束の間の休息
「……っ、…………」
「気が付いた?」
全身に走る鈍い痛みに眉を顰めながら、リオンがうっすらと重い瞼を持ち上げれば。
ベッドの脇の椅子に腰を下ろし、感情の読めない笑みを浮かべたクリティア族のジュディスと視線があった。
「さすが回復も早いわね。…まだ無理はしない方がいいと思うけれど。」
一瞬この状況に混乱した記憶は、だがすぐに暴走したユージーンとの戦いを脳裏に蘇らせた。
恐らく、傷つき倒れ伏した自分を彼女が運んでくれたのだろう、と推察する。
「…、…カイル!…カイル、は……、…」
がば、と上半身を起こせば、途端に傷を負った左肩に激痛が走る。だが、今はそんな痛みになど構ってはいられなかった。
「…大丈夫。貴方の隣りでよく眠っているわ。」
す、と音もなく立ち上がった彼女の背後に、自分と同じようにベッドに寝かされた金髪の少年の姿が視界に映る。
ギシ、と軽くベッドを軋ませ、眠っているカイルへと蹌踉けながら近づいていく。
伸ばされたジュディスの手を振り払う余裕すらなく、緩く背を支えられながら、穏やかに寝息を立てているその顔を覗き込んだ。
伸ばした指先で頬に触れ、その呼吸と熱をじかに確かめて。
漸くほぅ、と大きく息を吐いて、脱力した身体でその場に蹲る。
ベッドに戻るように促されても、暫くの間、動くことは出来そうになかった。
* * *
「先に目覚めたのはあの子の方なのよ。…やっぱり同じように貴方の無事を確認したら、また泥のように眠ってしまったけれど。」
笑い声さえ立てていないものの、声音に含まれた愉悦に、じろり、と思わず強い視線を向けてしまう。
あの砂漠から、カイル共々街まで運んできてくれたのが彼女である以上、素直に感謝しなければならない立場なのだが。
「……一応、礼は言っておく。」
「あら、御礼を言わせて貰うのは私の方よ。」
リオンがベッドの上で半身を起こしたまま、窓際で槍の手入れをするジュディスへと訝しげに視線を向ければ。
相変わらず感情の読めない笑みを浮かべたままだった彼女の雰囲気が、僅かに和らいだ。
「…貴方が本気を出していたなら、ユージーンだって無事では済まなかった筈よ。…ありがとう。」
「……それは、……」
買い被り過ぎだ、と吐き捨てるも、ジュディスが浮かべる笑みの表情は崩れない。
居心地の悪さを覚えて、知らずその笑顔から視線を逸らした。
「…う、…ん……、……」
途端、隣りのベッドから、微かに呻くような声が漏れたかと思えば。
「……あーーっ!!フラッグ!!」
がば、と飛び上がるようにして起き上がったカイルが、大声で叫びながら頭を抱える。
「……そうだった、結局フラッグっ……、………あっ!リオンさんっ!目が覚めたんだ!?怪我、大丈夫!?」
ばっ、とベッドから飛び降りたカイルが、跳ねるようにしてリオンの元へと駆け寄る。
「……たいした傷じゃない。…それより、お前の方は大丈夫なのか?」
「うん!俺はもう、全然平気だよ!…ほら!」
ぐい、と腕を持ち上げて見せたカイルが、僅かに痛みに眉を顰めるのをリオンが見逃す筈もない。
無理をするな、と言い放つと、ベッドに立て掛けられていたシャルティエを手に取り、小さく詠唱を始める。
「……ヒール。」
ポゥ、と暖かな光がカイルの全身を包み、先刻の痛みが嘘のように引いていく。
だが、少年は何処か哀しげに眉を顰めた。
「……ごめんなさい。リオンさんの怪我、俺を庇った所為なのに、……俺、回復の術も使えない。」
しゅん、と項垂れてしまった少年の髪に、細く白い指が伸ばされる。
それが、ふわふわと癖のある金髪をくしゃり、と撫でた。
「…馬鹿だな。落ち込んでいる暇があるなら、さっさと出発の準備をしろ。……次のフラッグを目指すんだろう?」
「……っ……!………うん!!」
その会話を背に、ジュディスは無言でその部屋をあとにする。
パタリ、と後ろ手に扉を閉め、思わず口元に笑みを浮かべながら。
(…無理をするな、だなんて…。意識を失う寸前まで、あの子に回復晶術を掛けていた人の台詞じゃないわね?)
胸の内だけでそう呟くと、3人分の食事を用意を頼む為に、階下の食堂へと降りていった。
* * *
「…あー、美味しかった!ご馳走さまでした!」
「見ていて気持ちが良い位の食べっぷりだったわね。」
「……胸やけがする、の間違いじゃないのか?」
4人席のテーブルに、並んで腰を下ろした2人の向かい側に座るジュディスがふふ、と笑い声を零す。
目の前には、カイルが空にしたばかりの皿が積み重ねられ、満面の笑みで手を合わせている本人が居る。
その隣には、多少うんざりしたような様子で一口ずつスープを口に運んでいるリオン。
こちらは見た目の体躯通り、どうやら食が細い体質らしい。
「あら、子供はたくさん食べた方が成長の促進に繋がるんじゃないかしら?」
「………嫌味か、それは。」
既に隣の少年に身長を追い抜かれている騎士団長が、じろり、と笑みを崩さないままのジュディスを睨め付ける。
カイルがその剣呑とした雰囲気に、あわあわと、狼狽えていたところへ。
「起き上がれるようになって、良かったねぇ!はい、これはサービスのデザートだよ!」
カウンターの奥で腕を振るっていた女主人が、トレイに載せていた3人分のガラスの器をテーブルへと並べていく。
小さなスプーンが添えられたそれは、表面に生クリームがたっぷりと盛られたカスタードプリンだった。
「うわぁ!ありがとう、おばさん!」
「いいから、いいから!子供はたくさん食べな!」
空になった食器を代わりに引き上げていった彼女が、豪快に笑いながら再びカウンターの奥へと消えていく。
「俺、プリン大好き!いっただきまーす!」
「そうなの?じゃあ、私の分もあげるわ。」
うきうきとスプーンを握り締めたカイルの目の前に、ジュディスが自分の前にあったプリンをことん、と置いた。
「え?でも、……」
「ダイエット中なのよ。協力してくれるでしょう?」
「ええーっ…全然そんな必要ないのに、……」
そんな2人のやりとりを横に、リオンは自分の目の前に置かれた生クリーム添えプリンをじっと凝視していた。
眉間に寄った皺と厳しい視線は、とてもプリンを見下ろしているものとは思えない。
「…貴方は甘いものが嫌いなのかしら?」
「え、そんなことないよね、リオンさ…」
「カイル!!……僕の分もやる。」
カイルの台詞を無理矢理遮ったリオンが、憮然とした表情で自らのプリンを隣りへずい、と押し付ける。
だがそんな些細なやりとりだけで、聡い彼女にはどうやら気付かれてしまったらしい。
「…貴方こそ、ダイエットの必要は無いと思うけれど?」
「………甘いものは苦手なんだ…、…っ…」
再びピリピリとした緊張感が漂う中、カイルが慌てて声を上げる。
「あっ、でも俺もお腹いっぱいだから、さすがに3個は無理かなぁ〜。……ごめんね、リオンさん。…食べられる?」
「……っ、………………し、……仕方ない、な……。」
「良かった!…ジュディスさんも、ありがとう!」