紳士と魔法使い-α
嫌な予感はしていた。
まず、忘れ物は多いものの自分はどちらかというと綺麗好きできちんとしているほうだ。大抵いつものところにいつもの物がある。
なのに、なかった。
しかも、大事なもの。見られたら恥ずかしいもの。相当丁寧に扱うはずなのに。
この時点で既にフラグは立っていたのだと思う。
だがいったん探し始めると、何処かにあるはずだと信じたくなるから不思議なものだ。あそこを探せば。もうちょっと探せば。
期待をすれば裏切られる。今までの人生でわかっていたはずなのに。
そしてそこで思い出す。そういえばこの間久しぶりに古本を一斉に売り払ったのだった。ああ、だから配置が変わってわからなくなったのか。
少し安心して家中を軽く探して、もう少し探って、血眼になって探し回って、予感は不安となる。
もしや、あの中に紛れ込んでしまったのではないか。
本の山が並々と積み上げられた部屋の中で呆然と座り込む。いやまさか自分がそんなはずが、そう思いながら辺りを触れるように視線だけで探って、地面をはうように横たわっている電話線をのろのろとひっぱった。衝突音はもう気にしないことにした。立つ気力などとうの昔に失われていた。
記憶の中から数字を手繰り寄せて弱々しくゆっくりとダイヤルを回す。受話器はすでに汗でぬれ始めていた。最後のナンバーから指を離す。ゆっくり息をのみこむ。
1コール。心臓の鼓動。2コール。吐息が震える。3コール。嫌な想像。4コール。全ての嫌な思い出が一瞬でフラッシュバック。5コール。沈黙に耐える。
6コール。7コール。8コール。
罵声と共に受話器を元の位置に投げ捨てた。跳ね上がって本の山を崩す。聞こえる小さな悲鳴や抗議の声、机に積み重なった書類の束。目にも入らないし耳にも入らない。
不安を喉のあたりで怒りに変換したが口からは何も出てこなかった。
ただ祈る、祈る祈る祈る。
仕事机の引き出しから古びた杖をひっぱりだして、色んなものを蹴っ飛ばしながら廊下に出た。走る。一番奥の一番古い扉へ。
たどり着く前に半ば叫ぶように言葉を紡ぐ。数度失敗して扉の直前で鍵の開く音。がちゃり。部屋にダイブして扉を乱暴に閉め、暗闇の中の小さな火種を確認。その隣の袋から灰をひっつかんでおかまいなしに暖炉へぶちこむ。生き返る炎。ゆれるエメラルドグリーン。そこに飛び込んだ。
「ダイアゴン横町!」
叫ぶ。吸う。むせながら回転する。まぶたの奥の闇で平衡感覚を見失う。何度も何度も何処かにぶつかった。だが痛みより恐怖に似た感覚が心臓のあたりを支配している。
間違いであってくれ。間に合ってくれ。
冷たくてかたい壁にガンガンあたる。回転。くるくる。ぐるぐる。焦る焦る焦る。祈る。手の中の杖を握りしめた。
急にべしゃりと真正面から叩きつけられた。目的地と認識するのに、一秒。その一秒を取り返すように飛び上がって走る。
驚いた声。こちらを振り返って避ける人々。見えない。聞こえない。ココには届いていない。
唯一今視界の中で認識できる壁の前で立ち止まり、右手の中の物で叩きつけるように数回ノック。この時間さえ惜しい。
石畳が見えた時点で駆けだした。まただ。人、人、人。時々ヒキガエル。時々ネズミ。
意外と思考はクリア。遠くの目印を確認。あの角を曲がり次の次の角を曲がって一番奥。脳裏のおぼろげな記憶をロックする。足裏に石畳の固い感触。走る音。
一つ目の角。人通りが少なくなる。二つ目の角を無視して、三つめ。ほの暗い。人もいない。その突き当たりのおんぼろ木造建築に駆け込んだ。
涼やかな音。急停止する。膝がガクガク笑った。
軽やかな、声。
「ふあぁいいらっしゃーい・・・って旦那か。どうしました?」
ついに膝がおれた。冷たい床の上に崩れ落ちる。両腕を何とかつっぱって、息をしようともがく。
さっきまでのクリアな思考はどこへやら、疲労が体全体を襲っていた。皮膚の下が熱い。
「こんな夏日の真昼間にマグルのスーツでダイアゴン横町爆走ですか。しかも真顔。見ものでしたでしょうねぇ。見たかったなぁ」
正直息も絶え絶え、喉もカラカラで非常に辛い状況だったが何とか電話時の不在を非難すると、向こうは寝てましたとあっさりいった。
「夏休みのはずなのに、どーも今日は客入りがない。じゃあ、ってことです。暇だったら人間寝るしかないんですよ。四六時中忙殺されてる旦那とは違うんです。
