節分
「やあ佐藤君、轟さん。どうしたのかな?」
「あ、相馬君」
「やっぱりな」
「何がだい?」
「いつから見てたって言ってんだよ」
「佐藤君が俺や他のスタッフの賄いを心配してくれていたあたりかな。でも安心してね、その後は見ていないから。具体的には轟さんがあーんをせがんだ辺りからは痛い痛い暴力反対だよ佐藤君!」
相馬が覗いていないわけがないのだから。救いなのは先の現場を見ていないらしい事と、わざとらしくではあるが八千代が完全に食い終わってから来た事か。
「何をしに戻ってきたんだ?」
「小鳥遊君と伊波さんが休憩に入るから賄いを作ろうと戻ったんだけどね。何ならこれで良いか」
「あの相馬君、それは杏子さんの……」
「うん、そうだね。でもさ轟さん」
そこで区切ると相馬は俺から見えない角度と聞こえない声量で何事かを伝える。その途端、八千代は伊波のようにボンと音が聞こえるくらいに頬を赤く蒸気させて俯いて黙りこくった。
口を締めて眼線をきょろきょろと動かし、エプロンとスカートを固く握り締めて肩で呼吸をする仕種も可愛いものだが、俺としては相馬に余計な事を吹き込まれたのではないか心配だ。
「おい相馬、八千代に何を言った」
「何でもないわよ潤君!」
「ほら、轟さんはこう言っているよ。そうだ、俺は今からこの恵方巻きを持って行ってキッチンも回すから二人で倉庫の備品チェックでもしてくれば良いんじゃないかな?」
暗い倉庫で、二人きりで、俺が轟さんにナニを言ったか雑談でもしながらさ。と相馬が結ぶと、八千代はびくりと体を震わせ潤んだ瞳で俺のコックコートの腕を掴む。
おいおいこれではまるで勘違いもしたくなる……そうか、間違っていないのか。
間違っていないのなら。
「分かった相馬。じゃあ俺達は倉庫で備品チェックをしてくる。集中したいから誰も近づけさせないでくれ」
「うん。でもそうだなぁ、俺一人でキッチンを回して倉庫に人を近づけさせないとなると一時間が限度かな」
「一時間か。それでチェック出来るか八千代」
うん、と蚊の鳴くような消え入りそうな声の八千代の手を引っ張ると、相馬のごゆっくりという言葉を聞き流して足早に倉庫へと向かう。
何をやっているのだろう。ナニをヤるのだろう? 付き合い始めて所構わず引っ付こうとしてくる八千代とは対称的に店ではある程度の節度を保ってきた俺だが、店でコトに及んだ憶えはないと言えば嘘になる。
しかし、これでは熱に浮かされすぎている。これもまた一つの情熱だと言うのは美化しすぎだ。その一方で常温のままではいつまでも上辺の飾りの部分しか見えてこない、という甘言が鳴り響く。
あぁ……ならば今はその美化した情熱とやらを信じよう。そうする事によって俺達の奥底にあるパンドラの箱の中身が解ると、八千代が教えてくれるのだから。
「健全なんだか爛れているんだか分からないよ、あの二人は……まあいいか。さて、小鳥遊君と伊波さんにこの恵方巻きを持って行ってあげなきゃね。ついでに正しい食べ方を教えてこっちの二人にも面白くなってもらおうかな」