それは、沈黙という名の会話
急に割り込んできた声に、薄茶色の義眼と紫暗の瞳が引き寄せられる。彼らの元へ駆け寄ってくるのは、オーベルシュタインの部下であるアントン・フェルナー大佐だった。
総参謀長の薄汚れた飼い犬と随分な言い方をされることもあったが、歴とした宇宙艦隊参謀部の一員――しかも優秀な――である。
自らの上官だけではなくアイゼナッハの姿にも気づき、フェルナーはやや手短な敬礼をする。そののち、銀の髪の士官は、次々に上官へ、良く言って苦言、ありのままに言うと苦情を述べていた。内容を集約すると、もう少し身辺に気を配れ、である。オーベルシュタインはそれに一切の返事をせず、さりとて追い払うこともせずに、黙って聞き流している。
”影”が狙ったのは、オーベルシュタイン自身なのか。それとも、帝国軍の幹部ならば誰でも良かったのかは不明である。
”影”の正体も含め、必要があるならば追って何かしらの伝達があるだろうと、この場ではなにを問い詰めることもなく、アイゼナッハは踵を返す。寝酒は諦めることにした。適度の運動をしたので、よく眠れるだろう。
「アイゼナッハ提督」
低く、響きのよい呼びかけに、彼は振り向く。数瞬を置いて、彼の元へ小さな瓶が弧を描いて飛び込んできた。
それは、先程砕けてしまった瓶よりも小さい、だが同じ銘柄の酒の小瓶だった。
微かに瞠目した紫暗の瞳が、小瓶から、それを彼へと投げた人物に移る。視線の先では、まだ何か言い続けている部下を従えた広い背中が遠ざかっていくところだった。
礼のつもりなのか。単に、砕けてしまった酒瓶の代償か。どちらにせよ、自らの寝酒を譲ってくれたのだ。恐らくは、アイゼナッハと同じく、星を眺めつつ楽しむ筈だったものを。
常日頃から想像のつかない姿を見たからといって、すぐにそれが好意や興味へは結びつかない。
だが、危機を知らせるのは酒瓶ではなく、声にすればよかった。一言くらいなら、魔物の出る幕もあるまい。何より、互いが寝酒にありつけたのだから。
恐らくは、沈黙を苦とすることなく酒を酌み交わせる相手との稀有な酒席が失われてしまったことを些か残念に思いながら、アイゼナッハは小瓶の蓋を開ける。
その日の酒は、微かに沈黙の味がした。
作品名:それは、沈黙という名の会話 作家名:瑞菜櫂