ところで何をそんなに急いでらっしゃるんです?・・・あ、もしやこの前のヤツの中に何かやばいものでも入ってたんで」
隠そうにも隠しきれない量の殺気を出しているのが効いたのか、店内が静かになった。激しく上下する肩をおさえる。
ゆっくり、はっきりと本のタイトルをいった。
沈黙。ひんやりした空気を全身で吸う。ぽたり。汗が遂に額から滴り落ちた。その音しか聞こえない。
胸の辺りが、くるしい。
ただ向こうの言葉だけを待った。
「売りましたよ」
向こうの言葉だけを、待った。
「売りました。旦那の本を持って帰って次の日だったかな。いかにも今年からホグワーツですって感じの子といかにもお兄さんの買い物にひっついてきましたって子供たちがきたんですよ。
それで何冊か古い教科書を買っていきまして。その後、女の子が一人で来て買っていきましたよ。他の何冊かと一緒に。包装してくれっていってたからプレゼント用じゃないですかねぇ。入学するお兄さんに。似てなかったから違うのかなぁ。でも似てたかなぁ。
そういえば今日の日刊預言者新聞を読みましたかい?チャドリー・キャノンズの来季優勝は絶望的だそうですよ。今年優勝したのに!全く決めつけるもんじゃありませんよねぇ?応援するこっちの身にもなってもらわないと」
右の拳で力の限り殴り飛ばした。何かがどこかにぶつかって、本がばらばらと落下した。
奇跡を信じて、店主精神的に不在の本屋を隅から隅まで探した。汗で指が滑る。気持ちがはやる。焦燥。
けれどどれだけページをめくっても、どれだけ本棚から床へ本を投げ捨てても、目的のものはなかった。
「なぁ旦那、あきらめましょうや」
復活した店主が何をいっても。
「本と人は一期一会。人間同士と同じです。生まれた時から死ぬときまで一生傍にあるのから、旦那が存在を知る前に絶版になってしまう本もある。
その本が旦那にどれだけ大事なものだったかは、自分にはわかりません。でも所詮、こういうのは全て縁なんです。
旦那ほどの読書家ならおわかりでしょうに」
店主が何を言って、そしてそれに思いつく限りの罵詈雑言を寝言のように口走っても。
最後の一つまで、ただ、ただ、探した。
実は、探してるのは本ではないとは、本屋を去る時に打ちひしがれ過ぎて、遂にいえなかった。
まず、忘れ物は多いものの自分はどちらかというと綺麗好きできちんとしているほうだ。大抵いつものところにいつもの物がある。
なのに、なかった。
しかも、大事なもの。見られたら恥ずかしいもの。相当丁寧に扱うはずなのに。
この時点で既にフラグは立っていたのだと思う。
だがいったん探し始めると、何処かにあるはずだと信じたくなるから不思議なものだ。あそこを探せば。もうちょっと探せば。
期待をすれば裏切られる。今までの人生でわかっていたはずなのに。
そしてそこで思い出す。そういえばこの間久しぶりに古本を一斉に売り払ったのだった。ああ、だから配置が変わってわからなくなったのか。
少し安心して家中を軽く探して、もう少し探って、血眼になって探し回って、予感は不安となる。
もしや、あの中に紛れ込んでしまったのではないか。
本の山が並々と積み上げられた部屋の中で呆然と座り込む。いやまさか自分がそんなはずが、そう思いながら辺りを触れるように視線だけで探って、地面をはうように横たわっている電話線をのろのろとひっぱった。衝突音はもう気にしないことにした。立つ気力などとうの昔に失われていた。
記憶の中から数字を手繰り寄せて弱々しくゆっくりとダイヤルを回す。受話器はすでに汗でぬれ始めていた。最後のナンバーから指を離す。ゆっくり息をのみこむ。
1コール。心臓の鼓動。2コール。吐息が震える。3コール。嫌な想像。4コール。全ての嫌な思い出が一瞬でフラッシュバック。5コール。沈黙に耐える。
6コール。7コール。8コール。
罵声と共に受話器を元の位置に投げ捨てた。跳ね上がって本の山を崩す。聞こえる小さな悲鳴や抗議の声、机に積み重なった書類の束。目にも入らないし耳にも入らない。
不安を喉のあたりで怒りに変換したが口からは何も出てこなかった。
ただ祈る、祈る祈る祈る。
仕事机の引き出しから古びた杖をひっぱりだして、色んなものを蹴っ飛ばしながら廊下に出た。走る。一番奥の一番古い扉へ。
たどり着く前に半ば叫ぶように言葉を紡ぐ。数度失敗して扉の直前で鍵の開く音。がちゃり。部屋にダイブして扉を乱暴に閉め、暗闇の中の小さな火種を確認。その隣の袋から灰をひっつかんでおかまいなしに暖炉へぶちこむ。生き返る炎。ゆれるエメラルドグリーン。そこに飛び込んだ。
