夜鷹の瞳2
◇ 第二夜 ◇
最初の面談者は南西地区を任せているバシムという男だ。 国を興した頃からシンドリアに住み着いていて、故郷では教師をしていたことから陰ながらシンドバッドを支えてくれた頼りになる男だ。バシムなら調査をするまでもないが、久しぶりに会って話をしたいと思っていたのでいい機会だった。
南西地区の中央、自治区を見下ろすような小高い丘の上に彼の住まいはあった。ゆるやかに続く坂道を登ると領主が住んでいるわりには飾り気のない質素な屋敷があり、屋敷が狭い分広い庭では大勢の子供たちが笑い声をたてて走り回っていた。その中に子供たちに順番に肩車をして遊んでやっている長身の男が見えた。彼がバシムだった。
順番待ちをしていた子供の一人がシンドバッドに気づくと「陛下だ!」と指をさし、それを見たバシムは慌てて子供の腕を下ろさせてシンドバッドに深々と頭を下げた。
「ずいぶんと賑やかだな」
「失礼いたしました陛下。この子にはあとできちんと言っておきますゆえ」
「えーっ、あたし悪いことしてないもん!」
「人を指差すのはとても失礼なことなのですよ。ましてやこの方は私たちの国の国王陛下なのですからね」
少しきつい語調で少女を嗜めるバシムを、シンドバッドはまあまあとなだめた。
バシムは歳は四十代で働き盛りの頃だが、髪にはだいぶ白髪が混じっているため実際より歳上に見えた。代々教師を生業としてきた家系のせいか、物事を冷静に見つめる目がありいつもシンドバッドの手本となってくれた。
「少々賑やかですが、よろしければ庭でお茶でもいかがですか?」
「ああ、ありがたく頂くよ」
二人は木陰に据えられた椅子に腰掛け、バシムの淹れる茶を飲んだ。爽やかな風が吹いて木の葉がさらさらと音を立てる。そしてその先の光のなかでは子供たちが無邪気な顔で笑い、元気に遊んでいる。そののどかな光景に政務の疲れが吹き飛ぶようだった。
「こんなところで申し訳ございません陛下。なにぶん子供から目が離せないものでして。暑くはございませんか?」
「いや、大丈夫だ。子供はいいな。力が湧いてくる」
「ええ、まさにその通りです。この子達を見ていると元気がでて、頑張らなくてはと身が引き締まります」
「しかしずいぶん多いな。まさか全部お前の身内ではないだろう?」
シンドバッドが問うとバシムは呵々と笑った。
「あいにく私は独身ですので。この子達は街の子供たちです。両親が働いている間面倒を見てくれる人がいないかと相談されたので、それなら私が、と日中預かっております」
「そういうことか」
納得し茶を啜ったシンドバッドは、バシムの左手の薬指に光る指輪を見つけて首を傾げた。それは婚姻の指輪に見えるが…、まあ人にはそれぞれ事情があるだろうと深くは訊かないことにした。
「実は陛下にお願いしたい議がございまして、いずれ私のほうから王宮に伺おうと思っておりました」
「それなら今聞くぞ。言ってみろ」
「はい。私はこの国に学校が必要だと思うのです。それも何箇所か」
「学校か…。確かにこれからの人材を育てるには必要だな。読み書きは親が子に教えているがもっと深い知識を求めるものだっているだろうしな。しかしそれには教師の数が足りないな」
シンドバッドが考えを巡らせるとバシムはその通りです、と大きく頷いた。
「実は私は訳あって慕っていた女性と共になることができなかったのですが、学校を作ることは二人の夢でありました…。教材も私が集めた書物でなんとかなりましょう。どうか私にその人材を育成をする許可を頂きたいのです」
「わかった。バシムなら間違いないだろう。施設や資金に関しては俺がなんとかしよう」
シンドバッドが頼もしく頷くとバシムは顔を輝かせ、胸の前で腕を組んで「ありがとうございます」と深く頭を下げた。
シンドバッドはこうやって自分で考え動こうと努力する人間がすきだった。この国はシンドバッドが創ったが当然彼の力だけでは立ち行かない。だから身分は関係なく何かいいアイディアがあればそれを聞き、可能な限りは実行してやりたいと思っている。
なぜなら国は王が創るのではなく、民がつくり上げるものだからだ。
*
その後もシンドバッドはバシムと学校づくりに関して意見を交わし、気がつくと日が暮れていた。
子供たちも仕事を終えた親が迎えに来て一人、また一人と家路を行くのを見送り、最後の一人が帰るのを見届けた後でシンドバッドはバシムの屋敷を後にした。
久しぶりに充実した議論ができてシンドバッドは満ち足りた思いだったが、今日はもう一人領主に会う予定になっていた。気が進まない相手ではあったがこれ以上の事件を未然に防ぐには自分が動くしかない。
やって来たのは南地区を治めるマグリブの屋敷。これ見よがしに金箔張りの豪奢な門扉を通されると、無駄に広い前庭が広がり、屋敷まで距離があるのでと馬車が用意された。馬車がなければ入れぬ家なんか造るなよとシンドバッドは思ったが、これも公務だと自分に言い聞かせて黙って馬車に乗った。
屋敷に続く道の両端には見せびらかすように美術的価値の高い彫像が居並び、南国の花がそれに負けじと咲き誇っている。そしてその先に待っていたのは、総大理石の宮殿に劣らぬ豪勢な屋敷だった。バシムを訪問した後だからか、シンドバッドは贅を尽くしたその屋敷にとても辟易した。自治区の資金の使い道は領主に任せているが、これはどう考えても私用に使われているだろうな。
門番に案内されて広い客間に通されると女官たちがずらりと並び、平伏してシンドバッドを出迎えた。客間の中央には噴水が据えられている。高い天井を仰ぐと硝子窓が嵌められていて、そこから仄青い月の光が噴水の水に反射して宝石のように輝いていた。いや、ちがう。噴水の底に宝石が散りばめられていてそれが輝いているのだ。果たして国が支給している公費だけでこれだけのことができるだろうか、シンドバッドは脳裏に浮かんだ嫌な想像に身震いした。
「領主様がお見えです」
門の近くにいた女官に告げられてはっと我に返ると、扉が開いてマグリブが入って来た。
金だけでなく脂肪まで蓄えた風船のように膨らんだ腹。太いその両の指に嵌められた金や大粒の宝石が付いた指輪。首には幾重にも輝かしい装飾品が下がっていて、極上のシルクで織り上げられた着物をまとっていた。
シンドバッドは公務の時には多少着飾ることもあるが、今は簡素な麻の織物をまとっている。これではどちらが王かわからない。
「これはこれは、国王陛下! ご機嫌麗しいようでなによりです」
マグリブは大きな声で挨拶をし歓迎を表し、体毛に覆われた太い手を差し出して握手を求めてきた。機嫌など麗しいものかとシンドバッドは苛立ちが募ったが、口論になっては正しい情報を見極められない。シンドバッドは無理やり笑顔をつくり、差し出された湿っぽい手を握り返した。
「今日は貴殿と話がしたくてきた。できれば人は少ないほうがいいので女官たちを下がらせてくれないか?」
「いやいやこんな美しい月の夜に仕事の話など!」
「なに?」
「陛下も働き詰めでお疲れでしょう! 今宵は私が贔屓にしている旅の一座を呼んでありますゆえ、どうぞ楽しんでいってください」