節分
「おはよーさん……って何を食ってんだよ」
「ふぉうふぁふぉーふぁ。ふぉれはやらんふぉ」
「おはよう潤君。これは廃棄予定の恵方巻きセットなの」
出勤してきて事務室で店長と八千代の姿を見つけた俺は、いつも通り何かを食っている店長を無視しつつ挨拶を済ませようとしたところで、いつも通りではない何かを食っている店長に気を取られて歩みを止めた。
八千代が説明するには数日前までキャンペーン展開していた節分の恵方巻きセットの余った廃棄品なのだとか。こういったキャンペーンの場合、専用の食材をまとめて入荷する為、期間が終わると通常メニューに応用できないものは必然的に廃棄になってしまう。
それを建前にしてむさぼり食うのはどうかと思うが。関係ないが関西発祥の風習が北国のファミレスで提供されるというのは雑多に過ぎやしないか。
「何だ物欲しそうな眼をして。これはやらんぞ。どうしてもと言うなら炒豆と落花生を少しやろう。お子様ランチ用の鬼のお面もな」
「まあ潤君! 杏子さんが食べ物を誰かにあげるなんて滅多にない事なのよ。良かったわねぇ」
「物欲しそうな眼をしてねえし豆もいらん。そのお面はお子様な種島にやれ」
「お子様じゃないよ!」
勘違いから食いたくもない豆とお面を押し付けられそうになったが丁重にお断りをしておいた。
どうせなら種島にお面を付けさせて俺が豆を投げてもよかったのだが、そうするとあのお子様は俺の事を鬼だ何だと騒ぎ立てるから却下。
俺が豆を投げたいのは店長だ。それか八千代と二人きりになりたいから豆と諸共に外に投げてやろうか。
「それで? 何で俺がわざわざ廃棄の恵方巻きを、わざわざ客じゃない店長の為に作らなければいけないんだ?」
「ね、お願い。頼みをきいてあげて? 私も手伝うから」
わあわあと騒ぐ種島を適当にあしらいつつ着替えを終えてキッチンまで出てくると次の面倒事が控えていた。
店長に飯を作る事は不本意ながらよくある事だし、そこに八千代が加わっている事もまた最近の常だ。
「はいはい鰯の頭も信心からってな」
リクエストの鰯の叩き入り恵方巻きを作るべく、刺身御膳用の鰯を拝借して二本の包丁で程良く刻む。
今回のように他の食材を使っても何事も無く過ぎていくのは客が少ない事と八千代や音尾のおっさんが入荷と廃棄の帳尻を上手く合わせているからだろうか。
生姜と葱を一つまみずつ入れて軽く混ぜ合わせると完成だ。これでも充分に美味そうで俺が食いたい。小鉢に盛りつけ卵の黄身をのせて醤油を垂らせば白い御飯のお供には最高だろう。
「しかし恵方巻きに鰯なんて、分かっているんだか分かっていないんだか」
「どうして? 食べ合わせが悪いのかしら?」
「詳しくは知らねえけど、鰯の頭を何かの木の枝に挿して魔除けにするんだとよ」
「へえ、面白いわね。はいこっちも完成よ」
喋りながらの作業ももう慣れたもので、大皿には鰯の叩き入り恵方巻きがうず高く積まれている。これを全部食うのか? ……食うんだろうな。
客の分の御飯や海苔は常識の範囲内で残してあるものの、そういえば他のスタッフの賄い分はどうなのだろうか。
「メシがまだの奴はいるのか?」
「ええと、相馬君と葵ちゃんとぽぷらちゃんは食べていたけど」
「すると伊波と小鳥遊とお前がまだなのか」
「私? 私が食べると杏子さんの分が減っちゃうし……遠慮しておくわ」
「そういうのは感心せんな八千代。ほら、一つでもいいから食え」
店長の取り分が少なくなると遠慮する八千代にずいっと有無を言わせず恵方巻きを差し出す。以前なら意地でも食わなかっただろうが今はそうでもない、その心境の変化が嬉しい。
元々貫き通すつもりはなかったのかもしれない、八千代はしようがないわねと笑顔で提案を受け入れてくれた。
「はい、あーん」
「えっ」
「あーん」
「あの、轟サン」
「食べさせてくれないの?」
男殺しもとい俺殺しの異名を持つ天使が小首を傾げて俺を誘惑する……足立の野郎、実家が寿司屋だからといって彼女とこんないかがわしい真似をしている可能性があるのか。滅びろ爆発しろ。
「は、はい、あーん」
「あーん……はむ、ん、んはぁっ、はぁ……んむぅ、はぁっ」
律儀にも作法に則って俺の太い恵方巻きを声を出さず眼をつむって丸かじりをする表情はひどく扇情的で、イケナイ雰囲気が場を支配し始める。
嘘みたいだろ。ただ恵方巻きを食っているだけなんだぜ? 尚も艶っぽい声を繰り出し必死になっている姿に俺は誘われているのかと勘違いもしたくなる。
したくもなるが、まぁ無理だろうな。