁ」
「それを理由にして休むとしても、誰も怪しまない。親である私が休ませると言えば、そうする他無い。そして、後二週間経てば、夏期休業だ」
それは、突如舞い込んだ幸運だった。
「そっか、そういえばもう、そんな時期か」
しかし、どこか腑に落ちない。そして私は思い出した。
「そうだ。むーちゃんとひよちゃん」
ぽつりと呟かれた言葉に、しかし、ふと気付かされる。私がずっと休んだところで、彼らは彼らなりに楽しく過ごすのだろう。漏れてしまった声が気恥ずかしい。自分には、いい加減にして欲しいものだ。
私の生活は退化した。移動は鈴に抱っこされ、食事は、口を開いて鈴の手からもらった。風呂やトイレは流石に念力を使ってもらったが、生活に関する一切は、鈴に頼った。それほどに、体は中々、慣れてはくれなかった。
幼児の身体に戻った時と同様と考えていたが、思ってみれば、あの時と今回は違う。幼児の身体といえど、それが私の体だという事に、なんら変わりなかった。慣れるのが早かったのは、幼児だからと思っていたが、単に、体が遠い昔の自分を思い出したのだろう。しかし、今回は、最早私の体では無い。鈴によって作り変えられた、尋常じゃない身体だ。目を作り変えたり、脳を作り変えたりというのは、感覚の領域であり、実感し難かっただけで、本来はここまでの変異だったのだ。その事に気付いた時、私は血の気が引いた。
けれど、おちおち戸惑っている訳にも行かなかった。数日経った頃、意外にも、跡部たちがお見舞いに来たのだった。