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02:ふたえの春

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春は目を開けばすぐそこに、なんて言うけれど、思えば、目を閉じても、傍にいた。彼の家のリビングには大きな窓があって、そこから陽光がソファを照らすのだ。瞼を通して菜の花や白詰草みたいな光が瞳に届く。電灯だとか、ステージのライトアップだとかとは全く違った、やわらかい光だ。
 そういえば、最近自室のカーテンを開いた覚えがないな、と思う。忙しくて、そんな暇もなかった。記憶の中の薄暗い部屋は、大抵そこで生活しているというのに、どんなカレンダーを飾っていたかとか、どんな掛け布団の色だったかさえ、定かじゃなかった。彼の家のカレンダーは、モノクロだ。所々色取り取りのペンで日付をぐるりと囲っているけれど、何もメモ書きはされていない。今日の日付は桃色で薄く印が付けられていて、思わずスカートの裾を握りしめた。今日は、私と彼のオフが重なった日。会うのを楽しみにしてたのは、自分だけじゃなかったのかもしれないと、思えたから。数日前に、美味しいいちごを貰ったからと自宅に誘ってくれたときも彼のいつも通りの動きのない顔をしていた。そのときのことを思い浮かべて、くすぐったくなる。そのときの彼も、緊張していたのだろうか。もっとも、彼が緊張している様子なんて想像もできなかったし、もししていたところで、今の自分ほどではないだろう。どんな撮影やライブでだってこんなに緊張したことなかったのに。心臓は痛いほど揺れる。髪に手をあてて、はねてないか確かめたり、スカートの裾がめくれてないか確かめたり。そんな自分が自分らしくなくて、笑いたくなった。それでも、顔が赤くなってないか確かめようとする手は、止まらなかったのだけれど。

 ふう、と落ち着くために溜息をついて、息を吸えば、台所のほうから流れてくる紅茶の匂いに混じって、いちごの素直な甘酸っぱい香りが鼻孔をくすぐった。いつか、こんなことがあったのかもしれないね。そう問いかけてくる記憶に、小さく頷く。そのいつかが、自分の記憶か、物語の記憶なのかもわからないまま。
作品名:02:ふたえの春 作家名:きり