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探偵ごっこ

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探偵ごっこ


 紙一重で、ストーカー側に属する行いではないだろうか。自らの行為を振り返り、有楽町はこくりと息をのんだ。
 大したきっかけではない。だれよりも早く詰め所に姿を現し、施錠を行って帰路につく。日本最古の地下鉄は、そういう人間だった。その彼が、決まって月の中ほどに早く帰る日がある。そのことに気づいたのは、いつの日だったか。
 今月は今日ですか? と。特に意識することもなく、そう口にした。物静かな先達は、ほんの少しだけ驚いたような表情をした。だが。まるで静かすぎる湖水に小石を放り込んだみたいな変化は、すぐにいつものあえかな微笑みに埋没する。そうだね、と。彼はそうとだけ口にした。そして、お疲れさま、お先に、と。柔らかな笑みのまま詰め所を出ていった。
 彼が残した扉が閉まる音が消えてから、何か用があるんだろうか、と。そう口にしたのは良かったのか悪かったのか。それを開通(デビュー)前の後輩が聞きつけたは、僥倖かマーフィの法則か。
「何がですか有楽町先輩!」
 未来、東武越生線をして嘘をつく目だといわしめることとなる、好奇心に輝く表情で、副都心がそう尋ねた。ええと、と。言葉を濁すべきかどうか、と。ほんの少し、有楽町は逡巡した。だが。泣く子と地頭には勝てないとはこう言うことか、いや、それは違うだろう。そう心中完結しながら、彼は後輩の疑問に答える。
「いや、銀座が……毎月一度だけ必ず定時にあがるなあ、と」
 副都心はまるで純真な犬みたいに、大きな目をしばたかせた。そして、定時に上がるのが一回だけなんですか? そう言って、首を傾げる。そして、もしかして銀座に仕事が集まりすぎているのではないかと眉を寄せた。
「そういうことはないと思うんだけど……」
 状況は常に変わるものとはいえ、かつて有楽町は定時をすぎても一向に帰ろうとしない銀座に尋ねたことがある。お手伝いできることはないでしょうか、と。彼は穏やかな笑みを崩さぬままに、これはほとんど性分みたいなものだからと言った。周囲にそれとなく尋ねてみても、答えは同じだった。実際のところ、本当に必要があれば、彼は遠慮なく他人に声をかけている。気にするほどのことではないのだろうと、そう整理をつけた。
 そうなんですか? と。副都心が首を傾げる。そして、とてもいいことを思いついたと言った表情でぽんと手を打った。
「じゃあ、調べてみましょう!」
「調べるって……」
 あっけらかんとした必要以上に大きな声に、有楽町は眉を寄せた。そして少し声が高いと注意すると、副都心がぐいと顔を寄せてくる。ついで口を開こうとしたところ、詰め所の扉が開いた。
 何の相談? と。当の本人からの穏やかな声に、二人は互いの口を抑えあって飛び上がった。
 大きすぎる驚愕の仕草に小さく笑い声をあげると、悪だくみはほどほどにと言って、銀座は自らのデスクに向かった。そして、外は雨みたいだよと言って、折りたたみ傘を取り出し、ふってみせる。うわ、傘持ってきてないと騒ぐ丸の内に、天気予報では半々だったんだけどねぇと同情のまなざしを向けた。
「それじゃあ改めて」
 お先に、と。再度口にすると、銀座は詰め所を出ていった。お疲れさまです、と。扉が閉まるやいなや、彼を見送った姿勢のまま、副都心が口を開いた。
「これはチャンスじゃないですか、有楽町先輩」
「……」
 有楽町は目線だけを副都心に向けた。そんな小さな動作を賛成ととったか、それともすでに有楽町の意思は関係ないのか。いそいそと紙袋を取り出し装着する副都心に、有楽町はええと、と。半端に頬をひきつらせる。まずはどこからつっこめばいいのだろう?
「おーいどうしたんだー?」
 折りたたみ傘と薄手のコートを手にとった。机の上の書類や何かは机に放り込みカギをかける。いそいそと副都心は有楽町の分まで帰り支度をした。オマエらも定時あがりかー? 珍しいなーお疲れー、と。丸の内や半蔵門の声に送られ、有楽町はぐいぐいと腕を引く後輩につれられるままに、東京メトロ詰め所を後にする。銀座ほどではないが、有楽町も普段帰るのは遅い方だ。珍しくという形容はあながちはずれとは言いがたい。そして、冒頭の感想へと至った。

*

 雑踏の中、すぐに銀座の後ろ姿は見つかった。それは、せかせかと目的地へと急ぐ東京人の間にあって、雑踏や街の変化を愛しむような姿が、どことなく浮世離れして見えたからだろうか。
「……どこへ行くんでしょうね」
 紙袋のおかげで、副都心の正確な表情を見ることはできない。だがおそらく、ゴーサインを待つ犬のような顔をしているであろうことは容易に予想がついた。有楽町は、柱の影から電車を待つメトロの重鎮の姿を確認する。ただうちに帰るだけかもしれないな。小さく口に出した言葉は、むしろ確信へと至る道筋を補強する。
「やっぱり、そうなんですかね」
 やってきた電車に乗り込みながら、こともなげに副都心がそう口にする。
「って、おい。謎だと思うから調べてみようって言ったんじゃないのかよオマエはー」
 不本意ながらも扉近くに居を定め、有楽町は情けない声をあげる。いやー、と、軽薄な声がきた。
 銀座から見えにくくしようとしているのだろうか。副都心は有楽町と銀座の間に入るようにして立ち、同じポールにつかまっていた。紙袋のほうがよほど目立つのではないかと思ったが、口には出さなかった。
「先輩が気にしてるようでしたから」
「ああそう」
 これは思いやりなのか、それともただのやじ馬か、サボるための口実か。ああ、開通はまだ先とはいえ、おぼえさせなくてはいけない扱いや事例は山ほどあるのに。耳元で囁いてくる紙袋に顔をしかめ、有楽町はためいきをついた。
 しばし後。あ、降りますよ、と。そう小声で呟いた副都心にひっぱられ、有楽町はホームにまろびでた。降車する人間に比べると、圧倒的に乗車する人間の数の多い駅だった。
 アナウンスは聞き逃していた。きょろきょろと案内版を確認しようとしたところで、見覚えのある駅であることに気づく。自らの路線のホームではない。だが、すぐ近くに自らの乗り場があるはずだ。そして、近いのは有楽町線の乗り場(それ)だけではない。銀座線の乗り場もすぐ近くだった。
 これは本当に、単なるはやあがりだったかもしれない。ぐいぐいと腕を引く副都心に促され、改札を通るためのパスを用意しつつも、有楽町は自らの行いに対する後悔が大きくなるのを感じていた。
 彼の行き先が銀座線ホームだとすれば、帰ることにしよう。そう考え、口を開こうとしたところ、不意に開けた。彼らは、乗り換え先の路線ホームではなく、駅の外にいる。
「え……」
 てっきり、彼は別路線に乗り換えるものだと思っていたのに。そんな有楽町を、紙袋がみつめていた。
「っと、銀座は」
「あっちです」
 言われた方を見ると、慣れた調子で人ごみをぬって歩く後ろ姿がある。あわてて後を追いかけようとしたところ、副都心に引きとめられた。見つかっちゃいますよ、と。
「それに雨です」
「っ……! あ、ああ……」
 何をうろたえているのか。ぎこちなく頷いてから、折りたたみ傘を開く。当然のような調子で、副都心が入ってきた。
「おいぃ」
「傘、持ってきてないんです」
作品名:探偵ごっこ 作家名:東明