「ダイアゴン横町!」
叫ぶ。吸う。むせながら回転する。まぶたの奥の闇で平衡感覚を見失う。何度も何度も何処かにぶつかった。だが痛みより恐怖に似た感覚が心臓のあたりを支配している。
間違いであってくれ。間に合ってくれ。
冷たくてかたい壁にガンガンあたる。回転。くるくる。ぐるぐる。焦る焦る焦る。祈る。手の中の杖を握りしめた。
急にべしゃりと真正面から叩きつけられた。目的地と認識するのに、一秒。その一秒を取り返すように飛び上がって走る。
驚いた声。こちらを振り返って避ける人々。見えない。聞こえない。ココには届いていない。
唯一今視界の中で認識できる壁の前で立ち止まり、右手の中の物で叩きつけるように数回ノック。この時間さえ惜しい。
石畳が見えた時点で駆けだした。まただ。人、人、人。時々ヒキガエル。時々ネズミ。
意外と思考はクリア。遠くの目印を確認。あの角を曲がり次の次の角を曲がって一番奥。脳裏のおぼろげな記憶をロックする。足裏に石畳の固い感触。走る音。
一つ目の角。人通りが少なくなる。二つ目の角を無視して、三つめ。ほの暗い。人もいない。その突き当たりのおんぼろ木造建築に駆け込んだ。
涼やかな音。急停止する。膝がガクガク笑った。
軽やかな、声。
「ふあぁいいらっしゃーい・・・って旦那か。どうしました?」
ついに膝がおれた。冷たい床の上に崩れ落ちる。両腕を何とかつっぱって、息をしようともがく。
さっきまでのクリアな思考はどこへやら、疲労が体全体を襲っていた。皮膚の下が熱い。
「こんな夏日の真昼間にマグルのスーツでダイアゴン横町爆走ですか。しかも真顔。見ものでしたでしょうねぇ。見たかったなぁ」
正直息も絶え絶え、喉もカラカラで非常に辛い状況だったが何とか電話時の不在を非難すると、向こうは寝てましたとあっさりいった。
「夏休みのはずなのに、どーも今日は客入りがない。じゃあ、ってことです。暇だったら人間寝るしかないんですよ。四六時中忙殺されてる旦那とは違うんです。
ところで何をそんなに急いでらっしゃるんです?・・・あ、もしやこの前のヤツの中に何かやばいものでも入ってたんで」
隠そうにも隠しきれない量の殺気を出しているのが効いたのか、店内が静かになった。激しく上下する肩をおさえる。
ゆっくり、はっきりと本のタイトルをいった。
沈黙。ひんやりした空気を全身で吸う。ぽたり。汗が遂に額から滴り落ちた。その音しか聞こえない。
胸の辺りが、くるしい。
ただ向こうの言葉だけを待った。
「売りましたよ」
向こうの言葉だけを、待った。
「売りました。旦那の本を持って帰って次の日だったかな。いかにも今年からホグワーツですって感じの子といかにもお兄さんの買い物にひっついてきましたって子供たちがきたんですよ。
それで何冊か古い教科書を買っていきまして。その後、女の子が一人で来て買っていきましたよ。他の何冊かと一緒に。包装してくれっていってたからプレゼント用じゃないですかねぇ。入学するお兄さんに。似てなかったから違うのかなぁ。でも似てたかなぁ。
そういえば今日の日刊預言者新聞を読みましたかい?チャドリー・キャノンズの来季優勝は絶望的だそうですよ。今年優勝したのに!全く決めつけるもんじゃありませんよねぇ?応援するこっちの身にもなってもらわないと」
右の拳で力の限り殴り飛ばした。何かがどこかにぶつかって、本がばらばらと落下した。
奇跡を信じて、店主精神的に不在の本屋を隅から隅まで探した。汗で指が滑る。気持ちがはやる。焦燥。
けれどどれだけページをめくっても、どれだけ本棚から床へ本を投げ捨てても、目的のものはなかった。
「なぁ旦那、あきらめましょうや」
復活した店主が何をいっても。
「本と人は一期一会。人間同士と同じです。生まれた時から死ぬときまで一生傍にあるのから、旦那が存在を知る前に絶版になってしまう本もある。
その本が旦那にどれだけ大事なものだったかは、自分にはわかりません。でも所詮、こういうのは全て縁なんです。
旦那ほどの読書家ならおわかりでしょうに」
店主が何を言って、そしてそれに思いつく限りの罵詈雑言を寝言のように口走っても。
最後の一つまで、ただ、ただ、探した。
実は、探してるのは本ではないとは、本屋を去る時に打ちひしがれ過ぎて、遂にいえなかった。